こんにちは。

 もうすぐ梅雨明けですね。

 

 でも、じめじめした日って、身体がだるいですね。気圧のせいかも。

 まあ、そういう時期があってもいいんですけど。

 

 まずは告知です。

 82日―4日、よなよなという劇団の第2回公演「バニラルイボス」が、Space早稲田で行われます。韓国の詩劇作家である金徑株の書下ろし作品です。うちのかみさんや、友人Kのお姉さんも出演します、というかこの二人がよなよななのですが。チラシのデザインは、大学の同級生でもある別の友人Kです。

 ぼくはどんな芝居なのか、関係していないのでわかりませんが、もしよろしければ足を運んでやってください。

https://www.quartet-online.net/ticket/yonayona2

 でも予約できますが、ぼくに連絡をいただければ、当日清算でチケットをキープしておきます。

 

 イスラエルによるパレスチナ侵攻はずっと胸が痛いです。

 ただ、同時にイスラエルの政府、というかネタニヤフ政権が崩壊していくことも同時進行です。

 先日、山野浩一の「レボリューション+1」(小鳥遊書房)を読み返していました。あいかわらず戦争のようなものはなくならないのだけれども、現代の戦争には、そもそも崇高なものなどなにもなく、ただ為政者の権力維持のために行われている、それほどまでに後退している気がします。それはロシアによるウクライナ侵略もそうだし、戦争にいたらない、中国や北朝鮮の挑発行為も、日本や米国の仮想敵国を作り出すやり方も同様だと思います。

 「レボリューション+1」に収録された作品のゲリラ兵士はまだ、何か公的なもの、思想を背負っていた気がします。ネタニヤフの個人的都合で戦闘するイスラエル軍兵士にとっては、それは許しがたいし、軍と政府の間に亀裂が入るのも当然だと思います。

 そうはいっても、早くパレスチナに自由が訪れて欲しいと思います。

 それはウクライナもスーダンもミャンマーも同じなのですが。そして、気候変動問題同様に、国連の無力さも感じます。

 

 その米国ですが、バイデンは出馬しないように周囲から圧力がかかっています。どうするのでしょうか。

 まあ、今年の米国大統領選挙は不人気な老人の戦いになってしまいましたから、どちらがよりマシか、みたいなことになっていますが。

 そのバイデンに向かい風になっているのが、年齢と、それからイスラエルへの対応です。特に若い世代や左派はイスラエルを厳しく非難する一方、民主党であってもユダヤロビーの影響を受けている人たちもいます。

 この先のストーリーですが、予測としては、バイデンは一方でネタニヤフを見切り、イスラエル政府を刷新し、そのイスラエルを保護する名目でパレスチナの独立への道筋をつけるのではないかと思っています。それが、大統領選挙までに行われるのではないか、と。

 同時に、ある程度見通しがたったところで、大統領候補をハリスに譲るのではないかとも思います。

 これまで人気のなかったハリス副大統領ですが、中絶問題をきっかけに、存在感が高まりました。また、バイデンよりも左派に近いこともあって、ネタニヤフを切りやすいのではないかとも思います。

 たぶん、バイデンが最初から1期で引退するのであれば、ハリスが大統領候補として注目されることはなかったと思います。まあ、まだわからないですけど。

 

 東京都知事選挙は、小池百合子の三選でした。蓮舫が落選したのは残念でした。蓮舫の都知事を見てみたかったし、次も挑戦して欲しいと思います。

 蓮舫が落選したのは、選挙運動の問題だったかな、と思います。東京都においては、政党の支援があれば当選できる、というようなものではなく、それは歴史的にも示されています。

 だから、共産も立民ももっと裏方にまわり、蓮舫がどれだけ多くの場所で演説できるのか、ということが必要だったと思います。その点で、石丸に負けていました。

 一人街宣がけっこうひろがっていて、蓮舫に対して切実な想いを持っている人が多かったことも、可視化されました。そこからもっと広がっていけばよかったんですけどね。

 問題は政治とカネではなく、東京都民の暮らしなので、そこを攻めるべきだったとも思います。政策としては、いろいろ入れていたんですけどね。

 

 政党としては、もっと補選に力を入れても良かったのではないでしょうか。政党の幹部はそちらの応援に回っても良かったと思います。

 結果として、自民と都民ファという与党が過半数をとってしまったのは、残念だと思います。まあ、共産党としても、無策だったなあとは思います。共産党は都議会では野党第1党なのですが。

 

 都知事選の話に戻ると、連合の芳野会長は共産党が足を引っ張ったというし、そもそも国民民主党の玉木も共産がいるならのれない、ということだったのですが、これは良かったと思います。

 結局のところ、連合は誰の方を見ているのか、はっきりしたし、それは国民民主党も同じです。国民民主党は政策的には自民党に近いし、なんならその昔、民社党という野党があったので、それに近いのかもしれません。民社党に近い労組が連合の中心にいては、こうなるのもしかたないですね。

 

 蓮舫支持の一人選挙街宣の拡大には、それ以前にパレスチナ解放を求める一人街宣の拡大があったと思います。該当で政治的意見を表明していく、というのは、けっこう勇気がいることです。

 街宣ではなくてもいいのですが、あたりまえに政治的なことが語られる社会になっていくことが必要だと思っています。

 その帰結として、英国とフランスの総選挙がありました。

 英国では労働党が地滑り的勝利を収めたということです。中道左派のスターマー首相ですが、労働党の勝利には、ブレグジットで閉塞的になった英国に対する打開ということがありました。

 フランスの総選挙では、第1回の投票で極右がトップに立ったのですが、これを阻止するため、与党連合と左派連合が候補者を調整しました。最大会派が左派連合になったわけです。

 マクロン大統領は、その前のEU議会選挙で極右が躍進したことに対し、危機感を持ったことで、総選挙を早めるという、おまえは野田佳彦かよ、というような行動に出たわけですが、まあそれはそれとして、国民の間に危機感が共有され、極右の過半数獲得を防いだというのは、けっこう重要なことです。サッカー選手のエムボマがよびかけたことも大きかったでしょう。

 英国の総選挙でも極右は議席を増やしました。それでも、右派的な政策が国を閉塞させるというのは、EUに先んじて経験したというのは大きいと思います。

 

 ということで考えていくと、日本は極右が国を閉塞させる、という実感がまだないのかもしれません。

 それ以前に、維新のようなポピュリズム政党が一定の勢力を持っていて、それが極右にとってかわっているのでしょうか。

 石丸も維新に近い感じがしています。ただ、表立って維新の推薦を受けてしまうと、維新のアタマにはなれないので、そういった形にはしていないのだと思います。国政に向けて政党をつくり、維新と合流してアタマをとる、なんだかそんな思惑があるような気がします。

 まともに政治が語られないので、維新のような政党が存在してしまうし、何ならN党や参政党のような謎の人たちまで議席を獲得してしまうのが、日本の政治の現状なのでしょう。

 

 都知事選では、そのN党が話題になりました。犬のポスターをはりまくったりとか。これで、公職選挙法を見直した方がいいんじゃないか、という議論が出ていますが。

 でも、問題はそっちではなく、公職選挙法そのものが古いままなのが問題です。

 立候補するということは、誰でも意見を表明できるということなので、そこは規制すべきではないと思います。

 むしろ、政策を有権者に伝えるルートが少ない事の方が問題です。政策を訴えるビラの枚数は少なすぎます。政見放送はいつでもネットで動画を見られるようにしたらいいのではないでしょうか。まあ、誰もがネットにアクセスできるわけじゃないので、テレビ放送もやるとしても。

 ポスター掲示板は、まあ、もっと少なくてもいいかな。

 

 小池もいつ都知事を放り出すかわからないので、蓮舫には再度都知事選に出て欲しいと思っています。石原が都知事を放り出して国政に復帰したという前例もあるし。そういや石原自身、都知事選で一度は落選しているんですよね。

 

 あと、蓮舫は「二位じゃだめですか」というのは封印した方がいいと思います。あれは、そもそも失敗だったので。仕分けについていえば、本丸の、たとえば高速増殖炉なんかを仕分けできなかった時点で、失敗だったと思います。

 

 とまあ、そんなこんなの7月ですが、トレッキングにも行きました。

 今回は、陣馬高原下から和田峠を経由して鎌沢から生藤山に登り、熊倉山を通って浅間峠に出るという、ちょっとマイナーなルートでした。あまり人には出会いませんでしたが、それでも山道で自転車とすれちがったのはびっくりです。

 でもまあ、暑いこともあって、水分をずいぶん摂取しました。3リットル以上飲んだかな。

 7月はゆる山歩きとかするものではないですね。夏山は高山に限る、のでしょうか。

 

 本の話などはまた次回に。

 こんばんは。

 

 今日は鳥取県倉吉市から送信しています。

 仕事できています。というか、月イチでここにきています。

 

 えーと、まず業務連絡から。先週月曜日に発売になった、週刊エコノミストの61118日号に記事を書きました。まだ店頭にあるかもしれませんので、立ち読みでもしてやってください。エネルギー基本計画について書きました。

 

 そろそろ釣り、ということなのですが、今年最初の釣りは、小田原市の米神漁港でした。まあ、なんかは釣れるので、ここに行くことにしたのですが。

 とにかく、クロホシイシモチがたくさんいます。ネンブツダイよりちょっと大きい魚です。食べると、まあ、おいしいのですが、調理がたいへんです。ということで、他の魚がなかなか釣れない、という状況でした。

 クロホシイシモチはもう少し温かい、伊豆大島以南の海にいるのですが、それが小田原で増えているというのは、温暖化の影響でしょうか。まあ、最後にカサゴも釣れたけどね。

 最近は、基本は刺身です。アカササノハベラも上手にさばけるようになってきました。クロホシイシモチはこぶ締め。でも今回はたくさん釣れたので、半分はフリーザー。唐揚げにしようと思っています。食べたい人は連絡ください。

 

 山はといえば、先月はまず、秩父方面、小川町の官の倉山に。金勝山とセットでゆる山です。なんか車道を歩く方が多かったトレッキングでしたが、楽しく歩けました。というか、最後はおがわ温泉花和楽の湯でまったり。さらに八高線のディーゼルカーのボックスシートでカップ酒を飲んだりして、何しに行ったんだか。でも、なかなか濃い山林で、面白かったです。シダがたくさんはえていると、恐竜時代のじゃんぐるっぽいですよね。

 

 その翌週は、青梅の長淵山。赤ぼっこに登ってきました。ここもゆる山です。赤ぼっこというのは、関東大震災で山頂がくずれて赤土が露出してしまったことに由来。で、長淵山という山はどこにも見当たりません。

 赤ぼっこは眺めはいいのですが、登山者が多いので、お昼を別の場所で、と思ったのが間違いで、お昼を食べられるようなベンチはその先にありませんでした。結局、駅にたどりついておにぎりを食べていました。

 

 どっちのコースも、急坂はなく、歩きやすいコースなので、ゆる山歩きにおすすめです。特に赤ぼっこはアクセスもわるくないしね。青梅から歩けるので。季節的には、ヤマツツジも終わっているので、ちょっと地味ですが、コアジサイとか、なかなかかわいいです。

 

 ジャック・ハルバースタムの「失敗するクィア・アート」(岩波書店)を読みました。ハルバースタムはあまり勉強ができる子どもじゃなかったそうで(でも大学の先生だよ)。この本では、アメリカのアニメ映画をクイア的に読み込んでいます。それもいいのだけれど、いいなあって思ったのは、ぼくらは成功した人の物語をたくさん知っているけれど、実は大多数は失敗している人たち。そりゃまあ、大会で優勝する人の背後には大量の敗者がいるわけで、失敗するのが普通なんだから、と勉強ができないハルバースタムは言うわけです。そうだよなあって思います。

 

 安部公房の戯曲も読みました。「幽霊箱子にいる/どれい狩り」(新潮文庫)と「友達/棒になった男」(新潮文庫)の2冊。

 ウージェーヌ・イヨネスコの背景にホロコーストがあるように、安部の背景として満州があるということを思いました。満州における日本軍と現地の人とのそれぞれの不条理が、後の安部の作品に反映されているのだなあ、と。

 

 あとは、チェ・ゲバラの「ゲリラ戦争」(三一新書)なんかを読んだりしています。ゲリラ兵士はお風呂に入れないので大変です。たぶん、かなりくさいです。

 

 そうそう、オキモトシュウと亜樹直の「神の雫 deuxième」の第2巻も読みました。新章は2巻で完結です。ちょっと脱力。

 18年後の彼らの姿がけっこう意外というのが、面白いのですが。続編はあるのでしょうか。たぶん実情は、「神の雫」がネトフリでドラマ化されたので、続編も2巻だけという約束で描いたということなのでしょう。でもまあ、この本を読むと、ワインが飲みたくなりますよね。

 鳥取のお土産は北条ワインです。

 

 NHKで放映していた、「6人の女たち ワケありなわたしたち」というフランスのドラマはおもしろかったです。ガンの患者やサバイバーである6人の女性がアルプスに登る話なのです。つっこみどころはたくさんあるのですが。でも、夫から自由になって自分の時間を取り戻したり、延命措置の是非を家族ではなく恋人に託したり、などなど、いろいろ重い物を抱える一方、妙に軽いところもあって、もし再放送があったらぜひ、と言っておきます。

 NHKということなら、「ケの日のケケケ」という単発のドラマも良かったなあ。

 

 とまあ、そんなこんなで、おやすみなさい。

 こんにちは。

 

 前回、告知しそこなったので。

 「トーキングヘッズ叢書No.98 特集 骨と心臓」が発売になっています。書店で手に取ってみてください。

 骨と心臓というのは、それぞれ死と生の象徴ですね。それぞれについて、いろいろな論考が収録されています。字も大きくなりました。

 

 毎日、NHK-BSのワールドニュースを見ているのですが、パレスチナのニュースで暗い気持ちになっています。今は、いつ米国がネタニヤフの首をとるのか、そこに関心があります。ネタニヤフの首をとらないと、バイデン大統領の選挙戦がもたないからです。

 一方、大学では「いちご白書」のような光景ですね。

 若い世代は、欧米がイスラエルをつくり、ユダヤ人問題を中東に押し付けてきたことに対し、支持なんかしないし、それがもう持続可能なことではないことに気付いているのだと思います。

 一方、ウクライナはどうなるのでしょうか。ロシアがウクライナ東部を掌握した形で、どこかで休戦するのではないかと思っています。もちろん、戦争で領土を広げるということは許されないけれども、それにロシアに領土を譲ってしまうことそのものが新たな問題を残してしまうのだけれども、それでもいったんは休戦してウクライナを建て直す必要があるのではないかと思っています。その上で、冷静になって考える必要があるでしょう。そうしなければ、人命が無駄に失われるだけだと思います。

 ネタニヤフは戦争が終われば失脚するでしょうし、イスラエルは分断されています。けれども、プーチンを失脚させることは難しいでしょう。そうだとしたら、いかにプーチンを懐柔するか、しかないと思っています。

 ロシアは30年近く、資源以外の産業を育てることができなかったし、そのことがプーチンの弱点になっています。それゆえに、戦争を通じて国内を統合しようということです。

 

 そんなわけで、GWは仕事してました。なんか、やることがたくさんあって。でも、仕事が進んだわけじゃないっていうのが悲しいです。

 

 このところ、毎週、山に登っています。

 といっても、あいかわらずゆる山です。

 生田緑地の初山地区。初山という山が地図にあるわけではないし、地形的には山だけれど、山頂に相当するところはゴルフ場。ではあるのですが、まあ多少のアップダウンやとんもり谷戸とよばれる水辺を歩きました。短いけど気持ちのいいコースです。その先、生田緑地の枡形山まで登れば、それなりに充実したコースになるかも、です。

 

 箱根山も登りました。新宿区にある戸山公園です。23区最高峰です。登山口の標識もあります。東京百名山にも選ばれています。標高44m、築山ではあるのですが。

 

 先週はもうちょっと歯ごたえあるところ、ということで、山梨県上野原市の高柄山にも行きました。JR中央線四方津駅からスタートし、最初はゆるやかな登りを歩くのですが、最初の山である大丸を過ぎると、緩急あるアップダウン。そして高柄山からは急な下り、急な登りで御前山、さらに急な下りになります。

 この急なアップダウンのおかげで、筋肉痛になりました。ピークでも742mしかないコースだったんですけどね。

 

 アンナ・カヴァンの「眠りの館」(文遊社)、読みました。これで、サンリオSF文庫近刊になっていたアンナ・カヴァンはすべて訳されたのかな。

 なかなかとらえどころのない作品でした。はっきりしたストーリーとかあるわけじゃなく、「アサイラムピース」よりもさらに内面に踏み込んだ作品といえばいいのかな。

 

 ポール・B・プレシアドの「テスト・ジャンキー」(法政大学出版会)のテストはテストステロンの略です。男性ホルモンジャンキーということか。でも、ホルモンがセクシュアリティをコントロールしてしまう、させるというのは、ケミカルなサイバーパンクです。

 

 ジャック・ハルバースタムの「失敗するクィアアート」(岩波書店)は、ピクサーとかのアニメを通じてクィアな表現を見ていくという試みからスタートします。

 失敗っていうけれど、世の中、100回の試みがあれば99回は失敗、くらいで。スポーツでも敗者の方が圧倒的に多い。敗者こそが大事だという。

 ハルバースタムは、どちらかといえば勉強ができなかった、と序文で書いています。でもまあ、研究者なんだから、そこまで言うのもどうか、とも思いますが。

 

 そんなこんなで、1年の3分の1が終わってしまいました。まあ、もう寒くないというだけでうれしいです。

 そろそろ近場ゆる山登山のシーズンは終わり、釣りモードに入ろうと思います。

 こんにちは。

 今年は花見はしそこなってしまいました。開花が遅かったというのもあるけれど。でも、ソメイヨシノも開花とともに若葉も出てきて、いつもとは違う感じだったと思います。

 

 前回、予告したように、栃木県鹿沼市の岩山に行ってきました。でもその前に、丹沢のエボシ山から。

 トレッキングシューズを新しくしたので、その足慣らしに、ゆるく行ける山に行きました。そうして選んだのが、大山の麓にあるエボシ山。マイナーな低山だし、道もはっきりしなくて、尾根を歩けばいいんだけど、それでもときどきルートファインディングが難しかったりとかもありました。山頂の標識のエボシの絵はかわいいんですけどね。

 ちょっと落ち葉が積もっている感じでワイルドなコースだったので、靴の感触を確かめるのにはちょうどよかったです。

 帰りは小田急を寄り道して、お風呂の王様高座渋谷店。

 

 その翌週、岩山に行きました。ここはその名の通り、凝灰岩の岩の塊で、登山道というよりは岩の間を通り抜け、あるいははいのぼって進んでいくという、アスレチックな山です。ロッククライミングの練習をしている人もいました。

 この山のメインは、山頂付近から下る、最大斜度80度、距離約70メートルの鎖場です。7本の鎖をたどって下っていくのですが、なかなかのものです。危険なので、あくまでも自己責任で、とくどいくらい標識が立っています。

 とはいえ、ぼくもここを下るために来たので、引き返せません。今回はヘルメットをかぶり、手袋をして下り始めました。

 上の方は、斜度が60度くらいだし、岩も乾いていたので、どうにか下ることができたのですが、下の方に行くと、一昨日の雨でまだ乾ききっていない上に、斜度がきつくなってきます。まあ、最後の2本ほどは、鎖につかまったまま滑り降りていきました。でも、ちょっと擦り傷ができたかな。

 本当は、ハーネスくらいつけた方がいいんでしょう。

 それにしても、やっぱりここは危ないです。埼玉県小鹿野町にある四阿屋山のツツジ新道、8mの垂直の鎖場も余裕、というくらいの人でなければ、行かない方がいいと思いました。

 この鎖場、上る人もいるんですよね。

 それにしても、鹿沼はちょっと遠かった。帰りは東武金崎駅で途中下車して、栃木天然温泉夢ロマンへ。

 

 その翌週は、公演が終わったかみさんとともに、超ゆる山。高尾にある、初沢山と金毘羅山。標高200メートルくらいで、高尾駅から1時間もしないで登れます。でもこれでは物足りないので、多摩森林科学園を散策。桜保存林こそ公開中止になっていましたが、そのかわりに入園料は100円。桜の一部は遠くからも見えました。

 帰りは竜泉寺の湯八王子みなみ野店でまったり。

 

 そして、昨日は、秋川丘陵へ。

 五日市線武蔵増戸駅からスタートし、標高300mくらいのゆる山を歩きました。弁天山から網代城山に至る道は、サクラもまだちょっと残っていましたが、それ以上にミツバツツジが見ごろでした。

 さらに小峰公園を通り、桜がほぼ終わった桜尾根を歩くわけですが、終わったといっても花びらは雨のように舞っていたりして、それなりに風情がありました。

 トレッキングの終点は瀬音の湯。

 

 しかしまあ、トレッキングとお風呂はずっとセットになっていますね。

 5月までは、もう少し山を歩いてみたいです。

 鳥取県に行く機会ができたので、大山と蒜山もちょっとねらっています。

 

 テレビドラマ「不適切にもほどがある」はけっこう楽しく観ることができました。宮藤官九郎のドラマって、はまれるときとはまれないときがあるんだけど、今回ははまれるほう。まあ、テーマの選び方も良かったし、阿部サダヲはともかく、俳優もいい感じで、河合優実は注目されちゃったかな。毎回後半のミュージカルシーンもよくできていたし、ストーリーもよく作り込んでいたし。それとSFということでは、タイムパラドックスネタもいろいろ仕込まれていて。昭和のなつかしさもかんじさせてくれました。バスもノンステップバスじゃないし。

 だからといって、昭和賛美に与しようとは思いません。だめなものはだめです。ただ、このドラマが受け入れられたのは、政治的な正しさに疲れてしまった人たちも少なくないことと、そもそも政治的な正しさについて盲目的に信じてしまったこと、というのが、背景にあるのだと思います。

 特に後者、何が不適切なのか、あまり考えてこないまま、従ってきた、という人が多いのかもしれません。そういう人には、阿部サダヲの言葉は響くのかもしれないですが、基本的には吉田羊の言っていることの方が正しいと思うのです。

 まあ、そんなことを思いつつ、楽しく観ていました。

 

 少し本の話も。

 香山リカの「61歳で大学教授をやめて「へき地のお医者さん」はじめました」(集英社)はけっこう楽しく読めました。年代も近いし、趣味も近いというのはあります。60代で新しいことを始めるというのは、ちょっと人生の軌道修正というのは、アリですね。精神科医から総合診療医になるだけでも、けっこう大変だったと思うし、北海道に移住するために自動車の免許を取得しなおすというのも大変だけど。

 

 竹村和子の「彼女は何を視ているのか」(作品社)もようやく読みました。絶版の本だし、アマゾンでけっこう高かったけど、竹村の本はこれだけ読んでいなかったので。

 クイアスタディーズを中心に論じてきた竹村だけれど、基本は文学批評の方にありました。でも、そこから少し離れて、映画に対する批評というのは、少し竹村の趣味もかんじさせるところがあって、楽しく読めます。ハリウッド映画をレズビアニズムの視点から見直していく試みとか。本当は「ジュディ・フォスター論」が中心になるらしかったのですが、それはついに書かれないままでした。

 

 中沢新一の「精神の考古学」(新潮社)も面白かったです。中沢がチベット方面(ネパールあたり)に行って、師の元で20年くらいにわたって修行してきたことが書かれています。修行していたのは知っていたけれど、ずいぶん後まで続けていたということだし、師について語ったのは初めてじゃないかな。

 森で裸になったりとか、そんなこともしているわけですが。苦行ではないんですね。むしろ、自分の身体に対していかに敏感になっていくのか、そしてそこから見えるものは何なのか、そのことは、そもそも身体が持っているものであり、かつての人間は修行によってそれを発見してきた。それを現代によって修行を通じて発掘していく。そんなことが行われているのだと思います。

 瞑想することにも意味があるし、そこで見えることは、身体というものにとっては、真実であるのだとも思います。

 

 クワハリ原作、出内テツオ画「ふつうの軽音部」(集英社)、けっこう好きです。ふつうの軽音部って、たぶんこうだよな、というところがなんかいいです。放課後ティータイムのようにはいかないです。

 あと、龍幸伸の「ダンダダン」(集英社)も読み始めてしまいました。オカルトも宇宙人も出てくるし、美少女もオタクもありだし、何なら怪獣とロボット。カオス感が半端ないです。そもそも、河野真一郎が取り上げていたのが読むきっかけだったんだけど。「怪獣8号」もそうだったな。

 

 とりあえず、「この素晴らしい世界に祝福を3」と「転生したらスライムだった件3」が楽しみです。

 こんにちは。

 春分の日ですね。風が強くて寒いですけど。でも、来週には桜が咲くとか。

 

 というわけで、予告通り、ためぐそ山に登ってきました。武蔵五日市駅から北東に歩いていきます。マイナーな山すぎて、登山口が見つからないのですが、それでもどうにかたどりつきました。何もない見晴らしの悪い里山でしたが、ちゃんとためぐそ山って書いてありました。その下、谷間には金玉水。なんかいいですね。

 ここから幸神尾根を登り、金毘羅尾根から下山。幸神尾根は整備はされていないけどなだらかなアップダウンの道、金毘羅尾根はけっこう整備されていて歩きやすい道でした。

 植林の針葉樹と常緑広葉樹でちょっと面白みには欠けるコースではありますが、そこそこ長いコースが歩けたので満足です。

 

 次回は鹿沼市の岩山を考えています。

 

 このところ、ツイッターのタイムラインはパレスチナのことで埋まっています。

 そうでなくとも、毎朝NHK-BSのワールドニュースを見るのですが、とりわけアルジャジーラのニュースを見ていると、心が押しつぶされます。ドイツのZDFは逆の意味で怒りを感じますが。

 イスラエルのしていることは、もはや頭が狂っているとしか思えないですね。でも、その狂気を育ててしまったのが欧米であり、なおかつその責任をとろうとしていないことには、怒りをおぼえます。

 そんなこんなで、岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)やサラ・ロイの「ホロコーストからガザへ」(青土社)なんかを読んでいます。

 岡についてはこれまでもアラブ文学からパレスチナ問題へ続く本を読んできましたが、「ガザとは何か」は昨年暮れの2つの講演を収めた本で、昨年10月7日のレジスタンスから現在までの背景・構造を語っています。

 「ホロコーストからガザへ」は、もう15年前の本なのですが、当時もまたハマスのレジスタンスをきっかけにイスラエルが残虐な軍事行動に出たこと、そしてとりわけドイツがそれを批判できていないこと、などが語られており、現在の構図がそのままあてはまります。また、オスロ合意に関する評価には、考えさせられました。表向きは和平の合意だけれども、裏側ではイスラエルのパレスチナ支配が進むようにつくられたしくみであること、パレスチナへの先進国の支援はイスラエルが支配することを支えていること、など。当時から南アフリカはイスラエルをアパルトヘイト国家だと非難していました。

 どちらの本も、読むことをおすすめしておきます。

 

 この件に関しては、10月7日直後のジュディス・バトラーの発言にはちょっとがっかりしたこともあります。「無資格に、ハマスの暴力を非難する」と、最初に言ったからです。

 ユダヤ人であり、かつシオニズムには批判的なバトラー(そのことは、「分かれ道」で書いています)ですから、現在のイスラエルがどのようにできたのか、パレスチナをどのように侵略していったのか、知らないわけではありません。それでも、「非暴力の力」の著者は最初にそう言わざるを得なかったのでしょうか。それとも、最初にそれを言わなければ、米国のアカデミズムから排除されると思ったのでしょうか。

 バトラーは基本的に、イスラエルを批判する立場です。だから、昨年末にフランスでの講演がキャンセルされたことにも、文句を言っています。フランスでは、イスラエル批判は反ユダヤの極右とつながってしまうので、キャンセルされたけど、でもそもそもシオニズム批判と反ユダヤ主義をつなげることの方がまちがっているんじゃないか。

 また、米国でもパレスチナを支持すると、ハーバード大学の学長みたいに辞任に追い込まれているというのは、どうかしている、と。

 後にバトラーは、ハマスに対する見方を変えています。ハマスの行為「テロではなくレジスタンスである」と、はっきり語っています。イスラエルが行っているのは、戦争ではなくジェノサイドである、と。

 少なくとも、1948年からの時間軸で見れば、今起きていることが戦争ではないことはわかると思います。

 

 結局のところ、欧州にあった反ユダヤ主義という負債を、当時英国とフランスが統治していたパレスチナに押し付けたこと、そしてその後に起きた問題について、欧米はずっと無視してきたことが、イスラエルという狂気を育ててきてしまったのだと思います。日本はパレスチナ支援という名目でこの状況の維持を支えてきました。

 多くの人がパレスチナ問題に関心を持たなかったことでは、すべての国に責任はあるけれども、とりわけ欧米には大きな責任があると思います。「共通だが差異ある責任」ですね。だからこそ、この問題の解決にあたって、本当は欧米が強くコミットしなければならないのですが、腰が引けています。

 しかし、パレスチナ問題を解決しないということは、持続可能なものではありません。紛争は拡大します。イスラエルは中東諸国にかこまれてハリネズミのように過ごすことになります。

 若い世代ほど、パレスチナ問題への負の影響が大きいし、イスラエルを通じて利益を得ているのは年寄りばかりだということでは、世代間でも違っているということです。したがって、米国でも欧州でも若い世代ほどパレスチナを支持しています。

 また、15年前と比べても、グローバルサウスの発言力が高まっているし、SNSでの発信も増えています。

 若い世代がパレスチナ問題に対する正義を求めているというのは、気候変動問題における気候正義と、相似形だと思いました。先進国が言い訳をして問題に適切にコミットできていないことも含めて。あるいは無力な国連も含めて。

 

 ただし、イスラエルによるパレスチナ侵攻には、もうひとつの側面があります。それは、ネタニヤフの政権維持という目的です。ネタニヤフは訴訟を受けています。これを回避するために、最高裁の権限を抑制し、議会が優越するという司法改革を進めてきました。

 こんな民主主義を破壊するような政権の支持率が高いわけではなく、ネタニヤフは極右政党と連立することで形を保ってきましたが、それも限界です。

 支持率が低下した政権は、仮想敵をつくり、さらに戦争を行う。これは、米国の息子の方のブッシュをはじめ、プーチンも行ってきたことだし、仮想敵をつくるだけなら安倍晋三も行ってきました。

 そうしたとき、イスラエルの狂気がエスカレートするほど、ネタニヤフの首がとばないと収まらない(比喩的にですよ)ようになってくると思います。米国民主党上院議員のトップがそうした発言をしているのも、その通りだと思います。

 問題解決にあたっては、すでにネタニヤフを戦争犯罪人として裁くことが必要になっているとも思っています。

 今のまま、仮に停戦で合意したとしても、さらにパレスチナ国家が樹立されたとしても、その先、責任をとるべき欧米が適切にパレスチナの支援をしていかないと、問題は解決しないし、イスラエルの狂気は解消できないと思います。

 イスラエルの正常化とアパルトヘイト政策の解消、パレスチナ国家が国家として運営できるだけのキャパシティビルディングに対する支援、そういったことが必要になると思います。

 

 昨年末から、映画もちょっと観ています。

 石井裕也監督の「月」は、原作が辺見庸の小説。相模原障害者施設での大量殺人事件がテーマです。宮沢りえはちょっと重い演技だったけど、二階堂ふみや磯村優斗などがいい感じで頑張っていたし、オダギリジョーもいい味出してました。というか、宮沢とオダギリの夫婦訳って、「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じですね。

 

 ヴィム・ベンダース監督の「Perfect Days」も観ました。しみじみと良かったとは思いましたけど、役所広司の老後が気になりますよね。でも、今の暮らしはどことなく、近いものがあるような気もしています。

 ついでに、帰宅してから録画しておいた小津安二郎の「秋刀魚の味」も観たりして。岩下志麻がかわいい、とか、岸田今日子のエキセントリックさもいいなあ、とか、そういうのもありますが、同時に感情的にも戦争の傷や戦後になりきれていないことがあるんだなあ、ということも感じました。

 

 前々から見たかった「さかなのこ」、沖田修一監督ですね、これも観ることができました。さかなくんの役をのんがやっているのですが、こういうこともできてしまうんだ、と。

 のんがやるっていうのは、けっこう意味があって、男性とか女性とかではなく、さかなのこである、という、そうした自分らしく生きることが前提になっています。さかなくんを理解しようとする母親役の井川遥も良かったな。

 

 他にも、録画しておいたノーラ・エフロン監督の「奥様は魔女」を観たりとか、湯浅弘章監督の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(押見修三が原作なんだな)を観たりとかしていました。

 

 そんなこんなで、仕事がたまる一方です。

 こんばんは。

 そろそろ冬も終わりですね。なんだか寒い日があるけど。

 

 まず、告知から。

 非売品なんですけど、吉田秀雄記念事業財団が発行している「アドスタディーズ」という研究誌に記事を書きました。前文、ネットで読めるので、アドスタディーズで検索してみてください。

 

 それから、3月27日~31日、タテヨコ企画の「繭の家」という芝居にカミさんが出演します。場所は目白駅と新井薬師駅の間にあるシアター風姿花伝。

よろしければ、ぜひお越しください。

 

 とまあ、そんなわけで、2月は何だか忙しかったです。とくに最終週は、バタバタ。そんななかでも、山にはいってきました。久しぶりのソロでのトレッキング。

 場所は、相模原市、旧藤野町にある、石老山、石砂山、峰山の縦走、でいいのかな。

 石砂山はヤマビル大量発生中なので、冬の間に登ろうと思っていたのだけど、アクセスが悪くて。でも、石老山を越えていけばいいかな、と。結局、長いトレッキングになったのだけれど、久々にたくさん歩きました。石老山山頂付近は雪があって、軽アイゼンを使ってみたり、とかね。

 全体はゆる山ではあるのですが、それでも4つも登ると大変、くらいです。石砂山は東峰と西峰がありますからね。

 

 次回は、ためぐそ山に登りたいと思っています。って、ためぐそ山ですよ。名前にひかれます。ゆる山ではあるのですが、まあ、何だか。まあ、名前だけで、地味な山らしいのですが。

 

 「不適切にも程がある」は、いろいろ言いたいこともあるけど、面白いので見ています。まあ、昭和はある部分ではろくでもない時代だったなあ、というところもあるし、バイタリティがあるといえばあったのかもしれないし。

 ポリコレって、基本的には正しいと思っています。だからケツバットとかしちゃいけないし、喫煙所以外でタバコを吸ってもいけないんですけど。ただ、ポリコレについて、何も考えずに受け入れてしまうと、そもそも何が問題だったのかわからなくなってしまうっていうこともあるんだなあ、ということも確認しました。

 後半のミュージカルシーンも、よくつくってあるなあ、とか。

 あと、80年代がノスタルジックな時代なんだなあって思うと、感慨深いですよね。

 

 「王様戦隊キングオージャー」も、無事最終回を迎えましたが、面白かったですよね。映像も気合入れて作っていたけど、ストーリーの方もかなり伏線をはりまくっていて、ラストでどんどん回収していくところがすごいなあ、とか。キャラクターも個性豊かでよく作り込んであるし。スーパー戦隊シリーズ最高傑作という声もあります。「暴太郎戦隊ドンブラザース」も捨てがたいですが、直球と変化球くらいの違いでしょうか。

 大人の鑑賞に堪えるだけの作品ということは間違いないです。

 このあと、Vシネマでいいのかな、「キングオージャーvsドンブラザース」と、「キングオージャーvsキョウリュウジャー」も制作されるそうですが、前者はあまりにもテイストが違う戦隊なので、どうなるかなあ、とか。キョウリュウジャーの方には、飯豊まりえも出演するので、それは楽しみだなあ、とか。メガネの飯豊まりえはいいですよね。

 

 とかまあ、そんなこんなで、もうすぐ3月です。

 吉田秀雄記念事業財団が発行している季刊「アドスタディーズ」に記事を書かせていただきました。
 Webでも読むことができます。基本的な内容ですが、わりと日頃考えていることも含めてまとめてあるので、もしよろしければお読みください。
https://www.yhmf.jp/as/postnumber/vol_86_06.html

 こんにちは。

 今日は大寒です。寒いのは苦手です。ということで、今年最初のどんぶらこ通信です。

 

 まず、告知から。

 1月15日に発売された、週刊ダイヤモンドには、ぼくが書いたダイヤモンドオンラインの記事が転載されています。脱炭素の注目会社です。

 

 それから、今月末には、トーキングヘッズ叢書No.97 「LOST PARADISE〜失われた楽園」が書店に並びます。今回は、ガッサーン・カナファーニーの小説と、イスラエルSFアンソロジー「シオンズ・フィクション」を中心に、ガザのことを書きました。

 ガザで起きていることは戦争ではなくジェノサイドだと思うし、ハマスの攻撃はテロではなく占領に対する抵抗だと思っています。

 とにかく、1秒でも早くこの事態が終わることを願っています。毎日、NHK-BSのワールドニュースで、とりわけアルジャジーラのニュースでガザを見るのはつらいです(そして、イスラエル側の報道をするドイツの放送は不快になりますし、その点でスペインの放送はあまりバイアスがかかっていなくていいです)。

 

 年末年始は、何かのんびりと過ごしていました。

 恒例の七福神めぐりですが、2日に千寿七福神、3日に取手七福神に行きました。

 取手を選んだ理由は、1月8日で湯楽の里取手店が閉店になってしまうので、その前に行こうということです。

 でもまあ、年始の利根川沿いを散歩するのも気持ちのいいものでした。

 

 年末には、友人W他2名とともに、関八州見晴台のトレッキング。西吾野駅からスタートし、高山不動尊を経由して目的地へ。その名の通り、武蔵、上野、下野、相模、常陸、下総、上総、安房の8州が見渡せる低山です。まあ、実際にはそこまで見えませんでしたが。

 ゆる山歩きのあとは、休暇村奥武蔵で温泉につかってきました。

 

 今年最初の山は、北区の飛鳥山でした。まあ、トレッキングというほどではないですが、標高25.4mの山であることは間違いありません。飛鳥山は何度も行っているけれど、今回初めて山頂の標識を見てきました。

 

 今年2つ目の山は、相模原市の津久井城山です。山全体が津久井湖城山公園になっていて、山頂は標高375m、飛鳥山よりは高いですね。

 元々、城があったところで、遺構があって、それなりに歴史を感じます。

 帰りはバスがなくて、バスの多いところまで1時間くらい歩きましたが。

 

 最近、気になっているのが、武蔵五日市の方にある、ためぐそ山です。これもゆる山なのですが、名前のインパクトが強いですね。そのうち、行ってきます。

 

 昨年末に読んだのが、ジュディス・バトラーの「この世界はどんな世界か?」(青土社)です。

 コロナ危機をきっかけに、社会の格差が浮き彫りになったと思います。エッセンシャルワーカーという言葉ありました。医療従事者を含めたケアワーカーは、パンデミックの危機の中でも仕事をしなきゃいけない。経済だけではなく命の格差まであります。

 お金持ちは自宅にこもり、ギグワーカーの人たちが料理を届ける、というのも同様です。

 私たちはそういう世界に生きているということです。

 

 カレン・ティ・ヤマシタの「三世と多感」(小鳥遊書房)は、おすすめの短編集です。

 名前の通り、日系アメリカ人です。邦訳された「熱帯雨林の彼方へ」(新潮社)の印象が強くて、マジックリアリズムというイメージがありますが、まあ、もっとトリッキーです。

 どのように移民がやってきて、どのような歴史をたどり、今にいたるのか、一世、二世とどのようにちがっているのか。

 最初の短編、「風呂」を読むと、入浴という文化をめぐって、日系人の姿が描かれます。日本に行き、銭湯に入ったりもします。

 でも、そうしたことが、常に視点をずらしながら書かれていて、そこはマジックリアリズム的なものに通じていきます。三世は日本人ではなく、日系アメリカ人だし、そこには、日系アメリカ人として生きること、第二次世界大戦中に収容所に送られたということも含めて、バトラーのいうパフォーマティビティというものがあるのでしょうか。

 

 シオドラ・ゴスの「メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ」(早川書房)は、アテナ・クラブシリーズの三冊目にして完結編。登場人物が途中でしゃべりだす独特のスタイルが楽しい本です。

 ヴィクトリア朝、フランケンシュタインやモロー博士の娘たちが活躍するのですが、ゴスもまたフェミニズムを意識していて、アテナ・クラブのメンバーがしゃべるのは、当時消されていた女性の声を書いているということだそうです。その声が心地よく響きますし、当時の男性社会の問題をやんわりと告発します。

 前作、欧州旅行は、旅行のシーンがちょっとだらだらしすぎているなあって思いましたが、今回はもう少し引き締まった感じです。それに、メイドのアリスがヒロインとして活躍することそのものもまた、ゴスの女性に対する考えが示されています。

 

 岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)は、ガザについて知りたい人はぜひ、読むといいと思います。昨年末に行われた2回の講義をまとめ、緊急出版したものです。

 岡はそもそもイスラエルという国が70年以上もパレスチナを侵略してきたことが問題であるといいます。そして、ガザが封鎖され、パレスチナ人が希望がないまま暮らしているといいます。そこでのハマスからの攻撃は、むしろ自衛のためのものだし、ハマスが最初に攻撃したのはイスラエルの基地だったといいます。

 イスラエルがパレスチナ人に対して行ってきたことは、生命ではなく生きる希望を奪うようなジェノサイドだったし、そうした中、現在は本当に命を奪っているということになります。

 ぼくがトーキングヘッズ叢書に書いた文章とともに、読んでもらえるとうれしいです。

 

 昨年は、果実酒をたくさんつくりました。誰も見向きもしない、公園とかのサクラやヤマモモやヒメリンゴ、街路樹のヤマボウシなどを使っています。これが、思いのほか、よくできています。ヤマボウシはけっこう甘い果実酒だし、ヒメリンゴは食べると渋いのだけれど、果実酒はいい香りと甘み、酸味のバランスがいいのです。

 できれば今年も作りたいとは思っています。まあ、公園の果実を持ってくるのは、あまり褒められたものではないですけど。

 でも、食べられる木がそのあたりにたくさん生えているというのは、悪いことではありません。というか、都市にそうした木を増やそうという運動もあるそうです。それは、困難な生活をしている人たちの食糧の一部にもなるからです。それがすべてを解決するのではないにせよ、食べられる公園、食べられる街路樹というのは、それはそれで豊かなものだとも思います。

 そうなったら、ぼくは自分が味見をする分だけ、少しだけいただければ、とも思います。あとは、例えば子供たちがおやつにしてもいいし。まあ、ヤマボウシなんかは、食べるとモモみたいでおいしいですよ。

 

 ということで、ではまた。

牛乳通信 第102

 

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♪あけましておめでとうございます?

 あまりめでたい感じがしないですよね。一昨年のロシアによるウクライナ侵攻に加えて、イスラエルによるガザ侵攻。とりわけガザについては毎日ワールドニュースでアルジャジーラなどの映像を見ているので、本当に気が滅入ります。

 ということに加えて、元旦から能登半島地震。地震そのものこそ自然災害だけれど、その後の鈍い対応など、銅かと思います。

 というだけではなく、昨年は両親が相次いで旅立ってしまったので、喪中というでもあるのですが。

 

♪釣りとトレッキング

 トレッキングですが、昨年は、西丹沢の檜洞丸と、群馬県・栃木県の県境にある日光白根山に登りました。この2つはまあ、ちょっと本格的に近いかもしれないです。

檜洞丸は、知人の車(テスラを自慢したかったらしい)で登山口まで行ったので、往復は楽でしたが、山頂付近以外はちょっときついだけの山だったかも。

日光白根山は、途中までロープウェイを使ったので、ゆるいですね。でも高山植物は見ごたえがあったし、山頂付近はワイルドでした。

他には、筑波山をはじめ、いろいろなゆる山に登りました。低いところでは、生田緑地の枡形山とかもあります。「ヤマのすすめ」がきっかけで、飯能アルプスの子の権現も行きました。最後は、昨年同様、友人4人(みんな還暦+1)で関八州見晴台。

 表丹沢は行きそこなったけど、陣馬山から高尾山への縦走は今年もしたし。今年はどこに行くのでしょうか。

 釣りは、小田原の米神漁港と江之浦漁港に行きました。なぜか、クロホシイシモチというネンブツダイに似た魚がたくさん釣れました。今年のテーマは、釣った魚はすべて刺身にする、ということです。ベラもゴンズイも刺身です。スズメダイの刺身はまあおいしかったし、カゴカキダイやメジナもまあまあ。クロホシイシモチは刺身よりも昆布締めがおいしかったです。

 本当は、カサゴとかハタとか釣りたかったんですけどね。根魚を釣るのが好きなのですが。なかなか簡単にはいかないです。

江戸川放水路のハゼ釣りも一回だけ行ったけど、雨が少なかったせいか、なんか川が少しどぶみたいな匂いで、ちょっとなあ。いや、釣ったハゼは天ぷらでおいしくいただきました。

 

♪筋トレと水泳

 昨年夏の終わりから始めたのが、筋トレ。それに水泳も復活し、週に一度は1200mくらい泳いでいます。

 なぜそうなったかというと、血糖値が上がったから。HbA1c7.5まで上昇してしまったので、最初は薬を飲むことにしました。でも、糖尿病の薬を飲むと、倦怠感がひどいです。体重は3㎏くらい減ったけど。慣れもあるのですが、医者と相談し、薬をやめて、筋トレと食事に切り替えたのです。ということで、毎日筋トレをしています。短い時間だけど、腹筋を中心にスクワットとか腕立て伏せとか、スマホアプリをガイドにしてやっています。筋肉がつくと、糖を消費してくれるので、血糖値が下がります。かくして、現在はHbA1c6.5、高めだけれど薬は不要なレベルに下がっています。まあ、実際に少しは筋肉がつきましたし、お腹もちょっとへこんだかな。糖尿病の薬で減った体重は、今のところキープしています。

 

♪資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか

 2023年もそれなりに本を読みました。

最初に、イヴ・コゾフスキー・セジウィックの「タッチング・フィーリング」(小鳥遊書房)がじんわりときました。セジウィックといえば、ジュディス・バトラーと並ぶクイア理論の開拓者なのですが、この本はそうした部分だけではなく、セジウィック自身が死を意識して書かれたところもあります。チベット仏教にそって、死ぬ瞬間まで人は学ぶ、そうした生き方について述べられています。自分らしく生きるためのフェミニズムの一つの到達点かもしれません。

ナンシー・フレイザーの「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)は、昨年のおすすめの1冊です。タイトルそのまんまの内容ですね。資本主義のしくみはお金をお金があるところに集めてしまうので、豊かさの再分配がそのままではできないのだと思います。99%の人は1%のお金持ちの側にいないわけです。

そもそも、社会が進歩すれば、誰もが幸せになるはずです。それはジェンダーや障害の有無にはよらないし、親ガチャとかもないはずです。ということを意識しているので、立岩真也が亡くなったのは、かなりショックでした。この機会に、「弱くある自由」などいくつも読みました。とても読みにくい本ではあるのですが、人が生きていけるというのは、とても大切なことだと思うのです。

そうしたことから遠く離れたところにあるのが、今のガザです。ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って/太陽の男たち」(河出文庫)は、パレスチナが置かれた状況が伝わる短編集です。ぜひ読んで欲しい本です。

東京に長い事住んでいるということもあって、源川真希の「東京史」(ちくま新書)はおもしろかったです。近現代の東京が、どのように成り立っていくのか、時間軸というよりテーマごとに読み解いていって、新たな見方を提示してくれます。著者は、大学の同級生なんですけどね。つきあいはないけど。

小説は、新刊ではジョン・スラディックの「チク・タク」(竹書房文庫)が面白かった。ロボット三原則が壊れた主人公が人を殺しつつ副大統領候補になっていくというブラックなコメディだけど、トランプってこんな感じだよな、と思ったりもします。

アリ・スミスの「五月 その他の短編」(河出書房新社)も面白かったけど、スミスは基本的に長編作家ですね。トリッキーな作品が短編ではそのことが目立ってしまうので。

それから、ジャン=フィリップ・トゥーサンの「ぼく」とマリーの4部作の最後がずっと翻訳されなかったので、英訳で読みました。「裸の人」というタイトルになるのかな。ラストがすごく印象的でした。チョコレート工場の火災による強烈な香り、墓地に降る冷たい雨、そこでマリーに告げられること。死を超えて生につながっていく見事なラストでした。4部作の最後だけが翻訳されないなんて、犯罪だと思います。

マンガは、完結した次の3つが印象的。ペトスの「亜人ちゃんは語りたい」(講談社)は、障害者や外国人などへの差別に対する批判、秋本治の「ブラックティガー」(集英社)はジェンダーとLGBTQを意識した西部劇、坂井恵理の「シジュウカラ」(双葉社)は家父長制とエイジズムに対する批判、というそれぞれの側面を持った上での、エンターテインメントなのです。

 

♪「王様戦隊キングオージャー」はちょっとすごかった

 一昨年の「ドンブラザース」がカオス的でちょっとすごかったのだけれど、昨年の「王様戦隊キングオージャー」は逆にしっかりと構成されたドラマと力の入ったCGによる背景を使った異世界ということで、これまでのスーパー戦隊とは一線を画す、とんでもない出来になっています。クォリティの高さにはびっくりします。キャラクターの一筋縄ではいかないし、伏線はこれでもかっていうくらい張り巡らされていて、それがきちんと回収されていくし、スーパー戦隊シリーズの最高傑作という声もあります。まだ、最終回は先だけれど、歴史に残る作品だと思うよ。

あとは、「昨日何食べた2」は、けっこう楽しく観ていました。「ギョギョっと、サカナスター」は、NHK Eテレの番組なのですが、とても好きです。まあ、魚が好きなだけじゃなく、サカナくんもいい感じなのだけれども、香音のちょっと外しているところがかわいいので、それも魅力です。

 

♪その他、仕事の周辺

 4月に、久しぶりのまったくの新著となる「図解即戦力 脱炭素のビジネス戦略と技術がこれ1冊でしっかりわかる教科書」を技術評論社から出しました。長いタイトルですね。でもまあ、脱炭素をめぐる動きとか背景とかは、だいたいこれでフォローできるものにしたつもりです。といっても、ビジネス書なので、ちょっと敷居が高いかも。本屋で見かけたら、コラムのところだけ読んでみてくださいね。

他にも、週刊エコノミストとかにも記事を書いたし、年末にはダイヤモンドオンラインにも書きました。年明けには、また別の媒体に書いた記事が出ます。

でも、仕事のメインは、H Energyという韓国企業の日本進出の基盤づくりでした。エネルギー関係の仕事ですが、まずは入り口を探す1年だったかな、と。今年は、日本でもきちんと事業ができるようにしたいですね。

もう一つは、鳥取県倉吉市のお手伝いもしています。今年は、鳥取県に行くことが増えるかもしれません。大山には登りたいですね。

 

♪トークングヘッズ

 「トーキングヘッズ叢書」でも、毎回寄稿しているので、よろしかったら読んでやってください。身体と恋をテーマに、レベッカ・ブラウンやジャネット・ウィンターソン、モニック・ウィティグなどについて書いたり、銭湯とかMINAMATAとか団地について書いたりしました。

 あと、観た演劇は基本レビューしています。

 あと、フェリシアはまだ残部があるので、読みたい方は連絡ください。

 今年は別のメディアにも書くことを計画しています。これも、リリースしたら報告します。トラディショナルな暴力について書こうと思っています。

 

♪最後に、パレスチナのことなど

 イスラエルによるガザへの攻撃の映像は胸が痛みます。毎日100人くらいの人が死んでいるのです。正当化されるものではありません。同時に、それに対してほぼ何もできない世界の無力さにも絶望したくなります。

 言っておくと、ぼくはハマスをテロ組織だとは思っていません。むしろ、オスロ合意すら守ることができず、ガザに人を閉じ込め、ヨルダン川西岸に入植するイスラエルが侵略組織だと思っています。侵略されている側が攻撃したとして、誰が責められるでしょうか。むしろ、そうした悲劇を防ぐことが、イスラエルが和平に応じることだし、欧米が支援することだと思うのですが。

 イスラエルとロシアがともに侵略国家であるにもかかわらず、欧米の対応はまったく逆です。このダブルスタンダードに、先進国の偽善を感じます。日本政府も同じです。

 日本のことも考えます。一昨年暮れに、タモリが徹子の部屋で現在の日本を新しい戦前だと述べたと言います。でも、ぼくはむしろ、いまだに戦後にたどりつけていないのではないかと思っています。日本国憲法が体現しようとした国家像にキャッチアップできていないのが今の日本です。

 東京オリンピックが負のレガシーを残し、大阪万博が日本の恥をさらすように進んでいく。円安が進行しているのを見ると、戦後が逆回しで進んでいるようにも見えます。でもそれは日本だけではなく、トランプ人気の米国をはじめ、右翼が台頭する欧州、あるいはロシアも中国も同じかもしれません。そんな中で日々暮らしているのだと思います。

 えーと、それはそうとして、東京ヤクルトは昨年は5位でしたが、今年は再び優勝して欲しいと思い、応援します。国を背負ったスポーツは好きではないですが、ファンとしてチームを応援するのは好きです。

 それに、春になったら花見がしたいですね。昨年は光が丘公園でやったのですが、今年もそこがいいかな。

 ということで、今年がいい一年でありますように。

 こんにちは。

 もう年末ですね。気持ちは冬休みです。

 

 まず、業務連絡から。

 今年も友人Wが状況します。ということで、1228日は里山ウォーキングをします。

 計画では、西武秩父線西吾野駅930分集合、高山不動尊と関八州見晴台を目指します。

 もしよろしければ、一緒に行きましょう。

 

 次は告知。

 週刊エコノミストに記事を書きました。といっても、2週間前に発売になったものなので、大書店でバックナンバーを立ち読みするか、Webの有料記事になってしまうのですが、2024年の原発再稼働などについて書きました。

 このあと、さらに2誌ほど、掲載予定がありますが、それはまた追って。

 

 息子が来年2月にオペレッタに出演します。210日と11日、北とぴあで、「シューベルトの青春~三人姉妹の家」です。もしご関心があれば、ぜひ。

 

 前回、糖尿病の薬をやめて、筋トレを始めたことを書きました。おかげさまで血糖値は下がりました。あいかわらず、毎日筋トレをしています。メインは腹筋、休日は全身、それに週一回のプール。コレステロールだけは下がっていないので、これはアトルバスタチンを飲んでいます。多少、筋肉はついてきました。

 

 友人Kがつくば美術館でグループ展「鴇展」を開催しているので、行ってきました。第44回だそうで、足掛け40年ですね。今回はつくばでの開催なので、アクセスがいいので、行ってみたというところです。

 けっこう広い展示スペースで大きな作品が多く、いろいろ面白かったです。

 40年という時間をどう考えるのか。世界はその間にどうなっているのかな、とか。目の前の風景がどんなふうに見えているのか、とか。人の心をどのように反射するのか、とか。

 友人Kの作品は4点。1つはリスカするリカちゃん人形に目が行ってしまいますが、その背景には原爆も原発もよど号もあさま山荘もあります。日本国憲法は沼に沈んでいきます。戦後、結局のところ日本人は少しも成長しなかったのかな、と。

 タブレットの画面にガザとウクライナの画像が背景として置かれていて、おなかからケーブルを出している女性。日本とイスラエルとロシアの国旗が重ねられていて、つながっているというのでしょうか。

 

 美術展といえば、近くの世田谷文学館で江口寿史展もやっているので、足を運んでみました。いろいろ懐かしかったりもします。やっぱり、江口が描く女性はいいですね。

 

 先月と今月、小田原に釣りに行きました。江之浦港と米神漁港です。

 釣果はいまいちでしたが、それでもネンブツダイ系のクロホシイシモチがたくさん釣れました。

 釣った魚は刺身にする、というのが最近のテーマ。ゴンズイも刺身にしました。今までは天ぷらとかにしていたけど、それだとカロリーが高いので。

 あまり大きくないけど、かみさんがスズメダイやカゴカキダイを釣ったし、メジナも釣れたので、それはまあ刺身としてはおいしい方でした。

 あと、クロホシイシモチはこぶ締めにしてみました。これがなかなかおいしかったです。このためだけに、またクロホシイシモチを釣ってもいいかな、と思うくらいです。

 

 来年は、もうちょい食べがいのあるサイズの魚を釣りたいですね。

 

 秋から冬にかけての登山は、その後、神奈川県の藤野にある日連アルプス、陣馬山から高尾山への長いトレッキング、そして逗子の神武寺から高取山までのゆる山歩き。

 冬が近づくと、紅葉もほぼ終わりかけているけれど、落葉広葉樹が葉っぱを落としているので、視界は広くなります。もっとも、三浦半島は常緑広葉樹の林なので、そうはいかないですが。

 三浦半島でトレッキングをすると、特定外来種のタイワンリスをたくさん見ることができます。

 

 本はいろいろ読んでいます。

 ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って/太陽の男たち」(河出文庫)は今だからこそのおすすめです。パレスチナの小説です。パレスチナがどのような場所に置かれているのか、伝わってきます。

 ぼくはハマスをテロ組織だとは思っていません。そもそも、イスラエルがパレスチナを侵略したのですから。

もっと言えば、イスラエルではなく英国なのですが。そのことは、ファドワ・トゥカーンの「『私の旅』パレスチナの歴史」(新評論)で、1920年代から1967年までのこととして描かれています。

女性であるトゥカーンは、英国・イスラエルによるパレスチナへの侵略と、アラブ社会における女性差別を経験します。アラブ社会は変わっていきますが、イスラエルはより強硬になっていきます。

 

 イスラエルの小説も読みました。「シオンズ・フィクション」(竹書房文庫)というイスラエルSFのアンソロジーです。この本を読んでいると、イスラエル人がホロコーストのトラウマをかかえ、中東諸国に囲まれた中で怯えて暮らしているというメンタリティが伝わってきます。でも、イスラエル人には同情はしません。和平の決定権を握っているのがイスラエルなのですから。

 ただ、そうしたことを見過ごしている、ロバート・シルヴァーバーグのまえがきには、ちょっと絶望的な気分にもなります。

 

 森達也編「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか?」(論創社)は、日本における排除と差別を扱った本です。いつのまにかベンチは真ん中に仕切りがあるものばかりになりました。これって、寝そべることができなくって、良くないですよね。誰にとっても不便なものにするというのはなぜなのか。

 この本は、日本社会において、ホームレスをはじめ、シングルマザー、生徒、外国人などがいかに排除されているのかが語られています。

 ぼく自身、まだ東銀座で仕事をしているとき、地下通路に排除アートが置かれて絶望的になりました。20年以上前のことです。当時、銀座から東銀座に向かう通路にはホームレスの人たちが住んでいました。でも、そこで寝泊まりできないように、干支の置物が置かれたのです。

 ホームレスの人を排除したところで、その人たちがいなくなるわけではなく、より過ごしにくい場所に行くだけです。何も解決しません。

 学校も同様です。いじめられている生徒の方を排除すれば、問題は片付く。その程度です。

 森がまえがきで書いているように、日本人は戦後、マッカーサーから12歳って言われて、でもそのあとも少しも成長していない、そう思います。

 ほとんどの教師が人権について考えたこともない、そんな学校に子供たちが通っているということは、絶望的ですらあります。

 いろいろ考えさせられる、というか見えにくいものを見せてくれる本なので、おすすめしておきます。

 

 大江健三郎の「親密な手紙」(岩波新書)も読みました。大江の著作はいくつかは読んできたし、現代に対する問題意識も明確だし、だいたいは同意します。ヒロシマや沖縄、あるいは原発の問題も、その通りだし、日本国憲法は第9条を含めて守られるべきだと思います。

 でも、やはり少し違うなあと思うこともあるのです。

 大江がもう少し人権ということを考えていたら、違ったのではないか、と思うのです。

 「親密な手紙」にも、しばしば息子のことが話題として出てきます。しかし、これまで小説やエッセイなどで大江が息子のことを書いた時に、息子の人権って守られていたのだろうか、そのことが少し気になりました。

 ぼくはずっと以前から、死刑制度がなくならない限り、憲法第9条は変えられる危険性が高いって言ってきました。結局のところ、死刑制度も、人をこの世から排除するしくみでしかないのです。それで問題が解決するわけではないのです。

 別に、死刑だけの話ではなく、「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか?」で取り上げられた、シングルマザーの貧困も、使い捨てられる外国人労働者も、生活保護受給者予備軍も、見えないところに排除されているのです。

 そう思うと、大江のこのエッセイが、成城に住むお金持ちの話にしか見えなくなってきます。というのは言い過ぎかもしれないのですが。

 大江が「沖縄ノート」で沖縄の人たちがいかに本土の人たちによって使い捨てられてきたのかを感じ取ることはできます。それでもやはり、戦後28年たっても、日本人は12歳のままだということにたいして、多少なりとも知識人の責任というのはあってもいいと思います。

 

 古川健の「追憶のアリラン」(ハヤカワ演劇文庫)も読みました。太平洋戦争末期の挑戦とそこから帰ってきた1948年の2つの時代を行き来しながら、日本人がいかに朝鮮人を排除してきたのかが語られています。この作品の舞台は観たことがなかったので、こうして本で読んだわけですが。

 古川は劇団チョコレートケーキでの作品を中心に、歴史を掘り起こし、日本人が何を間違えたのかを上演し続けています。今年観た「テレビより愛をこめて」は、古川としては異色の、特撮ドラマの撮影現場を舞台にしたものでした。「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」というエピソードを軸に、構成された作品でした。

 そこでは、「ウルトラマン」でのジャミラやウー、「ウルトラセブン」でのノンマルトやギエロン星獣もまた、排除される存在でした。

 

 結局のところ、排除の論理は戦前から現在まで変わっていないし、それは地続きでもある。

 それは時間軸だけではなく、パレスチナに対するダブルスタンダードということにまでつながっている。

 そうしたことに見えづらいままにしておく日本人は成長しなかったけれど、今の欧米を見ると、彼らもまた似たようなものに思えてきます。

 けれどもそうした中で、若い世代ほどパレスチナを支持している、そういうところにはまだ希望があるかもしれません。

 

 セネガル系フランス人のマリー・ンディアイの戯曲「パパも食べなきゃ」もまた、フランス社会において黒人がどのようなところにいるのか、そうしたことが描かれています。排除される中で、必ずしも幸福になれるわけではないけど、愛しあうことはできる。そうした救いを多少なりとも見出すことができます。

 

 そんなわけで、ではよいお年を。