私立学校や会社が人権侵害したら 塩浜流憲法入門37 | アトラス塩浜のブログ

私立学校や会社が人権侵害したら 塩浜流憲法入門37

塩浜流憲法入門・37
会社や私立学校に憲法の人権保障は及ぶか

どのマンガか忘れましたが、4コママンガに次のようなものがありました。
PKOだったか何だったか、当時政治の世界で憲法との関係が論じられていたテーマについて、自民党の有力者が話し合っています。
3コマ目。
「いい考えがあります。この規程を会社の規則に入れてしまうのです」
4コマ目。
「ははは、そうですなあ。この国では会社の規則は憲法より優先するんですからなあ」

中々鋭い点をついています。
会社や私立学校が憲法に反することをやったらどうなるのでしょう。
思想や性別に基づく差別をちょこちょこやっていますが、憲法14条、「法の下の平等」に反しないのでしょうか。
実はこの問題、中々深いものがあり、私も心でもまだ完全な決着がついていません。

直接効力説とその問題点
この問題を初めて聞いた人は、「え、そりゃ、憲法って、みんなが守るものなのでしょう?ばれるかばれないか、大ごとになるかならないかは別として、憲法は当然守らなきゃ。」と思うでしょう。

しかし、憲法というのは国とか自治体とか公務員などに守らせるものです。私人にも憲法が直接関係があるという考え(直接効力説)をとる人はほとんどいません。

事例1
私=塩浜は、アイドルがプロレスをする「アイドルコロシアム」の事前イベントで、出場予定に名前があったアイドルの人数分の花束を持っていきましたが、案内に載っていなかったのに急に来た生駒えりこさんの分を持っていきませんでした。
そのため、7、8人いたアイドルのうち生駒えりこさんにだけ、花束をあげませんでした。
(実話。この直後の試合で生駒さんが引退したのが後味悪い)
生駒えりこさんが、「塩浜の態度は憲法14条、法の下の平等に反する。私にも花束を渡すべきだ」という給付判決を求め、訴えたらどうなるでしょうか。

事例2
A君は、誕生日に沼尻さやかさんと、内田さやかさんと、木村さやかさんを呼びましたが、青木さやかさんは顔も芸風も信じている宗教も嫌いだとして誕生日に呼びませんでした。
青木さやかさんが、「A君の行為は憲法14条、法の下の平等および憲法20条信教の自由に反する。私を誕生日に呼ぶべきだという判決を求める」として訴えたらどうなるでしょうか。

多分、皆さんには違和感あるだろうと思います。
「差別かも知れないが、誰に花束渡そうが、誰を誕生日に呼ぼうが、それは各自の勝手じゃないの」
その通りです。
そういう個人の行動にまで裁判所がしゃしゃり出て義務を与えたりする方が恐ろしいです。


無効力説とその問題点
では、憲法の規程は私人には一切関係ないのでしょうか。
私人のことは民法や商法で考え、憲法は全く関係ないという説(無効力説)もありますが、この考えをとる人もほとんどいません。

民法などの私法はある程度対等な個人間の争いを前提としています。
大企業とか、私立学校に人権を侵害された場合、対等な個人間の争いを前提とする民法では、十分に人権を守ることができません。

事例3
あなたが一番嫌いな宗教・思想を頭に浮かべてください。
この宗教・思想が日本に広がり、ほとんどの会社で、「この宗教・思想を信じなければ、わが会社には入れない。文句あったら、他の会社にいけ」と言い出したとします。

あるいは、ほとんどの私立学校が特定の宗教のものばかりになり、その宗教を信じないと私立学校にいけないとします。
このような場合に「悔しかったら公立に行け」というだけで良いのでしょうか。

ここまでまとめますと、
直接効力説=憲法が私人にも直接適用されるという考えでは、個人の自由に一々裁判が介入して良くない。
無効力説=憲法は私人と私人の争いには関係ない、民法など私法を使えという考え。
これでは、私立学校や大企業に人権侵害された場合、私法が対等な個人間の戦いを前提にしているので人権が十分に守りきれない。

ここで間接効力説という中途半端な説があります。
民法には「信義誠実に反してはいけない」(1条)とか「公の秩序に反する行為は無効」(90条)というように、抽象的な条文(=一般条項)があります。
こういう抽象的な条文と憲法の精神を合体して適用しようというのが間接効力説です。
少しわかりにくいでしょうが、まあ、法律の試験でも受けるのでなければ、深入りしなくて良いです。
一応これが多数説であり、裁判所もとっている見解ですが、まだ文句があります。

日本人は一般的に「中庸」とか「間をとる」のが好きですが、「AもBも極端だから、ケースバイケースで考えよう」なんてのは、何も言っていないのと同じなのです。
どういう時にAでどういう時にBなのか基準を示してくれないと、何も言っていないのと同じ。後は裁判官次第なんてので良いのでしょうか。

結局ある時には憲法を適用せず、ある時には憲法を適用する、基準を示し、場合分けして直接効力を認めるか、無効力かしかないのであって、間接効力なんていんちきです。

と・・ここまでは自分の考えを決めていまして、後はどう場合わけするかが完全にはできあがっていません。
未完成の考えを現段階で発表しますと、「てめえの金でやる分には、ある程度お好きにどうぞ。ただし、私立学校にせよ、企業にせよ、国から補助金をもらったら、それと引き換えに憲法が直接適用されてくることを受け入れろ」という案を持っています。
これを嫌がって補助金をもらうのをやめてくれれば、それはそれで財政赤字が減ってめでたし。

まだいろいろ穴がある理論です。アイディアを募集します。


オタクのコーナー
事例1で述べた「格闘アイドル」生駒えりこさんについて。
残念ながら、ついに好きになれないまま生駒さんは引退してしまった。

自分も格闘技をやっていた身。
生駒さんの「手」の裏がわかってしまうのである。
格闘技というのは、攻める時に同時に隙ができる。
一切攻めずにひたすらよけてくる相手を倒すのは、相当に実力差がない限り無理である。
多分、全く柔道を知らない人でも腰を引き、腕を突っ張りながら組み、(これで腰に乗せる技と足を払う技は全く届かない)後は巴投げに来るのだけ警戒していれば、柔道初段程度の相手には投げられない。判定負けはあるかも知れないが、投げられないはずだ。

まして柔道着とか、相撲のまわしがない水着での戦いである。
組んでも組んでも余裕のふりをしながら、
「何だよ、攻めてこいよ」とかわめいてただ手を振り払っていると、攻める側は疲れるばかりで何もできない。

どうしても生駒さんのこのやり方が許せず、観客席から
「だったら、おまえが攻めてみろよ」
と叫んだものである。
挙句の果て、生駒さんが、余裕のふりをしながらはあはあ息を切らしているのを思い切り野次った。

それにプロレスでは、「相手にペースをつかませないで勝つ」というのが最上なのではない。それは他の競技だ。プロレスだけは、「相手の技に耐える力と自分のすごい技の両方を見せて勝つ」のが最上の勝ち方である。
マイミク浦えりかさんは、受身が難しいブレンバスターという技で投げられていた。

なお、生駒さんの涙を反面教師にした面があるが、それはまたいずれ。