泣きたかった失敗談 木戸次長との出会い・2 | アトラス塩浜のブログ

泣きたかった失敗談 木戸次長との出会い・2

失敗談

私は中学では生徒会長を行い、塾では長く教えているし、選挙の応援演説をすれば、また来てくれとしつこく頼まれる。人前で話すことには相当自信を持っている。
そんな私が得意のはずの講演で大顰蹙だったという話をしよう。

ある政治家(橋下さんとする。仮名)が、友人の議員たちを集めて政治塾をやっていた。
橋下氏は、木戸寛孝氏に講師を頼んだ。
何しろ彼は「ぼくは木戸信者です」と自称していたほどなのである。
木戸寛孝氏についてはこちら↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=749997978&owner_id=2663509

木戸氏は、私の何倍も講演がうまく、今も講演をしばしば行い、カリスマ的人気を誇っている。

ところが、2003年秋から2004年春くらいまでの木戸氏は、「今は知識を外に出すよりも、知識を吸収したい。」と言って、私から法律の話を聞いたりしていた時期だった。
彼は講演の依頼を断り、「むしろ塩浜さんを推薦する」と話した。


「木戸信者」橋下氏も「木戸さんがそういうなら間違いない」として、民主主義について私を8回呼んで講演ということになった。

いつの間にか全てのスケジュールが決まり、時間割も決まっていたので少々びっくり。
特にスケジュールとして3時間みっちり組まれていたが、私の経験では、相当話のうまい人でも3時間の講演では観客が疲れる。

と言って、これでもう募集してしまっている以上、3時間と言って実際は1時間半だったり2時間だったりしたら、インチキである。
ショーケースの中にあるオムライスが大きいので注文したら実物は小さかったりすると、私は徹底的にその店を憎む。それと同じことはしたくない。

(今から考えれば、構わず講演1時間、質問30分のつもりで組み立てれば良かった。私は約束との一貫性などにはこだわる性格なのだ。)

3時間というのは困ったのだが、1つだけ「方法」はあった。ただし、「この方法」は、相手によって使える時と使えない時がある。
そこで、橋下さんとスタッフにも来てもらい、打ち合わせをした。

「来る人たちは、おとなしく聞いているタイプか、自分でもガンガン意見を言うタイプか」
「後者である」
「途中でもガンガン意見を言ってもらったりする形を取りたい。ただし、それでシーンとされると3時間はもたない。」
「みんな元気なタイプですよ。もしも誰も意見を言わなければぼくが言いますから」

よし、それなら、「あの手」だ。
ある元気者が多いグループに呼ばれて講演していた時にやっていた手。
まずはあるテーマについて自分なりに意見を言い合ってもらう。いろいろな意見を出してもらった後、「実はこういう観点を入れるとこう考えられる」 と言って解説する。前半の大荒れは織り込み済み。長期戦でしか使えない手である。しかも、初めての場でもガンガン言い合えるタイプが集まらないと使えな い。実に限られた場合の手段である。

第1回は直接民主主義と間接民主主義について語る。
いきなり、「選挙とは、人で選ぶべきものか、政策で選ぶべきものか」というテーマで語り合ってもらう。
いろいろな考え方があるはずだ。

しかし、よく考えると、選挙は無数にある争点について、たった1票で決めるものである。たとえば、「郵政民営化に賛成だ。小泉さん、改革頑張れ」と思って自民党候補に入れた人はイラクに自衛隊を出すことについては野党候補の考えに近いかも知れない。

選挙で政策を選ぶことは無理なのである。
結局、選挙では、特定の争点(たとえば郵政民営化)のことだけに目を眩まされるか、または「政策のことはわからんが、人物としてあんたを信用して任せる」ということしかできない。

こうなると、政策を選ぶためには、短所が多かろうが、直接民主主義、すなわち「ある政策」についての国民投票というものを考えざるを得ない。
では、よく言われる直接民主主義の短所についてどう考えるか、どう短所をカバーするか・・・というように深めていく予定だった。

どこで話しても「わかりやすい」「なるほど」「目から鱗が落ちた」と言われる自信あるテーマを第1回に選んだのだ。

参加予定者を聞くと、すごいメンバーだった。
自治体議員がウジャウジャ。
既に私がやっていた「明日の政治家をつくる会」でも、何人もの自治体議員が、ゲストとしてでなく、聞く側として参加していたので、「私が講師、自治体議員が生徒」という構図は経験済みである。

ただし、次の2点で驚いた。
1 「明日の政治家をつくる会」の場合、それらの議員は議員になる前から既に私の会で勉強して、私のことは知っている。それに対し、橋下氏の塾の人は私を知らないはずだ。
2 「明日の政治家をつくる会」は市議会議員が中心だが、こちらは、県議会議員とか、市議会選挙トップ当選とか、市議会議長とか、(本当は県が市 より上というような発想は間違っているが、選挙の困難さなどを考え、あえて言えば)ランクが上なのだ。トップ当選したり、県議会議員やったりしている人 が、よく私のような無名の者の話を聞きにくるものだ。偉い。
私はもちろん、知識にも内容にも話かたにも自信はあるが、とにかく無名は確かだ。

その熱意に負けぬよう、私も自信のテーマに更に予習を上乗せ、諸外国の例など新ネタも加え、準備万全。
(これでも失敗するのだから怖いものである。)

まず、想定と違ったところ。
まず橋下氏が、木戸寛孝氏を詳しく詳しく紹介。さすが自称「木戸信者」である。
こんな風に紹介してくれれば、県議会議員だろうと、市議会トップ当選だろうと、こちらをなめたりせず、襟を正して聞いてくれるであろう。
そして木戸氏も短い講演みたいなことをした。
で、私の番になったが、私の紹介らしい紹介はなく、「では塩浜さん、お願いします」
あれ。それだけ?

私も万能選手になりたいので、どんなリングでもうまく話せるような力をつけたい。ここは、その力がなかったことを素直に反省したいが、でも、で も、あえて「負け惜しみ」も言わせてもらえれば・・・木戸氏の紹介の半分でも、いや、1割でも私のことを紹介し、「この人は無名かも知れないが、その豊富 な経験と知識は絶対に役立つので、ぜひ聞いてください」の一言でもあれば、どれだけ助かったか。

明日のために・1
主催側は観客が「聞く空気」ができるように努めよう。
話す側は、「紹介の時、ここだけはぜひ言ってほしい」ということを頼んでおこう。
100の予習・準備よりも1の聞く空気作りだ。

立ったとたんに「誰?これ」という空気。

が、気を取り直し、
「皆さんは、素晴らしい。今日のテーマは皆さんが次の選挙に当選するには全く役に立たないのに、こういうテーマで聞きにきてくれるのは嬉しい」
お、ちょっとだけ和んだぞ。良かった。

「では、いきなりですが、皆さんに聞いてみたい。選挙とは、人で選ぶべきものか、政策で選ぶべきものか。どちらとはいえないのですが、あえて言えばどちらでしょう」
手が上がらない。

もう一度促すと、1人が挙手。良かった。
「こういうものは、人物のことも、政策のことも考えなければならないのであって、どちらか、という問いの立て方自体が間違っている!」
なんか、みんな講師の私に対して最初から「上から目線」である。

うわあ、どんどんシナリオが狂っていく。

他の意見を求めても、もうこの雰囲気では誰も何も言わない。
幼児番組で「き、という文字で始まる言葉を言ってみましょう」とお姉さんが言ったら、最初に挙手した子が「きんたま!」と大声で言い、その後は他の子は手をあげなくなったという事件を思い起こした。
(この話は続きも面白いが省略)

こういう時は橋下さんが意見を言うはず・・って、あれ、助けてくれない。そんなあ。

明日のために・2
やはり参加者の討論から入る方法はリスクが高すぎる。それは互いのキャラクターがわかり、信頼関係ができてからにしよう。

もうここまでで、回復困難なほど失敗していた。
が、せっかくだから、その後の良くなかった部分も書こう。

私は無名な私の話を聞きにくるということは、このテーマに関心あると思っていたが、後での観察を見る限り、そうではなかった。

参加した人は、橋下氏との人間的つながりで来たのであって、テーマで集まったのではなかった。

明日のために・3
このあたり、講師に関心あるのか、テーマに関心あるのか、主催者との人間関係か、知識はどのくらいか、すばやくつかむべし。そして、どの場合にも柔軟に対応できるようにすべし。

私は直接民主主義・間接民主主義について、一般的によく言われることまではわかっている前提で、そこに上乗せしたことを言うつもりでいた。
が、その前からやるべきだった。いわば、初級向きでいくべきところで中級編から始めてしまった。

世の中には、わかりやすく話すことができない人もいる。が、こちらは、難しいことをわかりやすく話すのは得意中の得意であるだけに悔しかった。

1人の議員はガサゴソ動き、立ったり座ったり。後で知ったことによると、もうこの時点で、「こんな男の話を聞いていられない。やめさせろ」と主催者側に文句を言っていたようである。
(ちなみにこの人の座右の銘は「我以外、皆、師。」私のこの時の失敗は認めるが、この座右の銘ならば、頼むからもう一度、聞いてくれないだろうか。私も決して中身のない人間ではない)

「休憩に入ります」
と主催者。ボクシングで言えばタオルが投げられた。
その後は木戸氏が代わりに講演。私は用済み。

みんなが今度は深くうなずいて聞いている。

泣きたかった。
一番得意な分野で完敗。
いや、勝ち負けではないことはわかる。そんな小さいことを考えていたことを木戸本人にも見られるであろうことも恥ずかしい。

が、一番得意なテーマで、必死に準備をし、不甲斐ない失敗をやらかし、普段教えているいわば生徒に助けてもらっているのだ。
後輩に追い抜かれた先輩の芸人・タレントはいったいどんな気持ちだろうか。

泣きたかったが、ここで泣いたら、本当に最悪である。

感動して泣くのは良い。他の人のために涙を流すのも良い。それは何度もやった。
だが、自分のことで泣くなんて、そんなことができるか。

木戸氏にも失礼である。
彼は別に私と競争しているのではない。
彼は、私の失敗をカバーすべく、そして、来てくれた人に満足して帰ってもらうべく、一生懸命やっている。
ここで私が泣くことはできない。泣いてはいけない。
話す内容が通じないことはある。予定がうまくいかないことはある。しかし、ここで泣いたら、自分は本当にだめな人間になってしまう。ここで泣くことこそ、講演がうまくいかなかったこと以上の過ちである。
だから泣かない。絶対に。

ここは感謝するところだ。

木戸氏は、予定のテーマもチャラにして、来た人を惹きつける話を惜しげもなく披露。国際刑事裁判所ICCが持つ意義も語り、みんなが惹きこまれたところで言った。
「このことを国会でやっているのが実はそこにいる塩浜さんなのです」

地に墜ちた私の評価だが、この発言のおかげでほんの少しだけ「おお、そうだったのか」という反応があった。国際刑事裁判所のことは、今回のテーマに関係がない。この話は私の名誉を守るために無理に持ち出したのに違いなかった。
ありがとう。本当にいい奴だぜ。

結局、全8回のうち、私の回は、半分の4回に減らされた。
その後、講演の天才・木戸氏と相談しながら残りの回をこなし、次からは名誉回復ができた。

この失敗は2004年2月3日のこと。
節分の日は、苦い思い出の味がする。


オタクのコーナー
現在ニジイロクワガタがさなぎ。
カブトムシの幼虫は、今年は土の発酵のさせ方がうまくいかず、全体的に育ちが悪い。
ちょっとした条件で育ちが違い、しかも失敗したら次の年までやり直しが効かない。これは農業も同じ。その点で農業は大変だろうなと思う。