大外刈りで病院送り | アトラス塩浜のブログ

大外刈りで病院送り

柔道練習中に倒れる 中1死亡
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1267697&media_id=2


私は柔道の大外刈りを喰らって大ダメージを受けたことがある。

柔道の背負い投げ、払い腰やプロレスのスープレックス・ブレンバスターなど、身体がクルリと回転しながら投げられる技・・・ア

に対して大外刈り、足払いなどは足を刈られたり払われたりする結果、こけるというか、倒れていく技・・・イ
である。

投げられる時はアの方が怖い。
イは普通にこけたのが少々勢い良いのに過ぎない。
・・・と思っていたのだが、この時の大外刈りでイの恐ろしさを痛感した。
考えてみれば、アの技は、勢いよく吹っ飛べば吹っ飛ぶほど遠心力により下半身が叩きつけられ、上半身のダメージは減る。

プロレスの三沢選手は受け身のコツを聞かれ、
「踏ん張りきれるなら踏ん張る。が、踏ん張りきれないと思ったら自分で飛んでいく」
と言った。

よくわかる。
プロレスをインチキという人には特にわかってほしい部分である。

イの技は、勢いがつくほど足が上に高く上がり、その反動で頭が勢いよく下に落ちていく。
ある意味こちらの方が怖いのである。

大学時代毎週マットも畳もないところでバックドロップ・ジャーマンスープレックス・パイルドライバーなどを喰らっていた私であるが、結局上記の大外刈りの方が効いた。
「柔道選手よりプロレス選手の方が受け身はうまい」
という誇りを持っていたのに、悔しいことに柔道の技でダメージを受けてしまった。

ずっと目の前がチカチカして気持ち悪かった。

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以下、「プロレスバカ1代・6」の再放送。

私がなぜプロレスを好きになったか、その背景として、関係者には申し訳ないが、柔道など他の武道への幻滅というものがあった。

小学生のころ、モリース・ルブラン作「怪盗ルパン」を愛読した。念のため書くが、アニメの「ルパン3世」のことではない。
怪盗ルパンが時々柔道を使ったこともあり、柔道に興味を持った。柔道は小さな力で大きな相手を倒すことができるらしい。
私は小学生のころ、体が小さくていじめられたものである。小さな力で大きな相手を倒すとは素晴らしい。

そこで今度は柔道の本を読むと、柔道を行うと、肉体的に強くなるだけでなく、その修行を通じて精神的にも立派になっていくらしい。ますます素晴らしい。
研究の対象を広げ、空手など他の武道の本を読んでも、真っ先に礼儀や精神面のことが書いてある。
たとえば、極真空手の大山倍達氏は「精神面を向上させるつもりがなく、テクニックだけ学びたい」と言ってきた人を一喝して追い出したという。

ところが、小学生・中学生・高校生時代を通じて観察する限り、むしろ不良じみた奴やいじめを行う者などがウジャウジャ柔道や空手の部・道場にいた。指導者も本で読んだことと違って、試合に勝つことを中心に考えているとしか思えない。
私は、精神的にできていない者に対しては、指導者は社会的責任を考えて、精神面が向上するまでは技を教えないくらいのことをするのかと期待していたが、いじめを行っているような不良じみた奴にどんどん技を教えている。
本に書いてあることと違うではないか。

一方、教育評論家たちは、よく、「過度な受験戦争・競争の中で、子供たちは点数さえ採れればそれで良いという考えになり、あるいは脚を引っ張り合うような利己的な人間になっていく」というようなことを言う。

スポーツ(特に武道)では、激しい競争の中で苦しい練習を続けていくと自然に精神面も向上していくかのように語られ、受験勉強の世界では、激しい競争の中で苦しい受験勉強をやっていくと精神的にろくでもない人間になっていくかのように語られる。(特に東大生はろくでもない人間だ、というようなことを言う人がいる)
おかしいではないか。
競争は人を向上させるのか、駄目にするのか。
なぜ、そういう哲学的論争をせずに、表面的なことばかり語るのか・・・と高校時代にはそのあたりに強い矛盾を感じた。

スポーツでも勉強でも、苦しさに耐えて努力すれば、正に苦しさに耐えて努力ができるという意味においての精神的向上はありうる。
しかし、それはそれ以外の何物でもなく、自然に優しくて温かみある人間に育つということはない。「点数さえ採れれば何でも良い」という人間が現れるのと同様に、「試合で勝てれば何でも良い」という人間が現れる。
精神面を向上させたいなら、それ相応の教育を組み込むべきであって、柔道なり空手なりの修行をしていると自然に心も磨かれるなどというのは幻想である。

一方で、プロレスは、世間から「八百長だ」「邪道だ」と言われる中で、市民権を得ようと必死に努力している様子が伺えた。
関係者には申し訳ないが心を忘れ、試合成績のみに心を奪われている伝統武道よりも、プロレスにこそ断然心惹かれるものがあった。
6月3日のブログ「人生ここから学んだ・2」に書いたように↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=453636311&owner_id=2663509
プロレスには、私が苦しんでいたときに助けられた恩もある。

武道が素晴らしくて、プロレスは邪道だという世間の思いを、私自身が自らの行動で変えてやろう、と思った。
自分の心を鍛えることを自らに課すとともに、何かの折に、根性があるねとか、優しいねとか、思いやりあるねとか、真面目だね、などとほめられた時は答えた。
「プロレスラーですから」と。


オタクのコーナー
どうも私は世間から不当に低い評価を受けている分野の味方になりたがる癖があるようだ。武道よりもプロレスの味方になったが、ウルトラセブンやアイドルへの思いも共通する面がある。
ウルトラセブンには素晴らしい社会風刺・未来への警告が含まれているが、ろくに見もしないで「いい年してくだらない子供番組に夢中になって」みたいな言われ方をするとますますウルトラセブンの味方になって、伝道したくなる。

さとう珠緒さん、ほしのあきさん、小倉優子さんなどのキャラ作りへの徹底、プロ根性は超一流だと思うが、どうもアイドルというだけで、芸能の他分野よりも格が下みたいな風潮が気に入らない。
テレビ出演のたび、「アイドルオタクということをテレビで言って大丈夫ですか。塾の運営に影響しませんか」と心配される。
私の気持ちはこうだ。
「そういう風潮だからこそ言う」
小泉純一郎がオペラや相撲に行って評価が下がったか?
どうしてアイドルだと評価が下がることになるのだ。そういう世間の不当な評価に積極的に挑んでいきたい。