「留置場での生活」塩浜修著「小説で学ぶ逮捕・勾留・取り調べ」第2話の8 TPPと児童ポルノ・8
塩浜修著 「小説で学ぶ逮捕・勾留・取り調べ」 第2話の8 TPPと児童ポルノ禁止法・山田編・8 「留置場での生活」
<前回までのあらすじ>
「TPPに反対する若者たちの会」の山田副会長は、TPPの問題点が載っている雑誌を買ってみんなに勧めたりプレゼントしたりしたが、同じ雑誌の別のページで16歳のモデルが小さい水着を着ていることが児童ポルノ法に違反しているとして逮捕された。
逮捕後、10日の勾留を避けるために弁護士が努力したが、10日の勾留が決定された。
<今回のスタート>
拘留所での一日。朝5時「きしょーう!!!」という大声がして廊下等の明かりがつく。
(拘留所では一晩中真上から明かりに照らされているということはすでに述べた。)
ふとん等をたたんでしまう。
ロッカーからタオル、歯ブラシ、歯磨き粉をとって洗面+歯磨き。
タオルのような長いものは自殺防止のため、外のロッカーに入っているのだ。
鏡は割って自殺に使うことのないように、変な材質でできていてあまりきれいな鏡ではない。
洗面と同時並行で掃除機、バケツ、雑巾が配られる。
留置場の一部屋には何人かが詰め込まれている。
2人位ならよいが、3人以上いるとやることがない。
映画「それでも僕はやっていない」では主人公が掃除機のコードを持ってついているが、そうでもしないと手があいてしまう。あの映画、細かいことがよく描写されていて、知っている人が見ると、独自の楽しみ方が増える。
点呼。
「おまえは応援団かよ」と思うような、やたら大きい声で、番号が呼ばれる。山田は5番だった。最後に「以上総員15名!!」とか応援団のような大きな声で叫ぶ。
逮捕後、留置場内では被疑者は名前でなく、番号で呼ばれるのだ。この点につき、「番号で呼ぶことで人間としての尊厳を奪い、みじめな思いにさせるのが目的」みたいなことが書いてある本がある。
が、この点は、釈放後に別の被疑者が
「よーう、山田、あの時いっしょだったオレだよ」
なんて近づいてくるのを防ぐためではなかろうか。
留置場には、殴った・蹴った・殺したなんていう暴力団もいれば、薬物取引をやった者もいれば、詐欺師もいれば、まだそれほど凶悪なことをやっていない人もいれば、無実の罪で捕まり、そのせいで職を失った人もいる。
凶悪でない人、無実の罪で職を失った人のところに「気の弱いこいつをシャバに出してから引きずり込もう」なんて思って接触してきては困る。
今までの警察・検察のやり口に、「悪魔に負けてたまるか」とまで考えている山田だったが、番号で呼ばれることの意図についてはそのように善意で解釈している。
続いて「運動」。
「運動」というからには、身体がなまらないように外の空気でも吸って少し走るのか、はたまたラジオ体操でもするのかと思ったら、
ひげそって、爪切って、煙草を吸うための時間だ。
よい空気吸うどころか、タバコの悪い空気吸うのである。本当の意味での運動なんか誰もしていない。
バカバカしいのでこの「運動」の権利を放棄しようと申し出たら、タバコを吸わない人同志固めて呼ぶこともできるらしい。そうしてもらった。
タバコを吸う人にとってはこの時間がものすごく待ち遠しいらしい。
山田は「変な奴だ」と思われるのを承知で、一人だけ本当に「運動」をしていた。
風呂が5日に一回。
洗濯物はこの時出すと、洗ってたたんで戻ってくる。てっきり自分で手洗いでもさせられるのかと思った。洗濯に関してはシャバにいる時より楽である。
運動と風呂は数名ずつ。
留置場にいる間、たいていは警察の取り調べが続くが、たまに検察に呼ばれる日がある。検察や裁判所に行く人は他より先に運動・入浴がある。
朝食。「臭い飯」ということはないが量が少ない。
例をあげるとコンビニで一番小さいお弁当の、そのまた半分くらいのご飯に、シュウマイ1個、1口で食えそうなハンバーグ1個、冷たいスパゲティが数本という、幼稚園児の弁当なみの量だ。
わかめの切れっぱしがわずかに浮かんでいるだけのみそ汁とお湯。
お湯はお代り自由。
これで9時。
朝食後から本やボールペンを借りることができる。
弁護士からは取り調べのことをこと細かくノートに書くように言われていたが、ボールペンを借りることができるのが9時、そのすぐ後で取り調べに呼ばれるので、中々ノートに書く時間をとれない。
ボールペンは借りっぱなしではなく、一々返し、借りる時は一々申請書を書いて拇印を押すのである。ボールペンは自殺防止のため、先があまり尖っていない。
昼食・夕食のたびに、取調室から拘留所に戻る。ちゃんと昼食・夕食・睡眠などの時間は守ってもらえた。
1990年代くらいまでに書かれた本では、警察は留置場から好きな時に呼び出して長時間取り調べ、ひどい人権侵害が行われていた様子が描かれている。
取り調べの時に思い通りのことを言わないと食事の時に嫌がらせをされたり、眠る間を与えなかったりしたようだ。
まだまだ問題点は多いが、その時代よりはずっと良くなっている。先輩たちが人権のために闘ってくれたおかげだろう。感謝したい、と山田は思った。
特に、取調べ官と、拘留所を管理する人達が完全に分かれているのは有難い。これで、佐藤巡査部長ら取り調べ官の思うような供述をしなくとも、それが食事や睡眠に影響することはないのだ。
(刑事収容施設法第16条3項 留置担当官は、その留置施設に留置されている被留置者に係る犯罪の捜査に従事してはならない。 )
昼食はいつもパン。
コッペパン2個に対してなぜかマーガリン、ママレード、ジャムというようにぬるものが3つあった。他の人はどうしていたかは知らないが、山田はパン3分の2にマーガリンをぬり、残る3分の1にジャム半分、もう一つのパンの3分の1にジャムの残り、このパンの3分の2にママレードというようなやり方をしていた。
食べ物は同じ部屋の他の人に譲ったりできない。同じ部屋の人に脅されて食えなくなる人が出ないようにするためだろうか。
前日の夜に注文すると、翌日の昼食について「自弁」と言ってかつ丼、牛丼、などいずれも500円の丼ものを自腹で注文できた。
また野菜ジュースその他200mlくらいの飲み物も自腹で注文できる。1度だけ、山田も体験だと思って自弁をやったら、そうするとパンが無駄になるからやめた。
別にうまくないし。
マンガなどでは薄暗い部屋の奥に座ぶとんを重ねて座っているボスみたいなのがいて、そいつにいじめられたり、また、性欲が満たされない他の男にオカマ掘られたりする。それはすごく嫌だと思っていた。
が、そもそも「部屋の奥」という概念がない。
長方形の留置場の一辺だけでなく、その対辺(向かい側の辺)も廊下に面していて、両側を見張りが歩くのだ。
つまり入口側と奥側と両方から見張られているので、見張りがプロレスのレフェリーのようにわざと反則を見て見ぬふりでもしない限り、いじめやオカマ掘りの隙はない。
トイレの紙は、ずっと備え付けられているのではなく、1回に必要な分をいちいち頼んで渡してもらう。
トイレットペーパーで自殺する奴でもいるのだろうか。
とにかく紙にしてもボールペンにしてもタオルにしても、自殺するバカに合わせるせいで何かと不便にできている。
朝食、昼食、夕食後、いちいち取調べがあった。
もう少し孤独でつらいものかと思ったが取り調べばかりで孤独感はなかった。本をいっぱい差し入れてもらったが、取り調べばかりでほとんど読む時間がなかった。
前回、予告で「拘置所の生活」と書いたが、それは不正確だった。
「留置場」が正しい。
ここはすごく重要な部分だ。
本来は、逮捕後もいつまでも被疑者を警察のそばにおいておくのは、自白強要にもつながり、危険である。
まともな先進国の基準では、逮捕した人自体を「おまえがやったんだろ」と取り調べ続けるのは殴ったり蹴ったりしなくても拷問である。
通常は被疑者自体を取り調べるのは1日か2日。後は外で物証を探すのである。
イタリアでは被疑者をかつて4日調べる制度だったが、「4日も取り調べるのは長すぎる」という判決が出た。
日本の場合も、本来は警察の中の「留置場」にではなく、警察とは別の「拘置所」に送るのが原則である。
しかし、「だって施設が足りないんだもん」という理由で、「刑事施設に収容することに代えて、留置施設に留置することができる。」(刑事収容施設法第15条)
としてしまった。
それでもこの条文の書き方なら、「原則」は警察から離れた拘置所、警察の中の留置場を使うのは「例外」のはずである。
しかし、日本の得意技だが、原則と例外がひっくり返り、警察の中の留置場に被疑者がいて毎日取り調べられるのが通常だ。
勾留は10日、さらに10日の延長、最初に逮捕してから勾留許可がおりるまでの期間を合わせると、23日間の取り調べである。(再逮捕を合わせるともっと長くなる)
あなたはそれに耐える自信があるだろうか。
これでやってもいない罪を自白した人はどれだけいることだろうか?
国際的にもこれは評判が悪く、国連の規約人権委員会から、何度も勧告を受けているのだ。
面会は1日1組だけ、1回20分だけ認められる。
したがって友人など誰かが面会してしまうと、その日後で面会に来た恋人は面会できないというようなことも起こるので、読者の皆さん、勾留中の人に面会する時には、その家族などとよく打ち合わせしましょう。
(ただし、弁護士は「別腹」で、誰かが先に面会していても面会できるし、時間制限もない)
山田は精神的に強いのか、孤独も感じなかったし、励ましがほしいとも思わなかった。
ただ、面会があると、その分だけ少しでも取り調べの時間が短くなる点が有り難かった。
初日は拘留所の一部屋に山田一人だったが、やがて「9番」が入ってきた。
さらに数日後、人をぶん殴ったとして捕まったでかい黒人、「23番」も入ってきた。
たぶん、日本の刑事手続きなど知らず、警察と検察の違いもわからないだろうから、そのあたり をよく話した。ただ、どこまでわかってもらえたかは疑問だ。
検察官をプロシキューターとパッと出た自分の単語力は中々のものだと山田は思ったが、単語を正確に伝えても、国によってシステムが異なるので、中々理解しにくいだろう。
言葉の壁というのは本当にハンディになると思ったのだが、この人は
「弁護士いない」と言ったり
「弁護士いらない」と言ったりした。
「弁護士いない(から誰かつけてくれ)」 というのと
「いらない」では全く逆。
あいまいな言い方すると警察どもなんか、自分たちに都合よく「いらない」という発言を優先するだろうから、その辺り山田と「9番」でギャーギャー主張し、「23番」が不利にならないように援護。
「9番」も親切な人でこの黒人「23番」の味方についていた。
「23番」には「弁護士を通じて 被害者にお金を払い、示談が成立すればそれで終わるよ」と言って励ました。
もっとも、このように示談の相手がいてゴールが見える点は羨ましかった。
山田の場合、誰かに謝って許してもらうという種類のものではない。示談で終わらせようがないのだ。
(つづく)
次回は逮捕後の取り調べ。逮捕前と同じことが多かったが、変わった部分もあった。
<前回までのあらすじ>
「TPPに反対する若者たちの会」の山田副会長は、TPPの問題点が載っている雑誌を買ってみんなに勧めたりプレゼントしたりしたが、同じ雑誌の別のページで16歳のモデルが小さい水着を着ていることが児童ポルノ法に違反しているとして逮捕された。
逮捕後、10日の勾留を避けるために弁護士が努力したが、10日の勾留が決定された。
<今回のスタート>
拘留所での一日。朝5時「きしょーう!!!」という大声がして廊下等の明かりがつく。
(拘留所では一晩中真上から明かりに照らされているということはすでに述べた。)
ふとん等をたたんでしまう。
ロッカーからタオル、歯ブラシ、歯磨き粉をとって洗面+歯磨き。
タオルのような長いものは自殺防止のため、外のロッカーに入っているのだ。
鏡は割って自殺に使うことのないように、変な材質でできていてあまりきれいな鏡ではない。
洗面と同時並行で掃除機、バケツ、雑巾が配られる。
留置場の一部屋には何人かが詰め込まれている。
2人位ならよいが、3人以上いるとやることがない。
映画「それでも僕はやっていない」では主人公が掃除機のコードを持ってついているが、そうでもしないと手があいてしまう。あの映画、細かいことがよく描写されていて、知っている人が見ると、独自の楽しみ方が増える。
点呼。
「おまえは応援団かよ」と思うような、やたら大きい声で、番号が呼ばれる。山田は5番だった。最後に「以上総員15名!!」とか応援団のような大きな声で叫ぶ。
逮捕後、留置場内では被疑者は名前でなく、番号で呼ばれるのだ。この点につき、「番号で呼ぶことで人間としての尊厳を奪い、みじめな思いにさせるのが目的」みたいなことが書いてある本がある。
が、この点は、釈放後に別の被疑者が
「よーう、山田、あの時いっしょだったオレだよ」
なんて近づいてくるのを防ぐためではなかろうか。
留置場には、殴った・蹴った・殺したなんていう暴力団もいれば、薬物取引をやった者もいれば、詐欺師もいれば、まだそれほど凶悪なことをやっていない人もいれば、無実の罪で捕まり、そのせいで職を失った人もいる。
凶悪でない人、無実の罪で職を失った人のところに「気の弱いこいつをシャバに出してから引きずり込もう」なんて思って接触してきては困る。
今までの警察・検察のやり口に、「悪魔に負けてたまるか」とまで考えている山田だったが、番号で呼ばれることの意図についてはそのように善意で解釈している。
続いて「運動」。
「運動」というからには、身体がなまらないように外の空気でも吸って少し走るのか、はたまたラジオ体操でもするのかと思ったら、
ひげそって、爪切って、煙草を吸うための時間だ。
よい空気吸うどころか、タバコの悪い空気吸うのである。本当の意味での運動なんか誰もしていない。
バカバカしいのでこの「運動」の権利を放棄しようと申し出たら、タバコを吸わない人同志固めて呼ぶこともできるらしい。そうしてもらった。
タバコを吸う人にとってはこの時間がものすごく待ち遠しいらしい。
山田は「変な奴だ」と思われるのを承知で、一人だけ本当に「運動」をしていた。
風呂が5日に一回。
洗濯物はこの時出すと、洗ってたたんで戻ってくる。てっきり自分で手洗いでもさせられるのかと思った。洗濯に関してはシャバにいる時より楽である。
運動と風呂は数名ずつ。
留置場にいる間、たいていは警察の取り調べが続くが、たまに検察に呼ばれる日がある。検察や裁判所に行く人は他より先に運動・入浴がある。
朝食。「臭い飯」ということはないが量が少ない。
例をあげるとコンビニで一番小さいお弁当の、そのまた半分くらいのご飯に、シュウマイ1個、1口で食えそうなハンバーグ1個、冷たいスパゲティが数本という、幼稚園児の弁当なみの量だ。
わかめの切れっぱしがわずかに浮かんでいるだけのみそ汁とお湯。
お湯はお代り自由。
これで9時。
朝食後から本やボールペンを借りることができる。
弁護士からは取り調べのことをこと細かくノートに書くように言われていたが、ボールペンを借りることができるのが9時、そのすぐ後で取り調べに呼ばれるので、中々ノートに書く時間をとれない。
ボールペンは借りっぱなしではなく、一々返し、借りる時は一々申請書を書いて拇印を押すのである。ボールペンは自殺防止のため、先があまり尖っていない。
昼食・夕食のたびに、取調室から拘留所に戻る。ちゃんと昼食・夕食・睡眠などの時間は守ってもらえた。
1990年代くらいまでに書かれた本では、警察は留置場から好きな時に呼び出して長時間取り調べ、ひどい人権侵害が行われていた様子が描かれている。
取り調べの時に思い通りのことを言わないと食事の時に嫌がらせをされたり、眠る間を与えなかったりしたようだ。
まだまだ問題点は多いが、その時代よりはずっと良くなっている。先輩たちが人権のために闘ってくれたおかげだろう。感謝したい、と山田は思った。
特に、取調べ官と、拘留所を管理する人達が完全に分かれているのは有難い。これで、佐藤巡査部長ら取り調べ官の思うような供述をしなくとも、それが食事や睡眠に影響することはないのだ。
(刑事収容施設法第16条3項 留置担当官は、その留置施設に留置されている被留置者に係る犯罪の捜査に従事してはならない。 )
昼食はいつもパン。
コッペパン2個に対してなぜかマーガリン、ママレード、ジャムというようにぬるものが3つあった。他の人はどうしていたかは知らないが、山田はパン3分の2にマーガリンをぬり、残る3分の1にジャム半分、もう一つのパンの3分の1にジャムの残り、このパンの3分の2にママレードというようなやり方をしていた。
食べ物は同じ部屋の他の人に譲ったりできない。同じ部屋の人に脅されて食えなくなる人が出ないようにするためだろうか。
前日の夜に注文すると、翌日の昼食について「自弁」と言ってかつ丼、牛丼、などいずれも500円の丼ものを自腹で注文できた。
また野菜ジュースその他200mlくらいの飲み物も自腹で注文できる。1度だけ、山田も体験だと思って自弁をやったら、そうするとパンが無駄になるからやめた。
別にうまくないし。
マンガなどでは薄暗い部屋の奥に座ぶとんを重ねて座っているボスみたいなのがいて、そいつにいじめられたり、また、性欲が満たされない他の男にオカマ掘られたりする。それはすごく嫌だと思っていた。
が、そもそも「部屋の奥」という概念がない。
長方形の留置場の一辺だけでなく、その対辺(向かい側の辺)も廊下に面していて、両側を見張りが歩くのだ。
つまり入口側と奥側と両方から見張られているので、見張りがプロレスのレフェリーのようにわざと反則を見て見ぬふりでもしない限り、いじめやオカマ掘りの隙はない。
トイレの紙は、ずっと備え付けられているのではなく、1回に必要な分をいちいち頼んで渡してもらう。
トイレットペーパーで自殺する奴でもいるのだろうか。
とにかく紙にしてもボールペンにしてもタオルにしても、自殺するバカに合わせるせいで何かと不便にできている。
朝食、昼食、夕食後、いちいち取調べがあった。
もう少し孤独でつらいものかと思ったが取り調べばかりで孤独感はなかった。本をいっぱい差し入れてもらったが、取り調べばかりでほとんど読む時間がなかった。
前回、予告で「拘置所の生活」と書いたが、それは不正確だった。
「留置場」が正しい。
ここはすごく重要な部分だ。
本来は、逮捕後もいつまでも被疑者を警察のそばにおいておくのは、自白強要にもつながり、危険である。
まともな先進国の基準では、逮捕した人自体を「おまえがやったんだろ」と取り調べ続けるのは殴ったり蹴ったりしなくても拷問である。
通常は被疑者自体を取り調べるのは1日か2日。後は外で物証を探すのである。
イタリアでは被疑者をかつて4日調べる制度だったが、「4日も取り調べるのは長すぎる」という判決が出た。
日本の場合も、本来は警察の中の「留置場」にではなく、警察とは別の「拘置所」に送るのが原則である。
しかし、「だって施設が足りないんだもん」という理由で、「刑事施設に収容することに代えて、留置施設に留置することができる。」(刑事収容施設法第15条)
としてしまった。
それでもこの条文の書き方なら、「原則」は警察から離れた拘置所、警察の中の留置場を使うのは「例外」のはずである。
しかし、日本の得意技だが、原則と例外がひっくり返り、警察の中の留置場に被疑者がいて毎日取り調べられるのが通常だ。
勾留は10日、さらに10日の延長、最初に逮捕してから勾留許可がおりるまでの期間を合わせると、23日間の取り調べである。(再逮捕を合わせるともっと長くなる)
あなたはそれに耐える自信があるだろうか。
これでやってもいない罪を自白した人はどれだけいることだろうか?
国際的にもこれは評判が悪く、国連の規約人権委員会から、何度も勧告を受けているのだ。
面会は1日1組だけ、1回20分だけ認められる。
したがって友人など誰かが面会してしまうと、その日後で面会に来た恋人は面会できないというようなことも起こるので、読者の皆さん、勾留中の人に面会する時には、その家族などとよく打ち合わせしましょう。
(ただし、弁護士は「別腹」で、誰かが先に面会していても面会できるし、時間制限もない)
山田は精神的に強いのか、孤独も感じなかったし、励ましがほしいとも思わなかった。
ただ、面会があると、その分だけ少しでも取り調べの時間が短くなる点が有り難かった。
初日は拘留所の一部屋に山田一人だったが、やがて「9番」が入ってきた。
さらに数日後、人をぶん殴ったとして捕まったでかい黒人、「23番」も入ってきた。
たぶん、日本の刑事手続きなど知らず、警察と検察の違いもわからないだろうから、そのあたり をよく話した。ただ、どこまでわかってもらえたかは疑問だ。
検察官をプロシキューターとパッと出た自分の単語力は中々のものだと山田は思ったが、単語を正確に伝えても、国によってシステムが異なるので、中々理解しにくいだろう。
言葉の壁というのは本当にハンディになると思ったのだが、この人は
「弁護士いない」と言ったり
「弁護士いらない」と言ったりした。
「弁護士いない(から誰かつけてくれ)」 というのと
「いらない」では全く逆。
あいまいな言い方すると警察どもなんか、自分たちに都合よく「いらない」という発言を優先するだろうから、その辺り山田と「9番」でギャーギャー主張し、「23番」が不利にならないように援護。
「9番」も親切な人でこの黒人「23番」の味方についていた。
「23番」には「弁護士を通じて 被害者にお金を払い、示談が成立すればそれで終わるよ」と言って励ました。
もっとも、このように示談の相手がいてゴールが見える点は羨ましかった。
山田の場合、誰かに謝って許してもらうという種類のものではない。示談で終わらせようがないのだ。
(つづく)
次回は逮捕後の取り調べ。逮捕前と同じことが多かったが、変わった部分もあった。