鎮魂、それは願い、祈り続ける事 | ☆神様がマネージャー☆

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先月末、東京に行った際の事です。

その日は一日中雨が降っておりました。

浅草方面で用事を済ませ、バスに乗ると、

【次は吉原大門】

と、次の停留所名を知らせるアナウンスが
聞こえて参りました。

その昔、遊郭が立ち並んでいたという吉原。

その中に、吉原神社、吉原弁財天という神社
がある事は知っておりましたので、下車し参拝
させて頂く事しました。

今はもう大通りに、当時の遊郭を想起させる
ようなものは存在していません。

かなり雨足が強かったため、あまり周囲を観察
する余裕もなく、まずは【吉原神社】を参拝させて
頂きました。



境内はさほど広くはありません。

【吉原弁財天】は、ここから少し離れた地にあります。

離れたと言っても徒歩数分の距離です。






天候のせいだけでは決してなく、ここに明るさは
感じません。

それこそ天候の様に、どんよりとした気に覆われて
いるかのように感じました。

ここは写真を撮って良い場所と、カメラを向けて
はならない場所があるように感じます。

ここ、吉原弁財天の由来です。

江戸時代初期までこの附近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。
遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
池は花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠附近の築山に建つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものである。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。(台東区教育委員会掲示より)


それほど広くない境内を進み、ある場所を
通過しようとした時、ここ数年はそんな事は
なかったのですが、足元から次第に重たく
なってくるのを感じました。

その重さは強烈なものではなく、まさに
次第にという感じで、恐ろしさも、嫌な感じ
も受けませんでした。

立ち止まり横を見ると、高さ30㎝ほどで
しょうか、既に刻まれた文字も判別できない、
おそらく墓石と思われる石があり、その横
に比較的新しいのですが、これも小さく、

【遊女の墓】

と書かれた木札が立てられておりました。

ここではしっかりと手を合わせさせて頂き
私なりの供養をさせて頂きました。

ここ吉原には、特に女性の深い悲しみが落とされ
凝縮され続けてきました。

汗に涙に血に、そして逃れる事が許されず、
この地で肉体から離れざるを得なかった
幾多の魂があったのです。

かつてここには、【幸せとは真逆】の様々な
世界が存在していたのでしょう。

それらの念という思いも、魂さえも未だいわゆる
天国という地に向かう事なく、ただ漂っている、
そんな感じがしたのです。

救われたいと願う魂や、救われる事を知っている、
信じている魂は既に救われているのでしょうが、
実は疑ったり、諦めているのではなく、救われる、
そんな事さえ知らずに漂っている魂というものが
あるようなのです。

作家の家田荘子さんをはじめ、そんな事を知って
おられる方々は、欠かさず鎮魂のための供養を
なされているそうです。



今日3月11日、ご承知の通り、1万5千人以上
の方が亡くなられた、東日本大震災からはや8年。

90年以上前に発生した関東大震災において吉原
の地で亡くなられた魂が、まだ全てが救われていない
とするならば、遥かに多くの方が亡くなられた東日本
大震災において、そのうち救われた魂はいかほどで
あるのだろうか。

たった一つの大きな祭祀により、全ての魂が
救われる。

強力な霊媒師によって、全ての魂が一瞬にして
救われる。

そんな事はあり得ないでしょう。

吉原の地で観じた事。

それは、

【一つ一つの魂に丁寧に向く】

事の大切さ。

だからこそ、生きている私たちは様々な地の
一つ一つの魂に向けて、願い、祈りを捧げ
続けなければならないのだと思います。

しかし、時の流れは様々な出来事や、不必要な事、
そして大切な事さえ忘れさせてしまいます。


毎日、24時間、願い、祈り続ける事は出来る事
ではありません。

だからこそ、それらの地を訪れた際、あるいは
今日の様な日に、願い、祈りを捧げる事はとても
大切な事であるのだと思うのです。

神戸の地を訪れた際、ほぼ過去の出来事を想起
させるもののない美しいその町で、一瞬でも、
願い、祈りを捧げる方は既にほとんどいない
でしょう。

ですから、ルミナリエも大切なのです。

先程私は氏神様に参りました。

【全ての魂が救われますように】

と。

皆様も今日は神社仏閣に行かずとも、それぞれの
場所で、どうか一瞬でも願い、祈って下さい。

【様々な魂の鎮魂のために!】



【吉原弁財天】


【石巻市の拝幣志神社.(箱崎八幡宮)】



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