報道をうのみにしない力を身につけよう・前編
メディア・リテラシー
メディアの情報を鵜呑みにするのでなく、自分なりに考え、判断していく能力のこと
アトラス塩浜です。
リンカーンやらせ疑惑に対して、次のような反応が多かったです。
「バラエティなんだもん、演出があるのは当たり前。」
「ドキュメンタリーならともかく、バラエティなんだから面白ければ良い」
「私は感動しました。言いたい人には勝手に言わせておいて、気にしないのが一番です」
温かいコメント、ありがとうございます。
「気にしない」のは簡単ですが、これくらいメディアリテラシーに向いた題材はありません。
私は塾でもブログでも、自分の身に降りかかったことは生きた教材として最高だと思ってどんどん使います。
①デートに誘われたと思ったらキャッチセールスだったという話や、
②女性の財布を拾って届けてあげたらストーカー扱いされ、警察に尋問された話、
③テレホンカード変造犯罪者を捕まえようとして、自分が危なかった話
などは毎年塾のネタに使っています。
さて、2ちゃんねるなどにおけるリンカーン批判コメントにも、温かいコメントにも共通して言いたいことは、
ア やらせかやらせでないかの2つに1つというのではなく、その中間的な領域がたくさんある
イ 報道番組にはやらせがなく、あるいはやらせがあったら問題だというのは本当か
という部分です。
これらの点について深く考察することこそ、メディア・リテラシーを向上させるポイントです。
1 収録は放映時間の何倍もの時間がかかる。編集によってカットしたりつなげたりして番組ができあがります。
2 カメラも数台あり、どこでどのカメラによる映像を使うかも編集のポイントです。
ここでいわゆる「やらせ」が無かったとしても、ここで収録されたものを切ったり貼ったりした時点で、現場での真実の姿とかけはなれたものになります。
例をあげましょう。
事例1
朝まで生テレビに私の友人が出て、自民党議員に質問しました。
自民党議員が2人出ていて、2人とも困った顔で、「あんたが答えろ」と互いに押し付けあっていたそうです。
その様子を見て、スタジオのみんなが失笑。
では、テレビを見ていた私にはどう見えたでしょうか。
2人の自民党議員が困った顔で、「あんたが答えろ」と互いに押し付けあっていた時、その映像が放映されたのではありません。
質問をした友人が、中途半端な姿勢で突っ立っている様子が映りました。中々答えが来ないのでどうしても中途半端な姿勢になるわけです。
そして、答えに窮していた自民党議員に対する失笑が起きたわけですが、テレビ越しに見ると私の友人がトンチンカンな質問をした後、無言でボケーっと立っていて笑われたように見えたのです。
ここにいわゆるやらせはありません。その場に確かに存在した情景を切り取っただけです。しかし、どのカメラの映像を見せるかで、視聴者の印象を変えることができるのです。
事例2
自民党+自由党が選挙法を改正した時、民主党は審議拒否をし、市民に対してのアピール集会を開きました。
私もそれを見学に行きました。終わって会場を出ようとしたところで「ニュースの森」のインタビューを受けました。
識者の中には、「審議拒否」「牛歩戦術」などの物理的抵抗を批判する人もいます。堂々と出席して反論し、最後は多数決で負けてもそれは民主主義の結果であって仕方ない。ちゃんと民主主義のルールを守るべきだ。悔しかったら次の選挙で頑張れ・・というわけです。
私は考えが違います。
いろいろ条件がありますが、たとえば選挙法が悪い形に改正された場合、民主主義の基盤そのものが崩されているのですから、「民主主義のルールを守るべきだ。悔しかったら次の選挙で頑張れ」という論理は成り立たないわけです。
私は「暴力はいけない。話し合え」という論理はその話し合いの場を壊す相手にだけは成り立たないと思いますし、「民主主義のルールに従え」という論理は、その民主主義の基盤となるい選挙法や批判の自由を奪う相手に対しては成り立たないと思います。
ということで、私は基本的に民主党の審議拒否に賛成の立場から主張しました。
ただし、「喧嘩する時は最初からやめ方まで考えておくべきである。やめ方で困るくらいならば最初からやらない方が良い」と述べました。
そうしたら、そこだけが切り取られ、放映されました。
おまけに、私がそう言った直後に、菅直人党首(当時)が
「ウーム・・・・・」と言ってしばらく沈黙した部分が映りました。
私の発言も、菅党首の「ウーム」も本物です。
でも、事実を切り貼りしたら真実になるのでしょうか。
私が民主党の味方をした部分は全部カットされ、批判的に聞こえる部分だけが放映されました。そして、菅直人は「ウーム・・・」と言った後、何か言ったはずです。
放映を鵜呑みにしたら、私が民主党を批判し、菅直人党首がやり込められて「ウーム・・・」と言ったきり絶句してしまったように見えます。
別に菅党首は私の近くにいたわけでも、私のコメントに答えようとしたわけでもありません。
教訓 複数のカメラの映像を切り貼りすることにより、メディア側は勝手に都合の良い印象を作り出すことができます。
対策 連続しているように見える映像は本当に時間的・場所的にくっついていたのか考えましょう。
他のカメラには何が映っていたか想像しましょう。
場面が切り替わったら、なぜ変わったのか考えてみましょう。
3 カメラが入っただけで日常の真実とは変わる
私に言わせれば、テレビが入る限り、台本だのやらせだのがなくても、日常の姿とは必ず変わるのです。当たり前の話ですが、意識しておくべきです。
事例3
リンカーンでアイドルを応援するヲタ芸チームがグランプリの座を競ったわけですが、「当日の様子がテレビに映る」とわかった段階で、オタクの圧倒的多数を占める「テレビに出たくない」「職場の人に知られたくない」という人は引っ込むわけです。
もうこの時点で日常とは異なるのです。
これをやらせというのならば、盗み撮りでもしない限り、全て日常とは異なり、やらせになってしまいます。
私は桜川姫子さんも大好きですので良かったですが、もしアトラス塩浜一押しアイドル鈴木まりえさんチームで9人そろえば、鈴木まりえチームで出たいです。(やい、サイゾー、また文脈無視してここだけ切り取ったら承知しないぞ)
が、残念ながら、鈴木まりえさんのファンは私以外「テレビに映るのは困る」という人ばかり。
他のチームも「テレビに映っても構わない」という人だけで9人そろえるのは苦労したのではないでしょうか。2位のチームのオタク側にアイドルの山下若菜さんが混じっていっしょにやっていたことには驚きました。そういう手があったか。
鈴木まりえさんが歌っているのを応援する・・という形で共演したいですが、中々チャンスがないので、せめて、鈴木まりえさんといしょにヲタ芸を打つという変則手段ででも共演したいものです。
対策 映されている画像が加工されていなくても、日常の光景とは違うのではないか、検討しましょう。
つづく
メディアの情報を鵜呑みにするのでなく、自分なりに考え、判断していく能力のこと
アトラス塩浜です。
リンカーンやらせ疑惑に対して、次のような反応が多かったです。
「バラエティなんだもん、演出があるのは当たり前。」
「ドキュメンタリーならともかく、バラエティなんだから面白ければ良い」
「私は感動しました。言いたい人には勝手に言わせておいて、気にしないのが一番です」
温かいコメント、ありがとうございます。
「気にしない」のは簡単ですが、これくらいメディアリテラシーに向いた題材はありません。
私は塾でもブログでも、自分の身に降りかかったことは生きた教材として最高だと思ってどんどん使います。
①デートに誘われたと思ったらキャッチセールスだったという話や、
②女性の財布を拾って届けてあげたらストーカー扱いされ、警察に尋問された話、
③テレホンカード変造犯罪者を捕まえようとして、自分が危なかった話
などは毎年塾のネタに使っています。
さて、2ちゃんねるなどにおけるリンカーン批判コメントにも、温かいコメントにも共通して言いたいことは、
ア やらせかやらせでないかの2つに1つというのではなく、その中間的な領域がたくさんある
イ 報道番組にはやらせがなく、あるいはやらせがあったら問題だというのは本当か
という部分です。
これらの点について深く考察することこそ、メディア・リテラシーを向上させるポイントです。
1 収録は放映時間の何倍もの時間がかかる。編集によってカットしたりつなげたりして番組ができあがります。
2 カメラも数台あり、どこでどのカメラによる映像を使うかも編集のポイントです。
ここでいわゆる「やらせ」が無かったとしても、ここで収録されたものを切ったり貼ったりした時点で、現場での真実の姿とかけはなれたものになります。
例をあげましょう。
事例1
朝まで生テレビに私の友人が出て、自民党議員に質問しました。
自民党議員が2人出ていて、2人とも困った顔で、「あんたが答えろ」と互いに押し付けあっていたそうです。
その様子を見て、スタジオのみんなが失笑。
では、テレビを見ていた私にはどう見えたでしょうか。
2人の自民党議員が困った顔で、「あんたが答えろ」と互いに押し付けあっていた時、その映像が放映されたのではありません。
質問をした友人が、中途半端な姿勢で突っ立っている様子が映りました。中々答えが来ないのでどうしても中途半端な姿勢になるわけです。
そして、答えに窮していた自民党議員に対する失笑が起きたわけですが、テレビ越しに見ると私の友人がトンチンカンな質問をした後、無言でボケーっと立っていて笑われたように見えたのです。
ここにいわゆるやらせはありません。その場に確かに存在した情景を切り取っただけです。しかし、どのカメラの映像を見せるかで、視聴者の印象を変えることができるのです。
事例2
自民党+自由党が選挙法を改正した時、民主党は審議拒否をし、市民に対してのアピール集会を開きました。
私もそれを見学に行きました。終わって会場を出ようとしたところで「ニュースの森」のインタビューを受けました。
識者の中には、「審議拒否」「牛歩戦術」などの物理的抵抗を批判する人もいます。堂々と出席して反論し、最後は多数決で負けてもそれは民主主義の結果であって仕方ない。ちゃんと民主主義のルールを守るべきだ。悔しかったら次の選挙で頑張れ・・というわけです。
私は考えが違います。
いろいろ条件がありますが、たとえば選挙法が悪い形に改正された場合、民主主義の基盤そのものが崩されているのですから、「民主主義のルールを守るべきだ。悔しかったら次の選挙で頑張れ」という論理は成り立たないわけです。
私は「暴力はいけない。話し合え」という論理はその話し合いの場を壊す相手にだけは成り立たないと思いますし、「民主主義のルールに従え」という論理は、その民主主義の基盤となるい選挙法や批判の自由を奪う相手に対しては成り立たないと思います。
ということで、私は基本的に民主党の審議拒否に賛成の立場から主張しました。
ただし、「喧嘩する時は最初からやめ方まで考えておくべきである。やめ方で困るくらいならば最初からやらない方が良い」と述べました。
そうしたら、そこだけが切り取られ、放映されました。
おまけに、私がそう言った直後に、菅直人党首(当時)が
「ウーム・・・・・」と言ってしばらく沈黙した部分が映りました。
私の発言も、菅党首の「ウーム」も本物です。
でも、事実を切り貼りしたら真実になるのでしょうか。
私が民主党の味方をした部分は全部カットされ、批判的に聞こえる部分だけが放映されました。そして、菅直人は「ウーム・・・」と言った後、何か言ったはずです。
放映を鵜呑みにしたら、私が民主党を批判し、菅直人党首がやり込められて「ウーム・・・」と言ったきり絶句してしまったように見えます。
別に菅党首は私の近くにいたわけでも、私のコメントに答えようとしたわけでもありません。
教訓 複数のカメラの映像を切り貼りすることにより、メディア側は勝手に都合の良い印象を作り出すことができます。
対策 連続しているように見える映像は本当に時間的・場所的にくっついていたのか考えましょう。
他のカメラには何が映っていたか想像しましょう。
場面が切り替わったら、なぜ変わったのか考えてみましょう。
3 カメラが入っただけで日常の真実とは変わる
私に言わせれば、テレビが入る限り、台本だのやらせだのがなくても、日常の姿とは必ず変わるのです。当たり前の話ですが、意識しておくべきです。
事例3
リンカーンでアイドルを応援するヲタ芸チームがグランプリの座を競ったわけですが、「当日の様子がテレビに映る」とわかった段階で、オタクの圧倒的多数を占める「テレビに出たくない」「職場の人に知られたくない」という人は引っ込むわけです。
もうこの時点で日常とは異なるのです。
これをやらせというのならば、盗み撮りでもしない限り、全て日常とは異なり、やらせになってしまいます。
私は桜川姫子さんも大好きですので良かったですが、もしアトラス塩浜一押しアイドル鈴木まりえさんチームで9人そろえば、鈴木まりえチームで出たいです。(やい、サイゾー、また文脈無視してここだけ切り取ったら承知しないぞ)
が、残念ながら、鈴木まりえさんのファンは私以外「テレビに映るのは困る」という人ばかり。
他のチームも「テレビに映っても構わない」という人だけで9人そろえるのは苦労したのではないでしょうか。2位のチームのオタク側にアイドルの山下若菜さんが混じっていっしょにやっていたことには驚きました。そういう手があったか。
鈴木まりえさんが歌っているのを応援する・・という形で共演したいですが、中々チャンスがないので、せめて、鈴木まりえさんといしょにヲタ芸を打つという変則手段ででも共演したいものです。
対策 映されている画像が加工されていなくても、日常の光景とは違うのではないか、検討しましょう。
つづく