『書歴67年の書家。手書きの文字から一瞬で、心の課題を見つけ望む未来手に入れる専門家、

 グラフォロジーマインドリセットコーチの飯田玲菊です。』

 

 

わたしはピアニスト西川悟平さんのことを何も知らずに、友人に誘われた時、何かピーんときて

高層マンションの一室で開かれていたプライベートコンサートに出かけました。

 

 

そのマンションにはスタンウエイのピアノ二台とアップライトピアノが5台がギューっと入っていて、ピアノの間に人が座るという

ピアノの音色に浸れる超贅沢な空間でした。

 

 

悟平さんの、涙が溢れる感動トークと美しい音色の演奏が織りなす心震える時間。

別世界にいる感覚でした。

 

 

倍音が共鳴した中で旋律が奏でられる生まれて初めて耳にしたその音色。チャクラが開いて魂が揺すぶられるような感覚になりました。

 

 

 

 

 

 

吹奏楽部チューバを演奏していた悟平さんがピアノを始めたのは高校時代。

 

チューバ専攻で音大進学を決意。ピアノを習い始めた時、ショパンの演奏を聴いて、ショパンが弾きたいと思った彼は猛練習をして、大阪音大短期大学ピアノ科に現役合格。

 

紆余曲折を経て、卒業後は和菓子屋のたねやに就職し、大阪高島屋店の食品売り場で菓子を販売していました。

 

 

1999年にニューヨークミュージックセンター日本支部主催のコンサートの前座で演奏する機会に恵まれて、一曲弾かせてもらうチャンスが訪れたのです。演奏は失敗してめちゃくちゃでした。日本のピアノの先生には恥をかいたと散々言われました。

 

 

でもその時、ニューヨークを拠点に世界40カ国で活躍する名ピアニストのデイビッド・ブラッドショーとコスモ・ブオーノに見出されたのです。
そしてニューヨークに渡りました。

 

ブランドショーに「うまく弾こうとするな。一本のシンプルなものをいかに歌わせて弾けるかが大事。お前の音色を出せ」と言われたものの、うまく弾くことに必死になり、2004年にリサイタル中に指の不調をきたし、指が動かなくなり脳の病気『ジストニア』と診断され、ピアニストとしてもう筋肉をスムーズに動かすのは無理だと言われ、失意のどん底に落とされました。

 

そんな彼を救ったのが、幼稚園の園児たち。

 

友人に誘われて、園児たちに動く指で『きらきら星』をピアノを弾くと、演じたちは喜んで踊ったり歌ったりしました。

 

そんな園児の姿をみて、『失った指』のことばかりを思っていた自分に気づいたのです。

『今、あるこの指』でできる演奏をしようと思うに至り、自分でしか出せない音色を出すことに集中したのです。

 

 

 

それがわたしが生まれて初めて聴いたあの倍音が共鳴している響きの中で、主旋律が奏でる音色だったのです。

 

魂が揺さぶられる演奏はこちらから

 

 

 

悟平さんはわたしが大好きなCateenさんとも仲良し。

 

 

 

 

 

子供に小さい頃からピアノを習わせて、親に潰されている子供達がいっぱいいます。

目を三角にして怒る親たち。

子供の弾むような気持ちを潰して何を伝えたいのかな。

 

 

とりわけ日本では譜面通りきちんとうまく弾くことを大事にしています。

 

ジュリアードに入った従姉が「日本の音大はつまらない。」とボソっと言ったことを思い出しました。

 

 

 

『自分の音色を創る』まさにですね。

 

 

 

 

『自分でしか書けない書』

『自分しか創れない人生』って

なんだろうと改めて思った夜でした。

 

 

 

 

 

 

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