混乱時には武人が活躍 | アトラス塩浜のブログ

混乱時には武人が活躍

震災にあたって、何かしたいと思いつつ、中々実行しないでいる自分にもどかしさを感じていた。

そんな中、知人で日ごろから「武人」を評価している大谷氏(仮名)が、「考えているだけでは何も変わらない。オレはとにかく行く。それも、なるたけ危険で、他のボランティアが行けないようなところに行く」と言って動いた。

大谷氏は日ごろから、武人(ぶじん)こそが世の中を変えると主張していた。
が、武人の定義をはっきりさせないままの文体は気になっていた。
そもそも武人という割に、長文を書くのが好きだし。

考えてばかりで動こうとしない頭でっかちの人間に対して、農業・職人・その他現場でみずからの技を発揮する人間が大谷氏の言う武人なのだろうか?

彼の定義はともかく、通常の使い方では、加藤清正・福島正則は武人、石田三成は文人だとか、あるいは、西郷隆盛が武人、大久保利通が文人・・・というような分類が通常である。
私などは、加藤清正とか、福島正則など、武人タイプが、豊臣家のことを思いながら、徳川家康に良いようにコントロールされ、結局豊臣家が滅亡したばかりか、加藤家・福島家も滅亡した様子など見て、「武人」という言葉にあまり良い印象を持っていないのである。

どちらかというと、「確かに人情には厚いが、単細胞のバカ」と思ってしまう。

多分、大谷氏のいう武人の定義は、一般の定義のわずかに異なると思うので、そのあたり聞いてみたいものだ。

そして、大谷氏が力説しなくとも、元々日本では文人より武人の方が人気がある。
西郷隆盛はずいぶん人気があるが、大久保利通ファンなんか中々いない。
プロレスの木村けんご選手のファンを探すよりも難しい。
石田三成ファンも中々いない。
もう少し石田三成や大久保利通のファンが増えてほしいと思う。


さて、このたび大谷氏は、危険すぎて他のボランティアが近づかず、取り残されたような場所に行って、被災者を支援してきた。

私などは、頭でっかちの役立たずで何もできないでいるが、彼のおかげで、私もカンパして間接的に役に立つことができた。
彼がカンパへのお礼を言ってきたが、私こそ、彼のおかげで、「自分は役立たずだ。」というもどかしさを少しでも緩和できた。
私こそ、お礼を言いたい。

さて、武人を好む彼であるが、武人西郷隆盛と文人大久保利通は仲良かったし、武人大谷吉継と文人石田三成も仲良かった。
「大谷氏」という仮名も、大谷吉継からとったものである。

輝く武人大谷氏も、武人であることの誇りとともに、ぜひ、文人タイプの友人が現れて、支えあい、助け合っていくことを望みたい。