おはようございます。
京都2日目
智積院⇨八坂神社から知恩院へ
母の命日が翌日のこの日、
お写経を納めようと参拝しました。
先ず阿弥陀様会いに行きました。
相変わらず優しい阿弥陀様^ ^
次に法然上人の御堂に寄り、
その後、御廟の方に向かうと
上がると御廟で大勢の僧侶が揃ってお経をあげています
なんてラッキー
少しでもお経を聴きたいと、写真を撮るのも後回し
「昨日は比叡山へ行きました」とか、
「明日は母の命日なんです〜」etcと、法然さんにお話しました。
法然様
いつもありがとうございます。
あの世で、母は元気ですか?
私の供養の想いは届いてますか?
17回忌を迎えます。50代で少し人よりも早く亡くなりました。
母の顔が笑顔で浮かび、
なんだかその場で会えた感じがして涙が出てきました。
僧侶が南無阿弥陀仏を一心に唱え始めたので
一緒にお唱えしました。
比叡山へ参拝するにあたり、
最澄さん、親鸞さん、そして法然さんの事も
簡単にではありますが、調べていました。
母の菩提寺でも仏像の法然さんのお姿を拝見していますが
正直なところ、よくわかっていませんでした。
法然さんが残した誰でも一心に「南無阿弥陀仏」と唱える専修念仏の思想。
誰でも、簡単に唱えられ、阿弥陀様に想いを届ける事ができる。
改めてありがたいことだなぁと思っていたら
後ろから僧侶の人が来て
「良かったら中にお入りになりませんか?」
とお声をかけてくださいました。
えーいいのですか??ありがたいです(T . T)(T . T)
お言葉に甘えて上がらせて頂き、
その僧侶の方々の後ろに座り、一緒にお唱えしてきました。
木魚の音と、僧侶の「南無阿弥陀仏」の声だけ。
この中に私がいるなんて勿体ないことか・・・・。
感動してまた涙が溢れてきました。
冷静になると
こんなシチュエーションあり?
私は法然上人に会えたのでしょうか。
はたまた、阿弥陀様のお導きでしょうか。
お声をかけて頂いた僧侶さんに厚くお礼申し上げました。
静寂の境内