塩浜修 わが塾を語る・2 親が反対
2.親が塾に反対
大学卒業後、塾をつくってやっていくと聞いて、新潟県高田(正しくは上越市。高田市と直江津市などが合併して上越市になったのだが、高田と直江津は京都と大阪ほどに気風が違い、まとめて扱うのは不合理である)に住んでいた両親と祖母は大反対した。
父は何度も上京(埼玉は高田からみると東京の一種である)して私を説得に来た。
理屈もなく暴力で子をおさえるつけるバカ親も困るだろうが、私の父のように頭が良くて論理的に攻めてくる奴も厄介である。
父は、あらゆる人脈をつかって、私を商社マンにさせるべく、お膳立てした。私のような生意気な人間は、日本の島国根性の会社では駄目でも、世界に羽ばたく商社なら大丈夫だろうと、それなりに考えてくれたわけである。
そして、ゼミの石山先生に賄賂、おっとっと、物を持っていって、私を説得するように頼んだ。同時に、税金はどうする、保険はどうする・・・といろいろ私を攻めたてた。見事である。ビスマルク顔負けのアメとムチの政策である。
石山先生が、父の意向を受けて、私を説得に来た。
「君のお父さんは、君が妥協ということをしない性格なので心配している。サラリーマンになって、組織として動くことを知ってほしいと思っているようだし、私もそう思っている」
そこで私はこう言った。
「他人が何と言おうと、自分の信念を曲げないというのは、私の短所であると同時にすばらしい長所だと思います。そして、日本人全体で言えば、あまりにも組織の論理の中で自分というものを殺してしまっている人が多すぎます。この日本の中では、むしろ、自分の信念を曲げないという私の性格を長所として伸ばすべきです。」
石山先生が、なるほどという顔をした。
「サラリーマンは、私以外にもできる人が大勢います。しかし、私の塾は私にしかできません。他の塾は、通信簿が4の人を5にすることはしても、1の人を3にすることはしてくれません。4の人を5にすることよりも、1の人を3にすることの方が10倍くらい大変なのです。そんな割に合わない事を、子供のために心を込めてできるのは私しかいません。」
石山先生は言った。
「世の中には、口で偉そうなことだけ言って、実際には動かない人がいる。しかし、塩浜君は、口で大きなことを言って、しかも本当に動く人だ。君は確かに塾の先生に向いている。初めは君のお父さんに頼まれて君を説得しようと思ったのだが、考えが変わった。君のお父さんに手紙を書いて、君のためにお父さんを説得しよう。」
私はゼミを選ぶ時に、科目よりも教授の人柄で選んだ。勉強は自分でできるのだから、人柄の方が大切だと思ったのである。民法の平井ゼミにせずに、人柄で選んで商法の石山ゼミにして良かった。
父はその後もあれこれと攻撃を加えてきた。並みの人ならばノイローゼになったに違いない。しかし、どんなに苦しい時にも、私には子供達がついていた。
ある日、生徒の母親が子供を連れてきて言った。
「今日はうちの子は熱を出して学校休んだんですけど、塾には行くって言うんですよ。私が『学校休んだのに塾には行くなんて、そんなのおかしいでしょ!』と言ったんですけど、この子が、『いやだ。絶対塩浜先生の所へ行くんだあ』って言って私の言うことをきかなくて・・・・ま、そんなわけで連れてきましたけど、今日は、あまり無理させないで下さい。」
ここまで慕われてサラリーマンなどなれるか。
タイガーマスクの終わりの歌に「そんな僕をあの子らは慕ってくれる。それだからみんなの幸せ祈るのさ」というものがあるが、私もそのような心境だった。
それにしても父の攻撃が激しいので、私はうまい手を思いついた。
週一度だけ他の塾に就職する。他の日は自分の経営する塾で仕事をするのである。
私は「A外国語研修所」という所に週一度だけ就職した。そして、親に「A外国語研修所に就職したよ」と報告したら、両親は大喜びで就職祝いを送ってきた。
話が変だろう。
私がうそをついたのではない。
私は、まるっきりの非常識で、就職とアルバイトの区別を知らなかったのだ!みんな、どうして学校で教わってもいないのに、世の中のことをよく知っているのだろう。
父の押しつけがましい性格ばかり強調したので、心あたたまる話も書いておこう。
祖母の葬式の時、親戚が集まった。
おじ(祖母にとっては息子)が言った。
「おふくろ(私にとっては祖母)は、わかりやすく言えば修(私)の私は、まるっきりの非常識で、就職とアルバイトの区別を知らなかったのだ!みんな、どうして学校で教わってもいないのに、世の中のことをよく知っているのだろう。
父の押しつけがましい性格ばかり強調したので、心あたたまる話も書いておこう。
祖母の葬式の時、親戚が集まった。
おじ(祖母にとっては息子)が言った。
「おふくろ(私にとっては祖母)は、わかりやすく言えば修(私)のファンだったな。サラリーマンになって楽な道を歩んでいるおれよりも、わざわざ苦しい道を歩んでいる子供のために生きている修のことばかり自慢してたよ。」
そして更にこう続けた。
「人を教える才能ってのは、教育課程なんかで習って身につくものじゃないんだろうね。」
父が言った。
「ええ。習うものじゃないですね。私は何十年も高校で教員生活をしていますが、子供の心をつかむことについては、息子の修にはかなわないんですよ。」と。