続・報道をうのみにするな+クラスター爆弾廃止へ | アトラス塩浜のブログ

続・報道をうのみにするな+クラスター爆弾廃止へ

アトラス塩浜です。

本題に入る前に嬉しい話題。
クラスター爆弾禁止条約に日本がちゃんと調印する方針を決めました。
詳しくは2008年4月17日のブログ。
知らない人はこちらを読めば↓大体のことがわかります。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=778388374&owner_id=2663509
しかも、更に嬉しいことに、日本は条約上の義務にない部分まで自ら自粛する方針に決めました。

条約案では、子爆弾が10個以内で、かつ不発弾が残らないようにする電子装置をつければ例外扱いになっていました。
これに対し、わが世界連邦運動は、「そういう装置も湿地帯や茂みに落ちたら設計どおりに働くかあてにならない」として、「クラスターは全部やめてしまえ」という提言を高村外務大臣(当時)と河野洋平衆議院議長に持っていきました。

と・・・どうしても自分の団体のアピールをしてしまいますが、なんといってもうちの10000倍以上の力でこのために活躍したのは、地雷禁止キャンペーンのICBLという団体(日本ではJCBL)です。
ここは対人地雷禁止条約成立のために頑張り、ノーベル平和賞をもらいましたが、「クラスター爆弾も不発弾が残って対人地雷同様の被害をもたらす」という観点から、クラスター禁止のために頑張りました。


防衛省が相当抵抗していたので心配でしたが、子爆弾が10個以内で、かつ不発弾が残らないようにする電子装置をつけたものも使わず、クラスターを全面的に廃止するようです。

では、昨日に続いて↓メディアリテラシーの話をします。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1010229126&owner_id=2663509

メディア・リテラシー
メディアの情報を鵜呑みにするのでなく、自分なりに考え、判断していく能力のこと

昨日は
3 カメラが入っただけで日常の真実とは変わる
という話の途中でした。
私に言わせれば、テレビが入る限り、台本だのやらせだのがなくても、日常の姿とは必ず変わるのです。当たり前の話ですが、意識しておくべきです。

まず、部屋にテレビカメラが入るとなれば、いつもの何倍も掃除をし、服装や化粧も変ええるわけです。

事例4
私はテレビが来てさえあまり掃除しないのですが、鈴木まりえさんのポスターや崎田まやさんのDVDを目立つところに置いて突っ込まれるのを期待します。
また、政治上の秘密文書などが大量にあるので、これを隠すのが大変です。

普段は開き直って汚いままにしていますが、2007年5月9日、16日放映「ゴッドタン」収録のため私の家に「おっぱい番長」相澤仁美さんが来る時は大変でした。毎日何時間も掃除して
「パトラッシュ、ぼく、もう疲れたよ。何だかとっても眠いんだ」という心境でした。

事例5
いじめその他の相談センターみたいなところの仕事のドキュメントではたいてい電話で相談に乗っているところが映りますが、あれは本物でしょうか。私はこのシーンはやらせでなければその方が問題だと思います。
電話の中の声まで聞こえないにせよ、相談している正にその状況をカメラに映させるような奴に私は真面目な相談をしたくありません。

事例6
私が国会でパソコンを打っているシーンが2回放映されました。(ぐるぐるナインティナインと青木ドナウ)これは実際の書類をその時に打っているわけではなく、無意味にキーボードを叩いています。
横からでかいカメラを突きつけられ、まぶしい照明を当てられている時に本当に使う書類を真剣に作りはしません。
こういうのはやらせですか?
そう単純に割り切れるものではないでしょう。

事例7
先の2回の放映では、国会の正門から入っていく様子が映りました。
が、実は私も議員たちも国会の正門というのはあまり使いません。
国会の議場の裏側に議員会館という、議員たちの事務所が入った7階建ての建物があります。議員は議場と議員会館を行き来するので、裏側の門ばかり使います。
また、自民党本部、民主党本部、永田町駅入り口も裏側の門の方が断然近いのです。
でも、テレビでは正門から、皆さんが社会科の教科書で見覚えある国会議事堂に向かって歩く方が絵になるというわけです。

4 司会者の態度で印象操作ができる

事例8
大学3年生の時に初めてテレビに出たのが、NHK「笑いの研究」。
NHKはリハーサルが長すぎるのが特徴です。
ほとんど全部通しでやっていました。
笑いがテーマなのですが、リハーサルでオチも何も全部わかってしまうのですね。
司会の糸井さんとアシスタントの河合美智子さん(後、ふたりっこオーロラ照子役で有名になるが、当時は無名)は、プロのお笑いの人の時にはおおげさに笑い、学生などの時には冷ややかな態度を取っていました。
本当はリハーサルで全部ネタがわかっているので、司会者やアシスタントは今更同じものを見ても面白くなく、後は笑ったふりをするのもむすっとするのも自由にできるわけです。

学生たちは陽気な人ばかりで始まる前から控え室でも面白いことを言い合っていましたが、終わった後は不機嫌になっていました。

最近、お笑いについて気に入らないことがあります。
本当に面白い人が人気が出ているというよりも、「グー」「そんなの関係ねえ」「残念」「どんだけー」などのパターン化された決め台詞に対して、スタジオの司会や出演者が大げさんみ笑う。それが繰り返される中で視聴者が洗脳され、「今売れているあの人のあのセリフを聞きたい」と誘導される。
しかも、1,2年すると、決め台詞に司会やスタジオの人が反応してあげなくなり、視聴者は、「もうあの芸人も限界だな」と見捨てるのです。
実力がないのに、作られた人気者、実力が下がっていないのに見捨てられた「かつての人」のなんと多いことか。

司会者が笑い転げ、スタジオのゲストが立ち上がって拍手しているのは、心からでしょうか。

何かの疑惑を真剣に弁明しても、スタジオの司会やゲストが、
「・・・と言っていますが、私には到底信じられませんね」
「厚かましいにもほどがありますね。全然反省の色が見られない」
「白々しいにもほどがありますよね」
などと言うと、そちらに引きずられてはいないでしょうか。

対策 スタジオの司会者やゲストは、収録VTRの人よりも有利に印象操作ができます。そこをよく意識して判断することが重要です。
つづく

オタクのコーナー
やらせと真実は2つに1つではなく、その間にいろいろな段階があります。私は、そのことをプロレスから学びました。

「プロレスなんて八百長に決まっている」という人がいます。
ここで八百長ということをうのみにしても、あるいは、「八百長だろうがどうだろうが、面白ければいいじゃん」と開き直っても、ここで思考は止まってしまったでしょう。
プロレスを観察し続け、更には自分でもやってみて、自分なりに思考が深まったと思います。

私なりの結論。
プロレスは八百長と本気の中間領域で幅広く行われています。限りなく八百長に近いものもあれば、限りなく本気に近いものもあります
そのあたりを見極めながら勝敗とは別にレスラーの能力を査定するなど、さまざまな楽しみ方ができて面白い。
元レフェリーのミスター高橋氏が、全て八百長だという趣旨の本を出し、これで「やっぱり八百長だった」という説が断然多数説になりましたが、そんな単純なものではありません。

センスがないレスラーには台本が必要かも知れませんが、空気を読めるレスラーには好きにアドリブでやらせた方が盛り上がると思います。
私も獨協大学の「中庭プロレス」ではそうやっていました。

途中でレベル8の技が出ても立ち上がったのに、最後にレベル6の技で終わってしまったらしらけてしまいます。レベル8の技でもはねのけたならば、責任を持ってレベル9、レベル10の技を出さなければなりません。
それができなかったら、レベル8の技で素直にやられる。
これは八百長でしょうか。

「私にはこれ以上観客を盛り上げる技は持っていません。参りました。」ということで、やられる。これはれっきとした決着だと思います。
プロの将棋では、玉が詰んでいなくても、もう勝ち目がなくなったら、見苦しい時間稼ぎで「棋譜を汚さず」、「参りました」と言って投了します。プロレスもこれに似たところがあると思います。

オタクのコーナー
今夜0時12分テレビ東京「ありえへん世界」に「ママドル」我妻さおりさんが出ます。
くりくりした目と八重歯がものすごくかわいい人です。萌えー。
また、「オビラジ」には美月あかりさんが出ます。