闇に葬られる法案 立法手続き・4
塩浜流憲法入門・27・立法手続き・4
3回連続で「政党の機関承認」という裏ルールについてしつこく強調した。
国会法によれば、
ア 提出者1名以上
イ 賛成者20名以上(衆議院の場合。なお例外あり)
あれば議案を提出できるはずなのに、実際には裏ルールがあり、
ウ 政党の機関承認
がないと受け付けてももらえない。
本会議で否決されたならば迷わず成仏できるが、知られぬまま闇に葬られるのである。
憲法にも国会法にも書いていない条件で、議員の立法権が制限されているのである。これに怒らない議員たちのセンスを疑う。
さて、わが世界連邦運動団体は、国会に「世界連邦実現に関する決議案」を出そうと努力したが、いつもウの「政党の機関承認」が得られないまま会期終了、すごろくで言うと「ふりだしに戻れ」ということを繰り返していた。
2000年、ついに最大政党自民党の機関承認をもらうことに成功。
自民党の場合は、総務会長、政務調査会長・幹事長・国会対策委員長の4つのサインが必要であり、最大の難関だった。
この4人の中では、野中ひろむ幹事長が一番平和への思い入れが強いと思ったので、まずここから。ついで、亀井静香政調会長については、その盟友平 沼赳夫さんが提出者であることを強調すればいける。この2人がオーケーならば、古賀誠国対委員長、池田総務会長も反対しないだろう・・・と前事務局長と いっしょに順番を考えた。
このころ私は世界連邦の下っ端の若造として細々したことをやっていた。
自民党の機関承認のサインをそろえるという大きな壁を打ち破ったのは前事務局長であることを記しておきたい。私はその後を継いだので楽になった。
さて、2000年はそこまでいったが、議院運営委員会の了承が得られないまま、会期切れ、廃案となった。
ということで、3回連続で同じことを書いていたが、ようやく新しいことを書く。
政党の機関承認に続く次の大きな壁は・・・ドーン!!
エ 議院運営委員会
別に、「出された順番に審議しましょう」というルールはない。
「野党は反対ばかりで対案がない」というのは与党側が得意とするデマである。
野党が出した法案なんぞ、本会議にかけず、放っておくのである。なまじ本会議にかけたら、否決しても記録に残る。
放っておけば闇に埋もれる。
忍者サスケのナレーションを真似れば、
「闇に生まれ、闇に消える。それが野党案の定めなのだ」
出された法案を放っておくことを業界用語で「吊るし」と言う。
野党に「つまらない揚げ足とりは、やめろ」というなら引き換えに「吊るしをやめろ」と言わないと不公平である。
イギリスには「オポジション・デイズ」、つまり「反対党の日」というのがあり、野党が優先的に法案を出し、本会議をしきる日がある。日本にも導入してほしい。(塩浜から提言)
この年の秋、前事務局長が倒れ、入院。
90歳近い年齢で全身麻酔での手術に耐え、命は無事だったが、現場への復帰は無理だった。
私から見ると、日本の立法手続きのおかしさは
1 民主主義への冒涜
であると同時に
2 前事務局長の仇
という印象である。
前事務局長と私の2人でやっていてもいつも会期切れなのに、私1人では、ますます難しい。ところが、民間で世界連邦運動をやっている人は、
「惜しかったが、もう少しだ。来年こそ」
みたいな話ばかりしている。
私の性格だと、そういう大日本帝国の「大本営本部発表」みたいな「今日も勝った」とい言いながらジリ貧になっていくやり方よりも、「この部分が難しい」という問題点を共有したい。
が、時々それをやると、すごく嫌がられた。
私は「受験生の前で滑るとか落ちると言うな」とか、「試合の前に負けることを言う奴がどこにいる。出てけ(アントニオ猪木)」とか、そういうのが馬鹿馬鹿しい。
井沢元彦氏言うところの言霊信仰である。私が変わっているのだろうか。
2001年はバタバタしているうちに過ぎ去った。
2002年、つらかった。
最初に自民党の機関承認のサインを一日で全部もらえた時だけは、ちょっと期待した。
が、やりながら、とうてい決議できる見込みがないことを肌で感じ、むなしかった。
私も賛成署名を集めたり、資料作りをすることはできる。が、議院運営委員会と交渉するなどの部分は大物議員が本腰を入れなければ、私がチョロチョロしても無理である。
負けるとわかっている戦いに出陣する楠木正成、西郷隆盛などの心境はどうだったのであろうか。
2005年、もう怒鳴られてもいい。
世界連邦の民間の会長に、私と事務局次長が話に行った。
「会員の皆さんが、今年こそと言って盛り上がっているが、そんな簡単なものではない。議員のみんなは、賛成署名はしてくれるけれど、議院運営委員 会などで手続きが滞った時に更に押してくれる人がいない。我々は賛成署名を集めたり、資料作りをすることはできるけれど、議員の中に本気でやってくれる人 が各政党に1人ずついないと無理だ」
ということを怒鳴られる覚悟で言いにいった。
我々はその後、「それよりもICC国際刑事裁判所に日本を加入させることを優先しよう」という方向に持っていく予定だったが、会長が深刻な表情で言葉をさえぎった。
そして、一言加えた。
「あの人と会ってみよう」(つづく)
オタクのコーナー
テレビ番組を盛り上げるのが得意な相澤仁美さん。その腕にはいつも感心させられる。
が、相澤仁美さんもまだ不慣れな時代もあった。
女相撲で勝ちあがった相澤仁美さんがクイズに挑戦。
第1問 方位磁石のN極はどの方角を指すか。
相澤仁美さんの答え。「南極のN」
答えとしては面白いが、一問めで間違えて失格したため、番組の時間が余って困ったようである。
3回連続で「政党の機関承認」という裏ルールについてしつこく強調した。
国会法によれば、
ア 提出者1名以上
イ 賛成者20名以上(衆議院の場合。なお例外あり)
あれば議案を提出できるはずなのに、実際には裏ルールがあり、
ウ 政党の機関承認
がないと受け付けてももらえない。
本会議で否決されたならば迷わず成仏できるが、知られぬまま闇に葬られるのである。
憲法にも国会法にも書いていない条件で、議員の立法権が制限されているのである。これに怒らない議員たちのセンスを疑う。
さて、わが世界連邦運動団体は、国会に「世界連邦実現に関する決議案」を出そうと努力したが、いつもウの「政党の機関承認」が得られないまま会期終了、すごろくで言うと「ふりだしに戻れ」ということを繰り返していた。
2000年、ついに最大政党自民党の機関承認をもらうことに成功。
自民党の場合は、総務会長、政務調査会長・幹事長・国会対策委員長の4つのサインが必要であり、最大の難関だった。
この4人の中では、野中ひろむ幹事長が一番平和への思い入れが強いと思ったので、まずここから。ついで、亀井静香政調会長については、その盟友平 沼赳夫さんが提出者であることを強調すればいける。この2人がオーケーならば、古賀誠国対委員長、池田総務会長も反対しないだろう・・・と前事務局長と いっしょに順番を考えた。
このころ私は世界連邦の下っ端の若造として細々したことをやっていた。
自民党の機関承認のサインをそろえるという大きな壁を打ち破ったのは前事務局長であることを記しておきたい。私はその後を継いだので楽になった。
さて、2000年はそこまでいったが、議院運営委員会の了承が得られないまま、会期切れ、廃案となった。
ということで、3回連続で同じことを書いていたが、ようやく新しいことを書く。
政党の機関承認に続く次の大きな壁は・・・ドーン!!
エ 議院運営委員会
別に、「出された順番に審議しましょう」というルールはない。
「野党は反対ばかりで対案がない」というのは与党側が得意とするデマである。
野党が出した法案なんぞ、本会議にかけず、放っておくのである。なまじ本会議にかけたら、否決しても記録に残る。
放っておけば闇に埋もれる。
忍者サスケのナレーションを真似れば、
「闇に生まれ、闇に消える。それが野党案の定めなのだ」
出された法案を放っておくことを業界用語で「吊るし」と言う。
野党に「つまらない揚げ足とりは、やめろ」というなら引き換えに「吊るしをやめろ」と言わないと不公平である。
イギリスには「オポジション・デイズ」、つまり「反対党の日」というのがあり、野党が優先的に法案を出し、本会議をしきる日がある。日本にも導入してほしい。(塩浜から提言)
この年の秋、前事務局長が倒れ、入院。
90歳近い年齢で全身麻酔での手術に耐え、命は無事だったが、現場への復帰は無理だった。
私から見ると、日本の立法手続きのおかしさは
1 民主主義への冒涜
であると同時に
2 前事務局長の仇
という印象である。
前事務局長と私の2人でやっていてもいつも会期切れなのに、私1人では、ますます難しい。ところが、民間で世界連邦運動をやっている人は、
「惜しかったが、もう少しだ。来年こそ」
みたいな話ばかりしている。
私の性格だと、そういう大日本帝国の「大本営本部発表」みたいな「今日も勝った」とい言いながらジリ貧になっていくやり方よりも、「この部分が難しい」という問題点を共有したい。
が、時々それをやると、すごく嫌がられた。
私は「受験生の前で滑るとか落ちると言うな」とか、「試合の前に負けることを言う奴がどこにいる。出てけ(アントニオ猪木)」とか、そういうのが馬鹿馬鹿しい。
井沢元彦氏言うところの言霊信仰である。私が変わっているのだろうか。
2001年はバタバタしているうちに過ぎ去った。
2002年、つらかった。
最初に自民党の機関承認のサインを一日で全部もらえた時だけは、ちょっと期待した。
が、やりながら、とうてい決議できる見込みがないことを肌で感じ、むなしかった。
私も賛成署名を集めたり、資料作りをすることはできる。が、議院運営委員会と交渉するなどの部分は大物議員が本腰を入れなければ、私がチョロチョロしても無理である。
負けるとわかっている戦いに出陣する楠木正成、西郷隆盛などの心境はどうだったのであろうか。
2005年、もう怒鳴られてもいい。
世界連邦の民間の会長に、私と事務局次長が話に行った。
「会員の皆さんが、今年こそと言って盛り上がっているが、そんな簡単なものではない。議員のみんなは、賛成署名はしてくれるけれど、議院運営委員 会などで手続きが滞った時に更に押してくれる人がいない。我々は賛成署名を集めたり、資料作りをすることはできるけれど、議員の中に本気でやってくれる人 が各政党に1人ずついないと無理だ」
ということを怒鳴られる覚悟で言いにいった。
我々はその後、「それよりもICC国際刑事裁判所に日本を加入させることを優先しよう」という方向に持っていく予定だったが、会長が深刻な表情で言葉をさえぎった。
そして、一言加えた。
「あの人と会ってみよう」(つづく)
オタクのコーナー
テレビ番組を盛り上げるのが得意な相澤仁美さん。その腕にはいつも感心させられる。
が、相澤仁美さんもまだ不慣れな時代もあった。
女相撲で勝ちあがった相澤仁美さんがクイズに挑戦。
第1問 方位磁石のN極はどの方角を指すか。
相澤仁美さんの答え。「南極のN」
答えとしては面白いが、一問めで間違えて失格したため、番組の時間が余って困ったようである。