日本人は優しすぎる 暴動は起きないのか 圧制への抵抗とアトラス | アトラス塩浜のブログ

日本人は優しすぎる 暴動は起きないのか 圧制への抵抗とアトラス

日本人は本当に優しい。

それが美徳でもあり、歯がゆい点でもある。

「絶対大丈夫、絶対大丈夫」と言われ続けてきた原発がこれだけの事故を起こした。

何が「頑張ろう、日本」だ」。何が、「東電も一生懸命やっている」だ。

切腹しておわびしないまでも、ここに及んでまだ情報を隠しているとはどういうことか。

なぜ暴動が起きないのだ。

年金だってそうだ。

「義務だから絶対払え」とか言って、「記録なくしちゃったから、各自でもう一度証拠探して申し出て」だと。

これでなぜ暴動が起きないのか。

私が暴動を起こさないのは、それが悪いことだからではない。

今の日本でろくに理解されず、むざむざつぶされて消えるだけというのが厭だからだ。私はただの卑怯者なのである。

私は何でも許すのが優しさだとは思っていない。

圧政に対して民衆が暴動などで対抗する抵抗権を、もっと日本人は学んでほしい。

フランス革命だの、人権宣言だの皆さんは習ったはずだが、きれいごとではないのである。

たくさんの人がぶっ殺されている。

「人を殺すのは絶対にいけないこと。だから、フランス革命はない方が良かった。どんなに時間がかかっても、ルイ16世と話し合いを続けるべきだった」

とでも言うか。

冗談じゃない。

源頼朝も、坂本龍馬も、国家反逆罪である。

そういうことを知らないわけではなかろうに、なぜ暴動を否定するのか。

一方で国家による横暴には目をつぶっているくせに。

日本国憲法には、「表現の自由」とか、「生存権」とか、「平等権」とか、ほぼ重要な人権はそろっているが、1つ、重要な人権なのに書いていないものがある。

「抵抗権」である。

政府というものは、国民の生命・自由・財産を守るためにできたものであり、それに役に立たない政府は、ぶっつぶしてしまう権利があるのだ。・・・が、これを書いていないのが日本国憲法の気に入らない点。

憲法改正というと、すぐに9条を思い浮かべる人が多いだろうが、私は「抵抗権」の明記を求めたい。

オタクのコーナー

有名な「鉄腕アトム」が、「抵抗権」を行使し、政府に反逆し、人類と対決したことがあるのをご存じだろうか?

ぜひ、読んでほしい。

「青騎士」という話に出てくる。

私が一番気に入っている作品である。

アトムが、人類に反逆、ロボットのための国=ロボタニア独立運動のために戦うのだ。

ところが、手塚治虫は、自分で、アトムを「悪役」にしてしまったことを後に悔んだらしいのである。

1980年代、新作のアトムを作り、かつての「青騎士」の代わりに「アトラス」というライバルを用意した。

私が「アトラス塩浜」というリングネーム・ペンネーム・ハンドルネーム・サークル名などに使い続けたのは、ここからとっている。

私のミクシイ・プロフィールにも載せてあるので読んでほしい。

人間に使い捨てにされるロボットの権利のため、人間に反逆するのがアトラスであり、アトムと何度も戦う。

圧制への抵抗、これこそ青騎士からアトラスに受け継がれたテーマだ。

しかも、

1 アトラスは自分で自分の体を改造し、大人に成長した

2 自分の主人を殺した

3 自分の心の支えとして、リビアンという素敵な女性ロボットといっしょにいる

などの点で、私を期待させた。

が、自分のリングネームにしておいてなんだが、正直、早まった。

子どものころ、「アトム対アトラス パート2」くらいまでで感動して、夢中で自分の名前を「アトラス塩浜」としてしまったが、「青騎士」よりできが悪い。

とっくに安保闘争なども終わっている80年代、手塚治虫氏が、一般国民同様、圧制への抵抗への共感がなくなってしまったのだろう。アトラスは何がしたいのか、何とも中途半端な奴になってしまった。

なお、「萌えドル」りりあんさんが、この4月いっぱいで引退する。

りりあんは「アトラス」のパートナーの「リビアン」に名前が似ているだけでなく、とても素敵なアイドルだったが、残念である。