タイトルに【嫌いなもの】

と最初に来る人にはなりたくないもので

【好きなもの】で頭が埋め尽くされるような

優しい人格になりたい。

 

しかし、嫌いが分かるから人は嫌いを遠ざけて

好きなものに優しくできるのでは?

そもそも好きと嫌いの数で人格が形成される訳ではない…という自問自答

 

 

【好きなもの】

健康動画に触発されてシナモン入りのコーヒーを飲むようにしている

シナモンパウダーはセイロンシナモンという少し高めのシナモン(昔に比べるとスパイスがものすごく高くなっている)

 

カップにシナモンを入れてインスタントのコーヒーを淹れるとなんだか香りに懐かしさを感じる。

これは公民館の匂いだ。

昔住んでいた家の目の前に大きな桑の木がある公民館に用もなく遊びに行くとこの匂いに包まれる。

 

匂いによって記憶が呼び出されるのはなんとも楽しく【好き】なことだ。

例えば【いちごの匂い】は共通のものだけどそれに対する思い出は人それぞれだし

【シナモン入りのコーヒー】の匂いが【〇〇公民館の匂い】と位置付けるのは自由で素晴らしい。

 

言葉もそうだ。

さっきから【におい】を変換すると【臭い】と候補がでるのは腹立たしい。けど【匂い】はかわいげが無く

【ニオイ】はなんだか事件な感じ。

 

違国日記というアニメを見ている中で登場人物が

【あなたがそう感じるならそうしたらいい】というようなセリフがある。

これは文字にすると冷たく感じるけど相手に好意があると受け止められている感じもする。

 

この言葉を10年ぐらい前にも言われたことがあるを思い出した。

今やメジャーミュージシャンになった同郷の同い年の方

まだまだお互い売れていない時に僕のライブパフォーマンスについて

「素晴らしい」と褒められたとき、謙遜して「いやいやまだまだ全然」と答えたら

そう返されたのだ。

 

これが多分ずっと残っている。

特に嬉しいとも怒りとも違う、今までに言われたことのない返しだから?

おそらく自分を尊重されたんだと思う。

素敵だ。

 

乱暴なノリで「ちがうだろ!」とか「謙遜すんな!」とか言いがちだけれど

相手だけではなく自分も尊重できる発言をしたほうが良いのかもと思う。

 

嫌いなことは

今は仕事中なのでまた今度。