おはようございます
宇治上神社にやってきました。
宇治神社からは2、3分位?
とても近いのですが
何やら雰囲気が違ってきました
神社としても、趣が少し違うように感じます。
なんだろう、雅な感じはあるのに、誰かのおうちに招かれている感?
「桐原水」(きりはらすい)
名水、湧き水だそうです。
こちらが拝殿です。
拝殿は鎌倉時代前期に建立されたもので国宝に指定されています。
平安時代の貴族の住宅様式である「寝殿造」となっていてるとありました。
御祭神
中殿 応神天皇(父君)
左殿 菟道稚郎子(弟君)
右殿 仁徳天皇(兄君)
応神天皇(;^ω^)
やはりこれは学ぶべきことがありそうです。
本殿は最古の神社建築、世界遺産。
神々しさよりも私には親しみさを感じるお社でした。
神様を感じようと脇に行きましたが
虫がまとわりついて離れず、
私を追い払う雰囲気ではなかったのですが
神域なので邪険できず、
正直集中できなかったです(;^ω^)
なのでとりあえず
御朱印をいただきに^_^
そして、こんなものをみつけました。
色々な説があるとは思いますが
このお話が本当だったならばちょっと胸を締め付けるようなお話です。
石清水八幡宮の神様に、
この後行くところで勉強しなさいと言われているように感じたこと、
この日本書紀に書かれているこのお話を知ることが
その一つだったのだと考えました。
神様仏様ってよく考えたら摩訶不思議な存在ですよね
個人的な考えですが、
異次元の世界の神様は人間なんかが到底及びもしないし
精霊だったり天使だったり、未知の世界な存在なものは、
100歩譲って理解するとしても
人間が神様になるってどんなこと?って・・・。
祀られている人(菟道稚郎子)ご本人が
この宇治上神社の神様になっているか、いないか、は別の話として、
人が神様になる場合、
喜び以上に様々な苦しみや悲しみなど沢山の経験されたからこそ人々を助けたいと思われるだろうし、
そういう神様だからこそ、人々を慈しむことができるのではと思いました。
そしてそんな神様が
何十年、何百年、何千年と人々を守り
願いを叶える為に動いてくださっていると考えたら
もっともっと神様に対しての
ありがたさが倍増しませんか?
私は感謝が倍増しそして親近感も湧きました
今更そこに気がつく?と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが
実際に参拝している神社を通して
身近に感じることが大きな学びになりました。
参拝場所変更して、良かったです(^^♪
御神木
時間がなく結局神様を
上手く感じることができずに
次へ向かいました!!
続く・・。