政界再編の歴史20(再)森・小泉内閣 | アトラス塩浜のブログ

政界再編の歴史20(再)森・小泉内閣

政界再編の歴史・20
2000年ころからの歴史。そろそろ皆さんの記憶にも新しい時代だ。

小渕総理が死に、次は森総理。
潜水艦が漁船とぶつかるという事故があった時、森総理は事件を聞いてもゴルフを続けたということで非難された。その後も「日本は神の国」という発言や「選挙の時国民は寝ていてくれれば良い」「(強姦するのは)まだ元気があって良いが、最近の若者はおとなしくてそういうこともできない」などの発言でメディアはガンガン噛み付いた。
註 コメントで教えていただきましたが、最後の発言は太田誠一議員の発言の間違い。森総理の発言は「子どもを一人も産まなかった女性が自由を謳歌して、老後は税金で面倒を見ろというのは本当はおかしい」というもの。

支持率最悪の中、森総理に代わって誕生した小泉総理になると、今度はメディアはあきれるくらい、一々好意的に取り上げた。
新聞テレビが何種類もあるのに、一斉に同じことを言い出すのが実に気持ち悪い。
単にメディアの体質がろくでもないだけだと思うが、この様子を見れば何か闇の組織が陰謀でもしているのではないかと言いたくなるのは当然である。

たとえば森総理の「日本は神の国」は、定義も何も言っていないのであって、それほど問題とも思わないし、むしろ小泉総理の「厳密な憲法解釈を言われれば、私も答えに窮してしまう」「これくらいの公約違反はたいしたことではない」塩じいの「忘れてしまいました」こそ、この発言だけで昔なら何日も国会が空転しても不思議ではないほど大問題だ。

森総理に対し、その次の総理候補NO1だった加藤紘一氏が「加藤の乱」を仕掛けた。
野党が提出しようとしている森内閣不信任案に加藤紘一氏も同調することを公言、また加藤紘一氏の盟友山崎拓氏も同調。
メディアは連日、「何人以上が同調すれば不信任案は可決される。果たしてどうなるか」とシミュレーションの毎日。

そもそも、自民党が1993年から1994年後半までしばらく野党になったのは、1993年に自民党の小沢一郎たち(後新生党を結成)と武村正義たち(後新党さきがけを結成)が宮沢内閣不信任案に同調したことによる。
無責任な書き方をすれば、ここからの政界の目まぐるしい変化は見ていて面白かった。
加藤紘一氏の派閥、山崎拓氏の派閥が自民党を抜ければ、また目まぐるしい変化が起き、面白くなる。自民党がまた野党になる可能性も高い。

当時、私は風邪をひいて長い間風呂に入らず、それが直りかけていたところだった。
歴史的瞬間を気持ちを改めて見ようと、久しぶりに風呂に入り、ひげをそり、ワクワクしてテレビをつけた。
ところがどうだ。
加藤紘一氏が、派閥のみんなの前で「不信任案賛成ではなく、棄権に留めよう。私1人だけ責任を負って賛成しに行く」みたいなことを言い出し、それを谷垣禎一氏が「絶対だめ。あなたは大将なんだから・・・大将なんだから動いてはだめ」と泣きながら止めている。
歯を食いしばり涙をこらえる加藤紘一氏。

これで加藤紘一氏の政治生命は終わり、谷垣氏も首相になるために30点くらいの減点。
「自民党を裏切ることで派閥の仲間がひどい目に遭っては困る」と心配し、親心を見せたという図式なのだろうが、それまで「国民のために」「100%勝ちます」と言っていたのは何だったのか。
国民から見れば「国民のことより、派閥の仲間が大事だったのね」ということになる。

いつも小沢一郎の悪口を言っているが、この尻切れとんぼの反乱に比べて、改めて1993年に自民党を割り、自民党を野に下らせた小沢一郎はすごい・・・と相対的に思った。こういうことが「小沢の豪腕」という伝説につながっているのだが、小沢一郎とかアントニオ猪木は、気まぐれに奇襲攻撃をやるだけで、時に大ヒットするが、時に大外しして、平均するとたいしたことはない。あまり頼りにすると痛い目に遭う。民主党よ、早く党首を変えなさい。

私は加藤氏や谷垣氏の外交政策、そして全体的に政策通であるところを高く評価しているし、安倍・麻生・谷垣の3氏から選ぶならば、文句なしに谷垣氏である。が、政策はともかく、いざという時の腰砕けは大減点となった。

一方、加藤紘一氏につきあった山崎拓氏の派閥は一糸乱れぬ行動を見せて評価を上げた。
ただし山崎氏は週刊誌で愛人との変態プレーのことを散々叩かれたためか、更に言えばそういうことが嫌いな創価学会婦人部に見放されてか、2000年6月の選挙で落選。
これを見て、元々立候補する気がない私の立候補の気持ちはますます萎えてしまった。
よく「立候補しないのか」と言われるが、私では勝てない。
私は浮気の何が悪いのか理解できないし、山崎氏以上の変態である。そんなの政治力と何の関係もないと思うのだが、山崎氏ほどの大物がこういうことで落選するのでは私などお話にならない。

加藤の乱未遂の日、松浪議員が野次に怒って、コップの水をぶっかけるという事件が起きた。また無責任なことを書けば、楽しみにしていた加藤の乱が不発に終わりガッカリしていたので、せめてこれくらいのハプニングでもないと面白くなかった。
もう1つ面白かったことがある。この日のことが放映されたらよく見ていてほしい。
松浪氏は、他の議員の猛抗議に対して「うるさい、あっちいけ」というような仕草をしていたのに、席に戻る時、川田悦子議員(薬害エイズ原告の川田龍平氏の母親)に対してだけなぜか謝っている。民主党には謝りたくないが無所属の人には謝るということか?

さて、個人的なことも。
1999年の統一自治体選挙、2000年の衆議院議員選挙などで「明日の政治家をつくる会」の仲間もどんどん政界に入り、私も日本を変える手ごたえを感じていたころだった。
その先を話せば、2001年の都議会選挙と参議院選挙、2003年の自治体選挙と衆議院選挙を経て、私の金が完全に底を尽き、現在も金がなくて困っている。おまけに体力まで落ちてきた。
金の問題をどうにかしないと日本の政治を変えることなどできないと思って焦っているが名案浮かばず、現在に至る。
宗教家は、存在しない神だの仏だの持ち出して金を大量にふんだくって羨ましい。私も日本の政治を変えるためなら何でもやりたいのだが、存在しない神を存在するなどと真顔で言うことができないのである。

2001年、小泉総理誕生。
自民党総裁選挙では橋本竜太郎氏と小泉氏が争った。党員票では小泉氏が人気があったが、議員票で橋本氏が勝つというのが予測であった。
しかし、自民党というのは傲慢な時は弱いが、危機意識を持つと強い。
ここで一般党員の意思をくつがえして橋本氏の勝ちにしたら、次の国政選挙で負けると思い、小泉氏を総裁にした。
小泉氏の人気の秘密はいろいろある。
自分の言葉でしゃべる。今までのやり方にこだわらない。短くてわかりやすい言葉。・・・などいろいろあったが、あまり言われていないことを1つ指摘。
小泉氏は、間接民主主義の短所がどんどん表面化してきた現在において「直接民主主義類似」の楽しさを国民に無意識のうちに感じさせたのだ。(かなり深い部分を言っているつもりである)
更に予告しておけば、いつしか、もっと本格的な直接民主主義が部分的に行われる時代も来る。その時に、小泉時代のは、別にそれほどたいしたことではなかったということに気づく人もいるだろう。
ちょうど、UWFというプロレス団体に対して「従来のプロレスと違ってここだけは本気で戦っている」と熱狂した人が多く現れたが、総合格闘技がブームになってみればUWFもたいしたことがないと思うようなものだ。

2001年の都議会選挙や参議院選挙は小泉率いる自民党が強すぎて、どうにもならなかった。
幸い、自民党は1998年の参議院選挙で候補を出しすぎて同士討ちで痛い目に遭っていたので、それに懲りて2001年にはあまり候補を出さなかった。こういう時には同士討ち覚悟でたくさん候補を出した方が良い。それでも楽勝だったはずである。

オタクのコーナー
かつて全日本プロレスの実況を担当していた若林アナウンサーがフリーになり、テレビ東京プロレス団体「ハッスル」の実況。
かつて厳しいプロレスをやっていたが現在はお笑いっぽいプロレスをやる天龍選手について、「私も今の天龍さんを批判的に見たこともあります。しかし、多くの人にプロレスを知ってもらい、多くの人に楽しんでもらうため、あえて新しい道に踏み出した天龍選手」という実況に感動。
「ジャンボ鶴田の強さを引き出したのが天龍」「天龍の生き方を認めてくれたのがジャイアント馬場」など次々と言葉が出てきた。