こんにちは
昨日は2日分を間違えてアップしてしまったので
今日はつぶやきです
安房神社で感じた私なりの疑問を解消すべく
天太玉命について知らべてみました
天岩戸伝承で、オモイノカネの考案した策の善し悪しを判断するため、
アメノコヤネと共に、太占(ふとまに)と呼ばれる占いを献じた神。
このため、祭祀(神事)や占いを司る神とされ、その末裔は、
その後も朝廷の祭祀を司る氏族として要職をかねていったといわれる。
その末裔というのが忌部氏(斎部氏)ですね。ふむふむ。
忌部氏について調べてみると
古代の有力氏族の一つ。古くは忌部と記し、延暦(えんりゃく)年間(782~806)より許されて斎部と記すようになったが、「忌」「斎」はともに神を祀(まつ)るための斎戒(さいかい)の意。日本神話で、天孫降臨に中臣(なかとみ)氏の祖天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに随従した天太玉命(あめのふとだまのみこと)の子孫といい、中臣氏とともに祭祀(さいし)のことをつかさどり、のち一族が、伊勢(いせ)、安房(あわ)、出雲(いずも)、紀伊(きい)、阿波(あわ)、讃岐(さぬき)、筑紫(つくし)などに発展、神に奉る供物を調えた。しかし、大化改新(645)以降、中臣一族が政治上の力をもつとともに、神祀(じんぎ)祭祀上の地位でも優位を示し、斎部氏はしだいに後退した。ために、807年(大同2)斎部広成(ひろなり)は『古語拾遺(こごしゅうい)』を撰(せん)し、その不当を訴えたが、さらに衰えていった。徳島市の忌部神社、千葉県館山(たてやま)市の安房神社はともにその祖神を祀る。
と詳しく書いて書いてありますが、
神様の中でも神事(や占い)を司る神で
その末裔とされる忌部氏は神主さんや巫女さん(占い)の祖という事でしょうか?
すみません💦頭がかたくて💦
そういえば、日枝神社にある境内社で巫女さんが祈祷していた。
巫女さんといえば
古来より巫女は神楽を舞ったり、祈祷をしたり、占いをしたり、神託を得て他の者に伝えたり、口寄せなどをする役割であったが、明治以降は神社で神事の奉仕をしたり、神職を補佐する役割へと変化していった。wekipedia
とあるし、よく考えてみたら巫女さんて本来そういう役割だったよね。。
少し話はそれましたかね
先日、たまたま三島神社を初参拝したのですが
四国の大山祇神社⛩の神様なのだと気付きました(忘れっぽいね~)
タイミング的に何か繋がりがあるのか?とも思い
さかのぼるって調べてみると
伊と予の二つに別れていた歴史までは見つかりましたが
結局は伊予国、阿波国ともに四国にいらっしゃる神様繋がり
という事くらいしか今のところわからず
やはり、前世の何処かでその辺りにご縁があったのか?
また、気付きがあれば記録しようと思っています
日々是好日「好し!」
素敵な一日をお過ごしください