私が酒を飲まない理由7つ
女の子が「お酒を飲まない彼氏でよかった」と感じていること9パターン
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1965357&media_id=75
私は酒を飲まない。
理由1 酒もたばこもいったん好きになると中々やめられないらしい。だったら最初から知らなければ一番良い。
幸い、世の中、他にも楽しいことはいくらでもある。
理由2 高校時代に見たマンガ「四角いジャングル」のはじめの方で超一流格闘家ベニーユキーデ選手が、自らの体調を維持するため、アルコールは飲まず、牛乳だったか、野菜ジュースだったか水だったかを飲むシーンがあり、かっこいいと思った。
理由3 私の父親は、まあ世間の親の平均値と比べて、かなり良い父親だったと思う。良い親に恵まれて幸せである。
ただし!!
酒を飲んだ後の父親は大嫌いである。
「今日は飲み会があって、多分酔っ払って帰ってくる」と聞くと、おびえていた。
あんなにいい親が、酔っ払うとあそこまで唾棄すべき、ぶちのめしたくなるようなクソ野郎に変わるのだ。
それをずっと見ていては、酒など飲みたくならない。
酔っ払わずに適度に飲めばむしろ健康に良いとも聞くが、飲んでしまえば適度なところで止めるのは、自分の性格から言って難しい。
最初から一切飲まないのが一番安全である。
理由4 「飲んで本音で語ることも人生において重要だ」などと飲む奴らは言うが、私は飲まなくても本音で語っている。
理由5 世界連邦の事務局を仕切るようになった直後、何度資料を作って持っていっても、「こんなのではだめだ」と突っ返され、どうして良いのかわからなかった。
「ああ、こういう時に酒を飲みたくなるものなのだろうな」
と思った。
3連休中、いろいろ「楽しいことをやって忘れよう」と思ったが、ちっとも楽しくならない。
そして、3連休の後半、がばっと起き上がり、また資料づくりにとりかかった。
違うことで憂さ晴らししようとしたって、問題は解決しない。
問題が解決しない限り、気は晴れない。
逃げたってだめなのだ。
解決するしかない。
よし、また怒られたって、別に殺されるわけではない。
怒られても良いからとにかく、何度でも作って持っていくしかないではないか。
・・・そう決意したら、どうだろう、あんなに苦しかった気持ちが晴れていくではないか。
気晴らしのためには、逃げるのでなく、立ち向かうのが一番だと思った。
理由6 会議で正式に決まったことが酒の席でいつの間にかひっくり返される・・・ア
などというのは、悪しき文化である。
そういうことがあるから、酒が嫌いな人まで念のため酒の席に付き合うということで悪循環が起きる。
酒を単に飲みたいから飲むというのはご自由に。
しかし、アのようなことはぶっ壊したいし、私としては抵抗の象徴として、自分は酒を飲まないという道を貫きたい。
理由7 まず2008年11月のブログから。
私は酒を一滴も飲みません。
それを尊重してくれる人が大半ですが、たまに説教してくる人がいます。
「おれの酒が飲めないのか」
「おまえもなあ、自分のわがままばかり通すのでなく、和を大切にしてみんなと協調しろよ」などと言ってお説教してくるわけです。
皆さんも同じような体験はないでしょうか。
わがままはどちらでしょうか。
私は別に他の人が酒を飲むことを妨害しているのではありません。飲みたい人は飲めば良いのです。
私は自分が飲まないという自由を尊重してほしいだけなのです。
その自由を認めず、「多数派が酒を飲んで楽しくやっているのだから、少数派も合わせて飲みたくなくても飲め」と言う方がわがままです。
こういう人はイスラム教の人に
「おれの豚肉が食えないのか!」と説教するのでしょうか?
思うに、「和」だの「協調性」だのと言う時、しばしば「みんなが同じになる」その結果、「少数派が多数派に合わせることを強要される」という問題が見られます。
私は本当の「和」とは、「みんなが同じになる」ことではなく、「違いを認め合い、尊重しあう」ということだと思います。
引用ここまで。
ここで私は抵抗運動の象徴として、酒を飲まない側に立ち続けたい。
http://
私は酒を飲まない。
理由1 酒もたばこもいったん好きになると中々やめられないらしい。だったら最初から知らなければ一番良い。
幸い、世の中、他にも楽しいことはいくらでもある。
理由2 高校時代に見たマンガ「四角いジャングル」のはじめの方で超一流格闘家ベニーユキーデ選手が、自らの体調を維持するため、アルコールは飲まず、牛乳だったか、野菜ジュースだったか水だったかを飲むシーンがあり、かっこいいと思った。
理由3 私の父親は、まあ世間の親の平均値と比べて、かなり良い父親だったと思う。良い親に恵まれて幸せである。
ただし!!
酒を飲んだ後の父親は大嫌いである。
「今日は飲み会があって、多分酔っ払って帰ってくる」と聞くと、おびえていた。
あんなにいい親が、酔っ払うとあそこまで唾棄すべき、ぶちのめしたくなるようなクソ野郎に変わるのだ。
それをずっと見ていては、酒など飲みたくならない。
酔っ払わずに適度に飲めばむしろ健康に良いとも聞くが、飲んでしまえば適度なところで止めるのは、自分の性格から言って難しい。
最初から一切飲まないのが一番安全である。
理由4 「飲んで本音で語ることも人生において重要だ」などと飲む奴らは言うが、私は飲まなくても本音で語っている。
理由5 世界連邦の事務局を仕切るようになった直後、何度資料を作って持っていっても、「こんなのではだめだ」と突っ返され、どうして良いのかわからなかった。
「ああ、こういう時に酒を飲みたくなるものなのだろうな」
と思った。
3連休中、いろいろ「楽しいことをやって忘れよう」と思ったが、ちっとも楽しくならない。
そして、3連休の後半、がばっと起き上がり、また資料づくりにとりかかった。
違うことで憂さ晴らししようとしたって、問題は解決しない。
問題が解決しない限り、気は晴れない。
逃げたってだめなのだ。
解決するしかない。
よし、また怒られたって、別に殺されるわけではない。
怒られても良いからとにかく、何度でも作って持っていくしかないではないか。
・・・そう決意したら、どうだろう、あんなに苦しかった気持ちが晴れていくではないか。
気晴らしのためには、逃げるのでなく、立ち向かうのが一番だと思った。
理由6 会議で正式に決まったことが酒の席でいつの間にかひっくり返される・・・ア
などというのは、悪しき文化である。
そういうことがあるから、酒が嫌いな人まで念のため酒の席に付き合うということで悪循環が起きる。
酒を単に飲みたいから飲むというのはご自由に。
しかし、アのようなことはぶっ壊したいし、私としては抵抗の象徴として、自分は酒を飲まないという道を貫きたい。
理由7 まず2008年11月のブログから。
私は酒を一滴も飲みません。
それを尊重してくれる人が大半ですが、たまに説教してくる人がいます。
「おれの酒が飲めないのか」
「おまえもなあ、自分のわがままばかり通すのでなく、和を大切にしてみんなと協調しろよ」などと言ってお説教してくるわけです。
皆さんも同じような体験はないでしょうか。
わがままはどちらでしょうか。
私は別に他の人が酒を飲むことを妨害しているのではありません。飲みたい人は飲めば良いのです。
私は自分が飲まないという自由を尊重してほしいだけなのです。
その自由を認めず、「多数派が酒を飲んで楽しくやっているのだから、少数派も合わせて飲みたくなくても飲め」と言う方がわがままです。
こういう人はイスラム教の人に
「おれの豚肉が食えないのか!」と説教するのでしょうか?
思うに、「和」だの「協調性」だのと言う時、しばしば「みんなが同じになる」その結果、「少数派が多数派に合わせることを強要される」という問題が見られます。
私は本当の「和」とは、「みんなが同じになる」ことではなく、「違いを認め合い、尊重しあう」ということだと思います。
引用ここまで。
ここで私は抵抗運動の象徴として、酒を飲まない側に立ち続けたい。