反対語・対義語を出題するな | アトラス塩浜のブログ

反対語・対義語を出題するな

私は幼稚園のころには既に母親から勉強を少々仕込まれていた。

違和感があったのは反対語である。
「暑い」の反対が「寒い」はまだよいとして、「陸」の反対が「海」というのは子供心にも納得がいかず、大人になった今では、これに違和感を持つことができた自分を誇りに思っている。

「お父さん」の反対が「お母さん」とは何だ。
どっちも親という点では同じ方向ではないか。

参考書によって「破壊」の対義語が「創造」になっているものもあれば「建設」になっているものもある。
「民主主義」の対義語が「封建主義」になっている参考書にはあきれた。

そもそも私は「民主制」「封建制」というべきで、こんなものは「主義」ではないと思っている。
封建制とは「土地をなかだちとした、御恩と奉公による制度」である。それがどうして民主制の反対 になるのか。
「民主主義」はとにかく新しい考え方で、「封建主義」は古臭い考え方という程度の認識なのであろう。

民主主義の対義語が封建主義というのは、社会科をまともに学んだ者なら誰しも変だと感じることであろうが、たとえば「平凡」の対義語が「非凡」というのは、違和感を抱かない人が多いであろう。

ではつっこみを入れよう。
「平凡」というのは、極端に優れてもいないし、極端に劣ってもいない状態である。
では、「非凡」はどうか。
「非凡な才能」と言ったら「平凡ではない」のではなく、優れているのである。
ものすごく劣っている場合も平凡ではないことになるが、そういう人を「非凡な才能」とは表現しない。
平凡の反対が非凡なら、非凡の反対は平凡か。
いや、「優れている」の反対は「劣っている」だろう。

その点、数学は素晴らしい。
「反対」などという、基準を不明確にさせた聞き方はしない。「X軸に対称」「Y軸に対称」「原点に対称」という聞き方をする。

「お父さん」をいわば「性軸」に対称移動させると「お母さん」になるが、「世代軸に対称」なのは「息子」であり、原点について対称移動させると「娘」である。
特に軸を言わない場合は、性も世代もひっくり返して「父親の反対は娘」というのが良い答えだと思うがいかがであろうか。

皆さんは「北西」の反対は「南東」と答えるであろう。「お父さんの反対はお母さん」というのは、「北西の反対は北東」と答えるようなものである。「北西の反対は北東」と答えたら「なぜ東西方向しかひっくり返さないのか」と思うだろう。
「お父さんの反対はお母さん」というのも、「なぜ男女側に関することしかひっくり返さないのか」という疑問がわく。

幼稚園の時にはここまできっちり反論できなかったのだが、「お父さんの反対はお母さん」と聞いて違和感を持ち、「お父さんの反対は女の子供ではないか」と思っていた。

私の塾では時々こういうことをあえて長々話しているのだが、みんなどう思って聞いているだろうか。
ひょっとすると面白いと思ってくれるのは1割以下でほとんどの生徒は「で、結局答えは何なの。脱線してないで早く教えてよ」と思っているかも知れない。だが、縁あって私の塾に来た生徒には、おそらくほかの塾では聞けないこういうことを聞いておいてほしい。

私は対義語や類義語それ自体をテスト問題にすべきではないと思う。
論説文を読解するにあたり、いわゆる対義語や類義語をヒントにするのは良い。
しかし、次の対義語をかけ 1 平凡 2 破壊 というような聞き方はすべきではない。


オタクのコーナー
アイドルの撮影でポーズをとってもらう時に「じゃあ今のを反対向きに」と指示して苦戦しているカメラマンをよく見る。
同じポーズを左右逆向きにするのか、カメラマンに対して正面向き・後ろ向きという意味の逆向きか結構それでうまく伝わらず苦戦するのだ。
寝転んでポーズをとる場合などは、仰向けかうつぶせか上下逆向きも加わり、ますます混乱する。
「反対」というためには、基準をどこにおいているのか、数学の時間だけでなく国語の時間にも教育して、論理性を高めるべきである。