右翼を考える・1 コンプレックスと右翼
右翼を考える・1
実は私は大学卒業後1・2年するまで相当な右翼だった。そうなる過程を語ろう。
私は、小学生のときには、天才・天才と言われ、「将来はもちろん東大に行く。大学と言えば東大だよ。」などとほざいていたが、地元1の進学高校で身の程を知らされ、自信は打ちのめされた。自分よりすごい奴がウジャウジャいるのである。
高校1年 「それでも東大に行く」
高校2年 「新潟大学でいいや」(地元の国立大学。わが高田高校の平均レベルの人が狙うにはちょうど良い)
高校3年 「新潟大学も危ない。この際どこでもいいや。どこかないか。」
独協出身の皆さん、すみません、「愛する独協大学」とよく言っているが、当初は不服だった。なんで小学生時代から天才と言われ続けてきた私がこんな無名大学なんぞに行くことになるのか。
入学金を払いに行くのも締め切りギリギリまで粘った。
「天才の私が、こんな無名大学でいいのか。浪人して、もっと偏差値の高い大学に行くべきではないのか。」
入学金を払ったら、そこで自分が決まってしまうような気がした。
で、正直、浪人してもそんなにいい大学に行ける気もしないし、ここもまあ、結構いい大学ではないか、場合によっては私がこの手でいい大学に変えれば良い、と自分にいい聞かせ、「ああ、ここが小学生時代から天才ともてはやされた私の最終学歴かあ」などと思いつつ、入学金を払いに行った。
(受験テクニックがよくわかった現在の私から見て、当時の私が、作戦を無視して浪人してただガムシャラにやってもあまり成果は出なかったであろう。とっとと入学して、法律という自分に合った勉強を始めたのは正解である。)
脱線するが、結婚が早い・遅いと、前2段落における話の発想は近いと思う。
「この相手こそ、完全に自分の理想のタイプ。この人以外考えられない」ということはあまりないのではないか。
「この人となら一応結婚までいけそうだし、完全に理想というわけでなくても、まあ、いいところも多いし、まあ、このあたりで・・・」と思って妥協した人が、結婚が早く、「自分なら、こんなところで妥協しなくとも、探せばもっと理想のタイプに出会うはず・・」と思っていると結婚が遅くなる。
私は現在は「独協に行って良かった」と思うようにそれなりに満足している。
が、浪人すればもっといい大学(何をもっていい大学というのか、という議論も重要だが、あまり論点を広げないでおく)に行く自信があれば、浪人していた。
さて、本当は自分は天才のはずだったのに、受験戦争で思うように行かなかったというコンプレックスまみれの自分にとって、右翼的歴史観との出会いは、最高の癒しとなった。
私は次のように考えるようになった。
「東大の奴らは、ただ丸暗記が得意なだけである。しかも、日教組や、ソ連のスパイだらけの文部省が作った教科書によって頭の中を真っ赤に洗脳されている、あわれな犠牲者なのである。
私は目覚めることができた。
アメリカは、暗号を解読し、真珠湾攻撃を事前に察知しながら、わざとやられて「パールハーバー(真珠湾)を忘れるな」と叫び、国民を洗脳した卑劣な奴らなのである。
日本は、隠忍自重して、何とか外交交渉で戦争を避けようとしたが、ハルというひどい男が、とうてい妥協できないような「ハルノート」という案をつきつけてきて、「この案を呑めないなら戦争だ」と言ってきた。スティムソン日記によれば、ハルはスティムソンに、「これで私(外交官)の仕事は終わった。これからは君(軍人)の仕事だ」と言った。
くそう、なんて卑劣な奴らなのだ。
確かに先に攻撃したのは日本だが、すべてあいつらに追い込まれていったのではないか。
東大の奴らは知らなくても、私は真実を知った。
この、教科書に載っていない真実を多くの人々に伝え、国を愛する心を伝え、ソ連の侵略から、わが国を守らねばならない。
私はエリートの知らないことを知り、真実を知り、祖国への愛に目覚めた、選ばれし人間なのである。」・・・とまあ、これで受験時代の敗北感を一掃することができた。
こんな自分が後にサヨクになるとは、思ってもみなかった。
サヨクの私があえて逆説的なことを言おう。歴史教育における右翼の主張を、ある程度取り入れたほうが、サヨク勢力の拡大に便利なのではないか。
多分、現在の右翼の中にも、私のような経緯をたどり、コンプレックスだらけの状態から、「おれは小林よしのり先生の本と出合って真実に目覚めた。民族弱体化作戦に基づく自虐史観に陥った人間は哀れな奴らだ」などと思っているのではないか。
ハルノートやら、東郷平八郎やら、スティムソン日記やら、右翼が「おれだけが知っている」と思っていることを教科書にどんどん詰め込んでしまう。これらの暗記競争で並みの人間は負け、コンプレックスを抱く。コンプレックスだらけの人間に、教科書にない知識を授けるのだ。
「教科書には載っていないが、田中正造という人がいて、公害と戦ったのだ」「教科書には載っていないが、昔は百姓一揆というものがあって、民衆が権力者と戦ったのだ」「東大生は知らなくても、自分は真実を知っている」
こうして受験の勝者以外はわがサヨク陣営に惹きつけられるというわけだ。めでたし、めでたし。
今回は全うな教育論ではなく、少々ひねくれた発想で語らせてもらった次第である。
オタクのコーナー
ノコギリクワガタがまだ元気に生きているので、嬉しいが、少々驚いている。
オオクワガタ・ヒラタクワガタ・コクワガタは数年生きるが、ノコギリクワガタは冬越しせず、1年で死ぬのである。
小中学生の時には、8月の終わりくらいには死んだものである。
当時は
1 しょっちゅうクワガタ同士やクワガタ対カブトムシで戦わせて遊んでいた。
2 飼育ケースを1つしか買ってもらえず、同じ入れ物にたくさん飼っていた。
3 スイカの皮がエサの中心だった
現在は
1・2 1つの入れ物にはオス1匹、メス数匹
3 当時常識とされていたスイカというエサは水分ばかりでよくないことが知られるようになり、糖分とたんぱく質を入れたえさが売られるようになった
というわけで、以前より長生きするのはわかるのだが、それにしてももう11月20日である。まさかとは思うが、ノコギリクワガタなのに冬越しする・・・という事態も起こるかと、ほんの少しだけ期待している。
註 ノコギリクワガタは羽化した後、そのまま1年土の中にじっとしていて、その次の年に地上で活動する。「1年で死ぬ」とは、地上での活動での1年をさす。
実は私は大学卒業後1・2年するまで相当な右翼だった。そうなる過程を語ろう。
私は、小学生のときには、天才・天才と言われ、「将来はもちろん東大に行く。大学と言えば東大だよ。」などとほざいていたが、地元1の進学高校で身の程を知らされ、自信は打ちのめされた。自分よりすごい奴がウジャウジャいるのである。
高校1年 「それでも東大に行く」
高校2年 「新潟大学でいいや」(地元の国立大学。わが高田高校の平均レベルの人が狙うにはちょうど良い)
高校3年 「新潟大学も危ない。この際どこでもいいや。どこかないか。」
独協出身の皆さん、すみません、「愛する独協大学」とよく言っているが、当初は不服だった。なんで小学生時代から天才と言われ続けてきた私がこんな無名大学なんぞに行くことになるのか。
入学金を払いに行くのも締め切りギリギリまで粘った。
「天才の私が、こんな無名大学でいいのか。浪人して、もっと偏差値の高い大学に行くべきではないのか。」
入学金を払ったら、そこで自分が決まってしまうような気がした。
で、正直、浪人してもそんなにいい大学に行ける気もしないし、ここもまあ、結構いい大学ではないか、場合によっては私がこの手でいい大学に変えれば良い、と自分にいい聞かせ、「ああ、ここが小学生時代から天才ともてはやされた私の最終学歴かあ」などと思いつつ、入学金を払いに行った。
(受験テクニックがよくわかった現在の私から見て、当時の私が、作戦を無視して浪人してただガムシャラにやってもあまり成果は出なかったであろう。とっとと入学して、法律という自分に合った勉強を始めたのは正解である。)
脱線するが、結婚が早い・遅いと、前2段落における話の発想は近いと思う。
「この相手こそ、完全に自分の理想のタイプ。この人以外考えられない」ということはあまりないのではないか。
「この人となら一応結婚までいけそうだし、完全に理想というわけでなくても、まあ、いいところも多いし、まあ、このあたりで・・・」と思って妥協した人が、結婚が早く、「自分なら、こんなところで妥協しなくとも、探せばもっと理想のタイプに出会うはず・・」と思っていると結婚が遅くなる。
私は現在は「独協に行って良かった」と思うようにそれなりに満足している。
が、浪人すればもっといい大学(何をもっていい大学というのか、という議論も重要だが、あまり論点を広げないでおく)に行く自信があれば、浪人していた。
さて、本当は自分は天才のはずだったのに、受験戦争で思うように行かなかったというコンプレックスまみれの自分にとって、右翼的歴史観との出会いは、最高の癒しとなった。
私は次のように考えるようになった。
「東大の奴らは、ただ丸暗記が得意なだけである。しかも、日教組や、ソ連のスパイだらけの文部省が作った教科書によって頭の中を真っ赤に洗脳されている、あわれな犠牲者なのである。
私は目覚めることができた。
アメリカは、暗号を解読し、真珠湾攻撃を事前に察知しながら、わざとやられて「パールハーバー(真珠湾)を忘れるな」と叫び、国民を洗脳した卑劣な奴らなのである。
日本は、隠忍自重して、何とか外交交渉で戦争を避けようとしたが、ハルというひどい男が、とうてい妥協できないような「ハルノート」という案をつきつけてきて、「この案を呑めないなら戦争だ」と言ってきた。スティムソン日記によれば、ハルはスティムソンに、「これで私(外交官)の仕事は終わった。これからは君(軍人)の仕事だ」と言った。
くそう、なんて卑劣な奴らなのだ。
確かに先に攻撃したのは日本だが、すべてあいつらに追い込まれていったのではないか。
東大の奴らは知らなくても、私は真実を知った。
この、教科書に載っていない真実を多くの人々に伝え、国を愛する心を伝え、ソ連の侵略から、わが国を守らねばならない。
私はエリートの知らないことを知り、真実を知り、祖国への愛に目覚めた、選ばれし人間なのである。」・・・とまあ、これで受験時代の敗北感を一掃することができた。
こんな自分が後にサヨクになるとは、思ってもみなかった。
サヨクの私があえて逆説的なことを言おう。歴史教育における右翼の主張を、ある程度取り入れたほうが、サヨク勢力の拡大に便利なのではないか。
多分、現在の右翼の中にも、私のような経緯をたどり、コンプレックスだらけの状態から、「おれは小林よしのり先生の本と出合って真実に目覚めた。民族弱体化作戦に基づく自虐史観に陥った人間は哀れな奴らだ」などと思っているのではないか。
ハルノートやら、東郷平八郎やら、スティムソン日記やら、右翼が「おれだけが知っている」と思っていることを教科書にどんどん詰め込んでしまう。これらの暗記競争で並みの人間は負け、コンプレックスを抱く。コンプレックスだらけの人間に、教科書にない知識を授けるのだ。
「教科書には載っていないが、田中正造という人がいて、公害と戦ったのだ」「教科書には載っていないが、昔は百姓一揆というものがあって、民衆が権力者と戦ったのだ」「東大生は知らなくても、自分は真実を知っている」
こうして受験の勝者以外はわがサヨク陣営に惹きつけられるというわけだ。めでたし、めでたし。
今回は全うな教育論ではなく、少々ひねくれた発想で語らせてもらった次第である。
オタクのコーナー
ノコギリクワガタがまだ元気に生きているので、嬉しいが、少々驚いている。
オオクワガタ・ヒラタクワガタ・コクワガタは数年生きるが、ノコギリクワガタは冬越しせず、1年で死ぬのである。
小中学生の時には、8月の終わりくらいには死んだものである。
当時は
1 しょっちゅうクワガタ同士やクワガタ対カブトムシで戦わせて遊んでいた。
2 飼育ケースを1つしか買ってもらえず、同じ入れ物にたくさん飼っていた。
3 スイカの皮がエサの中心だった
現在は
1・2 1つの入れ物にはオス1匹、メス数匹
3 当時常識とされていたスイカというエサは水分ばかりでよくないことが知られるようになり、糖分とたんぱく質を入れたえさが売られるようになった
というわけで、以前より長生きするのはわかるのだが、それにしてももう11月20日である。まさかとは思うが、ノコギリクワガタなのに冬越しする・・・という事態も起こるかと、ほんの少しだけ期待している。
註 ノコギリクワガタは羽化した後、そのまま1年土の中にじっとしていて、その次の年に地上で活動する。「1年で死ぬ」とは、地上での活動での1年をさす。