誰かが言った

「人間の本質は変わらない」


ほんどな。


ダメなやつはどう転んでもダメだわ。

いやんなる。
数少ない友人、M


ほんとにいいやつ。


なかなか勘違いされやすく、ちゃらんぽらんに思われやすいけど、、、


ただ、ピュアなだけ。

ほんとに純粋なんだよ、彼は。


腹黒い俺とは大違い。



幸せになってほしい。
何かの形に残しておきたくて書きます。
長文、乱文のため、読むのがめんどくさい方は飛ばしてください。





私には二つ歳の離れた姉がいました。

「いました」と言うのは亡くなったからなのですが。




私達はとある田舎の喫茶店の子供たちです。

昔からお客さんたちと家族のような生活を送る、ふるーい喫茶店です。


姉はできた人でした。

小学校高学年で、姉が母に言いました。

「私、将来ボランティアをする人になる。」


すると、母は

「ボランティアでは食べてはいけない。

同じ人のためにって思うなら看護師を目指してみては?」


その一言で、姉はすべての人生を決めました。

自分自身で、看護師になるための道を調べあげ、そのための高校に入り、専門学校にも入りました。

卒業後は一年目からICUに。
(異例の人事らしいですが、私にはすごいなぁくらいの知識しかありません)

就職してから、寮から実家まで歩いて二時間かかる道のりを平気で歩いて帰ってくるような人でした。

たまの休みには化粧もせず、すっぴんで「○○ちゃん(私のことです)、出掛けるよ!」

と、遊びに誘ってくれました。

仲良し姉弟として有名だったので、知らない人からはよくカップルと間違えられました。

誰からも愛されていた姉。


突然の宣告でした。

「癌」



若さもあり、進行も早く、また何年に一度見るか見ないかの大きさ?だったみたいです。



それでも、姉は笑っていました。

いつもと変わらない笑顔で

「○○ちゃん、髪の毛抜けたー」
(抗がん剤の影響です)

「○○ちゃん、遊びに行こー」


この人は、ほんとに癌か?

と、思うほどでした。


姉は病院の方たちの協力もあり、治療がないときは職場で働き、治療のときは働いている病院での入院となりました。



最後まで、「生きる」と言うことを諦めていなかった姉。





亡くなった後に実家に戻ってきたとき、姉の顔が少し、ほんの少しだけ、笑顔になったことは忘れられません。

通夜での参列者があまりにも多く、葬式でお坊さんが、「これは、一人では失礼だ」と、お弟子さんを二人連れてきたこと、周りの紳士服、婦人服で喪服が売り切れになったことは少しの伝説になっています。



ここまで、読んでいただいた皆様、ありがとうございます。

このブログを読んで何を伝えたいのか?

すごい人がいた。

そんなことはどうでもいいです。

人にとって「すごい人」なんてのはそれぞれです。

私が何を伝えたいか。


それは、皆様が、今大切に思っている人。

その人のことを今一度、思ってほしい。

それだけです。

「会いたい時に会える」

これがどれだけ幸せなことなのか。

遠距離だから。

明日も早いから。

さっき、喧嘩して気まづいから。


どうでもいいです。

あなたに、相手に明日はありますか?

会いたいなら、動けばいい。

抱き締めれる相手がいるなら、抱き締めれる幸せを、今一度再認識していただきたい。



長々と失礼しました。