俗悪クリスマス 無神論者塩浜、信仰を語る・下 | アトラス塩浜のブログ

俗悪クリスマス 無神論者塩浜、信仰を語る・下

昨日のブログでは↓
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前半で欧米先進国(キリスト教国が多い)が贅沢の限りを尽くしている中で途上国が「分配の不公平」で苦しんでいる様子を描き、後半ではキリストが民衆の中に分け入って差別・貧困と戦ったことについて触れた。

本日はキリストのように民衆の中に入り込んでいった賀川豊彦を紹介したい。

世界連邦運動の最初の副会長はキリスト教の賀川豊彦である。
彼は会長を薦められたのであるが、「この運動は宗派を超えたものにしなければならない。私が会長になると、運動が広がらない」と言って、「憲政の父」尾崎行雄を初代会長にし、彼は副会長になったのである。

私は宗教に対して距離を置いていたので、あまり賀川豊彦のことを知らなかったのであるが、9月、11月、12月にキリスト教の立場から世界連邦運動を行っている人の話を聞く機会を持ち、賀川豊彦に興味を持ちつつある。
賀川豊彦記念館の人は次のような話をした。
キリスト教の人には3つのタイプがいる。
①信仰型・・ひたすら神を信仰することに主眼を置く
②教会型・・教会というものに主眼を置く
③キリスト型・・キリストのように、民衆の中に入って、差別や貧困を解決することに主眼を置く。
日本では、①②は多いが、③が少ない。賀川豊彦が③のタイプであるが、賀川豊彦は内村鑑三に比べて日本での知名度が低い。
欧米では③のタイプを高く評価する面があり、賀川豊彦はかなり有名である。・・・ここまでが聞いた話。

それを聞いて、今度は「ぼくは賀川豊彦を尊敬しているんだけど、賀川豊彦が世界連邦と関係があるとは知らなかった」と、元社会党の人が言っていたのを思い出し、話を聞きに行った。

賀川豊彦は、教会にデーンと構えているタイプではなく、民衆の中に入り込み、貧民街に入っていって、体を悪くしながらも貧困・差別と戦ったらしい。
思想運動、労働運動、社会運動の歴史などを調べれば、それらの初期の重要な部分にほとんど賀川豊彦が関わっているらしい。

ついでに仏教ネタ。
1997年に、「20代サミット」というのが行われた。
起業家を目指す人、政治家を目指す人、祭りで地元を盛り上げようとしている人、環境運動をやっている人、教育問題に取り組んでいる人、そして、そういう人を応援したい人などが集まった。
世界連邦運動の前事務局次長木戸や現事務局次長と出会ったのも、このイベントやこれに関係あるイベントでのことだった。
なお、橋下徹氏も出ていたらしいが、人数が多く、彼とは名刺交換もしていなければ、言葉も交わしていない。

その20代サミットの第2回目は、1998年、大阪の寺で行われた。
「なんで寺なんだよ」と思っていたら、その寺の坊さん?が説明した。

「この寺は、日本で初めてご本尊を置かない寺である。
本来、寺は昔の人にとって、教育の中心地であり、福祉の中心地であった。
寺が地元の人々に対してそのような役割を担うべきことが忘れ去られてきている。だから私はあえてご本尊を置かない寺をつくり、今の寺が忘れ去った、教育・福祉の中心としての機能を担いたいと思う」

私自身についても語ろう。
真の宗教家と真の政治家が共通するのは、民衆の苦しみを目の当たりにし、「何とか解決したい」と真剣に努力することだと思う。

ここに飢えて苦しんでいる人がいるとする。
①飢えをなくすような仕組みを作るのが政治家
②まずは、この人におかゆの一杯でも差し出すのが宗教家
だと思う。
これはわかりやすい例をあげただけであって、現代の日本にはおかゆを求める人よりも別の面での救いを求める人が多い。

私は20歳くらいのころから、自分の中で「宗教家・塩浜」という面と「政治家・塩浜」の面が代わる代わる顔を出した。
②だけでは根本的な解決にならない。今この人におかゆを差し出しても、システムを変えていかない限り、私が見ていないところでどんどん飢え死にする人が現れる。
しかし、①をグズグズやっている間に、この人は死んでしまう。
本当に愛があるならば、まずはこの人を何とかしたいと思うのは当然である。
が、救いを求める人は次々現れる。
しかも、救いを求めている人たちの事情は実に複雑で、1人にものすごく時間と労力がかかる。いちいち相手をしていたら、制度を変えるところまでは行き着かない。

私は断腸の思いで①を選択した。
主な理由
ア ①は頭が良い人にしかできない。②は愛の心があれば他の人にもできる
イ なまじ優しい私が②をやるときりがない。「夜回り先生」水谷修さんが過労死しないのが不思議である。
ウ そもそも私は神を信じていない

が、私の心の奥に潜むものを嗅ぎ付けるのか、次々救いを求める人がやってくる。
それに、はっきり言って、困った性格で私を疲れさせる人が多い。
(そういうことを言ってはいけない)と思うほど、私は人間ができていない。
1人であれもこれもできないので、ぜひ宗教家には②の面をしっかりやってほしい。
気になって政治に集中できないではないか。
(あるいは良い政治家がどんどん現れれば、安心して②に集中するのだが、そちらも望み薄い。)

救いを求める人1人にどれだけの労力と時間がかかるか身にしみているので、私は教会や寺でふんぞりかえっている人が信用できないのである。

避けようとしても避けようとしても、救いを求める人が現れる。
「こんなことをしていて政治改革ができるのか」という思いと、「こんな私こそがやっていかなければならない」という思いと、「頼むから、宗教家の皆さんがもう少し代わりにやってくれよ」という思いが交錯する毎日である。


オタクのコーナー
無名アイドルは1人でのライブというのは中々ない。
「塩浜一押しの鈴木まりえって、誰なんだよ。いつテレビに出ているんだ」と思う人もいるだろうが、鈴木まりえさんのようにソロライブも時々ある人はまだ上の方なのだ。
3500円くらい払うと、10人くらいのアイドルが次々出てくる。
鈴木まりえさんの前座で歌っているアイドルは、「早くまりえさんみたいに人気者になりたいなあ」と思っていることだろう。

私以外のファンの皆さんは、お目当てのアイドル以外には目もくれない。したがって、前座で出ている新人アイドルが歌っている時は、手拍子もコールもなく、シーンとしていることが多い。

こうなると見かねて私が大声で応援する。肝心の鈴木まりえさんが出たころには、声が枯れている。
こっちは金を払っているお客様であり、アイドルがこちらに元気を与えれば良いのであって、こっちがアイドルを気遣う必要など本来はないのであるが、一生懸命やっているのに、シーンとなっているのを見るとつい応援してしまうのだ。

そんな自分にあきれながら、そんな自分だからこそ政治家に向いているのだ、とも思う。(選挙には向かないのだ)