、あねさてさておひさしぶりです!韓国との問題、中国の問題で管理人は最近頭に血が上りますが、なるべく冷静に冷静に・・・と思いながらも中々かっとする気持ちを抑えられないところです。
管理に自身、韓国にも中国にも親愛なる友人がいますから・・・その友人は何があっても友人であることには変わりません。

さてさて前回書きました「柴五郎氏」について覚えていらっしゃいますか??
そう!1900年に勃発した義和団の乱で、欧米各国から賞賛を受け、彼のその功績がその後の日本に良き影響を与えた人です。

さて、彼の育った時代、環境について見ていきましょう!

彼は1859年、柴家の五男として生まれました。さて、この時代は幕末の動乱期・・・
彼の家は徳川幕府と縁の深い会津藩公に仕える家柄でした!
・・・歴史に詳しい人なら「会津」と聞けばわかりますよね?
会津若松・・・白虎隊・・多くの悲劇が起きたところです。
徳川家の忠義を貫こうとした会津は、新政府との戦いに備えて、領民全員に籠城の命を下します。
その時、柴家では五郎の父と四人の兄が戦いに出ており、留守を任されていた母、祖母、兄嫁、姉、妹は、女子どもが城に身を寄せては足手まといになると考えてそろって自刃・・
五郎だけ柴家を存続させるために、叔母のもとに託されました。

別れの日、母は五郎に叔母と泊まりがけで山菜をとりにいくように言いきかせて、正装の上小太刀を帯びさせて見送ったという・・。五郎はこれが今生の別れとなるとは思いもしなかった・・。

・・・当時の女性達の覚悟はすざましい。残酷な話かもしれませんが・・・そういう時代です。
生きるか死ぬか、それぞれの思いを抱いて、人々は生きていたんでしょうね。私たちはどんな思いで生きていくべきなんでしょうか・・

さて、新政府に負けた会津藩生き残った領民たち、五郎はどのような運命をたどったのか・・

それはそれは厳しい青春を送るわけですが

それはまた次回に!!