プロレスバカ1代・4・テレビ取材
プロレスバカ1代・4
少し日時を戻そう。
我々のプロレスをNHK社会教養部が取材に来たのだが、すんなりとはいかなかったのだ。
民放がふざけた取り上げ方をするならともかく、NHK社会教養部は今まで土壇場で断られた経験などなく、油断していた。別に大学の教授を取材する のでなく、学生の我々を取材に来て、場所が大学構内なので一応大学当局にも形式的に許可を得ようとしただけである。当初予定していた日、カメラマンを率 い、タクシー飛ばしてきたら、大学側から取材を断られた。ディレクターはカンカン。「こんな大学は初めてだ。」
わが愛する獨協大学ではあるが、大学にしては学生任せにしない点が欠点だった。実は私が昼休みにプロレスをやることでも何度も大学側と論争してい る(このこともいつか書きたい)が、このことを他の大学に言うと賛成とか反対とか言うより、意味がわからないらしい。他の大学では、学生の昼休みの行動に 一々教授たちが口をはさむというのは理解できないようだ。
高校時代は大学の受験科目や偏差値はわかっても、校風まではわからない。
今から考えると、私の父親は「息子が政治運動で暴れないように」とお坊ちゃんっぽい大学を中心に薦めたのではないか。たとえば私は父親の薦めで独協の他に学習院大学や成蹊大学を受けている。(落ちた)
私と学習院大学というのも似合わないと思う。
しかし、父親の陰謀もむなしく、今の私は政治にどっぷりとつかっている。
さて、このままでは番組に穴が空く。
わが団体の名マネージャー、安生(仮名)が動き回って交渉。
学生課に行くと「学校の施設を使うのだから施設管理課に行ってくれ」
施設管理課に行くと「教務課に行ってくれ」
教務課に行くと「学生課に行ってくれ」
あれ、1周して元に戻ってしまった。このままでは大学内を永遠に回り続けることになる。
これは血を吐きながらも続ける悲しいマラソンですよ。↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=401769622&owner_id=2663509
仏教では悟りを開かない限り人間は6道を永遠にグルグル回り続けるのだという。
私と安生も何とかしないと大学のいろいろな課をグルグル回るだけだ。何とか悟りを開かないとこの苦しみから抜け出せない。
よく考えてみれば、学生課だろうと施設管理課だろうと、一番上には学長がいる。
ここにアタックした方が早い。
ということで学長に掛け合い、「大学の名誉を傷つけるような形にはしない、けが人は出さない」というようなことを述べて数日遅れて取材できることとなった。
ディレクターは「皆さんにここまでやってもらえるとは思わなかった」と言った。
なお、このディレクター、許可がおりて取材する前日母親が亡くなったが、番組に穴を開けるわけにはいかず、そのまま仕事。プロの生き様を見せてもらった。
話を前回の日時まで戻す。
私はボクシング部のピストン大山と引き分け、そのままライバル北城裕二選手と3本勝負。ところがNHKのカメラがもう構内に入っていると聞くのに、中々ここに来ないので不思議に思っていた。
大学の名誉を傷つけないという縛りがあったため、本来は我々だけが取材される予定だったのだが、「独協の昼休みの情景」というコンセプトになり、 外国人講師とドイツ語でスラスラ話している学生、一生懸命勉強している学生など、真面目な独協大学(これは間違いない)の様子を映した上で、中庭のプロレ スも映す。よく学び、よく遊ぶ独協が見事に描かれていた。
3本勝負の3本目になってようやくカメラがこちらに来た。
今から思うと、1・2本目に出した技を構わず出せば良かったが、プロレスはあまりそういうことをしないのである。
ほとんどの技は出した後。ここで「技の多彩さより、迫力で見せつけよう」と思い、凶器の鍋を持ち出して荒れた試合にした。
鍋は、カーンと大きな音をたてる割には痛くないので、当時よく凶器として使っていた。大学の中庭にあらかじめ鍋が置いてあるのは不自然ではあるが気にしない。
ちなみに後には道路標識をよく凶器に用いた。やはりこれも、鉄柱攻撃の要領で額などを打ちつけると大きな音がするからだ。大学キャンパスのあちこちに立っている道路標識を重石ごとズルズル引きずってきて、昼休みになるとなぜか中庭に道路標識がある、というわけだ。
最後は、北城選手のパイルドライバーという技を切り返してリバーススープレックスで私の勝利。大歓声。
メインイベントは当時一番の名カード、上州キリ対源龍天一郎の3本勝負。
さあ、それからは知り合いに「俺がまたテレビに出るから見ろ」と電話をかけまくった。
テレビ放映当日。
期待しながら見たら、出たのは上州対源龍の1本目のはじめと2本目の終わりだけ。
私の解説している声が入っているが、私と北城の姿は一切出ていない。
北城選手の現在の妻が心配そうな表情をしているシーン(多分北城選手がやられていた)は映ったが本人が出ていない。
友人たちからは、「せっかくテレビ見たのに、出ていないじゃないか」と文句を言われた。
このあたりがテレビの怖いところである。
もちろん、1時間のためなら3時間くらいカメラを回し、大幅に縮めることまではわかる。
それにしても、AとBがあれば、片方が丸々なくなるとは思わないものだが、実際はAが全部なくなるということもあるのだ。
今回で言えば2試合中私と北城の試合は全部カット。
余談だが、2005年11月25日放映、「金スマ」で秋葉原のオタク特集に私がアイドルオタク代表として出たときは、本来これはクイズ形式の番組 だった。が、中居さんやゆうこりんらの答えがつまらなく、なんとクイズということ自体が全面的にカット。クイズの得点票のところにいたお姉さんも「私、今 度テレビに出るよ」と知り合いにふれ回っただろうに、とばっちりでこのお姉さんは一切画面に映らなかった。
その後の関係者の発言から、私の試合が映らなかった理由は2つ考えられる。
1 試合が荒れた
しかし、これだけなら華麗な技だっていろいろあったので編集で何とでもなった。北城選手のドロップキックの美しさなどは非常に絵になるはずだ。
2 塩浜がテレビに出すぎ
実は、この番組に、この年の5月だけで私は2回出て、しかも相当目だっていた。女性からファンレターが来たほどだ。(1人だけだけど)素人を出し ているはずの番組で、同じ奴ばかり出ているじゃないかという声があったそうだ。ここで6月にまた私を出すわけにはいかなかったらしい。
悔しかった。
まず、私自身について、どうせなら、5月の2回の放映など、どうなっても良いので、一番自分らしさが出ているプロレスで全国に放映されたかった。
次に北城選手にあまりにも申し訳なかった。
実は5月の2回も連中を引き連れてテレビに出た。
当時、柔道部も彼らをほしがって、何度も会いに来ていたが、ここで彼らを2回テレビに出した手腕が、柔道部との取り合いでこちらが勝つ決め手となった。
ただ、この2回の放映でも北城選手は写らず、次の機会があったら何とかしたいと思っていたのだ。
もし、目立ち過ぎる私を映さない方針だと知っていたら、違う組み合わせにして、北城選手は映るようにしたかった。私の巻き添えで、またも彼は映らなかったのだ。
さて、3本勝負のうち2対1で上州が勝ったのだが、2本目高角度回転えび固めというかっこいい技で源龍が上州に勝ったところまでを映していて、テ レビでは源龍の勝ち、上州の負けに見える。試合後のインタビューでは上州が威張り、源龍が負け惜しみを言っているのが不自然だったが、あまりこういう矛盾 は気にしないようだ。
いろいろな技の中で高角度回転えび固めが選ばれたのを見て、「こういうのがテレビ側の好みか」と思った。だったらこうすれば良かった、ああすれば良かった、と、テレビに出るたびに思う。
今まで、何度もテレビに出た。そして、放映されない部分も含め、テレビ局にはテープが保管されているはずである。過去全てのテレビ取材の中、未公 開シーンも含めて通してテープを見たいもののナンバーワンは、相澤仁美さんとのやり取りでも、小倉優子さんとのやり取りでもなく、この時の試合である。
テレビが入り、観客も多く、一番出し惜しみなくいろいろな技を出した。
なんとかこのテープが手に入らないものだろうか。
さて、このとき以上の名勝負は無理である。
が、たえず新しい刺激を与えないと飽きられる。
柔道部など他団体との抗争、他大学との抗争、悪役の登場など、次々いろいろな仕掛けをして飽きられないように工夫した。
次回はその工夫の中からいくつか取り上げたい。
(つづく)
少し日時を戻そう。
我々のプロレスをNHK社会教養部が取材に来たのだが、すんなりとはいかなかったのだ。
民放がふざけた取り上げ方をするならともかく、NHK社会教養部は今まで土壇場で断られた経験などなく、油断していた。別に大学の教授を取材する のでなく、学生の我々を取材に来て、場所が大学構内なので一応大学当局にも形式的に許可を得ようとしただけである。当初予定していた日、カメラマンを率 い、タクシー飛ばしてきたら、大学側から取材を断られた。ディレクターはカンカン。「こんな大学は初めてだ。」
わが愛する獨協大学ではあるが、大学にしては学生任せにしない点が欠点だった。実は私が昼休みにプロレスをやることでも何度も大学側と論争してい る(このこともいつか書きたい)が、このことを他の大学に言うと賛成とか反対とか言うより、意味がわからないらしい。他の大学では、学生の昼休みの行動に 一々教授たちが口をはさむというのは理解できないようだ。
高校時代は大学の受験科目や偏差値はわかっても、校風まではわからない。
今から考えると、私の父親は「息子が政治運動で暴れないように」とお坊ちゃんっぽい大学を中心に薦めたのではないか。たとえば私は父親の薦めで独協の他に学習院大学や成蹊大学を受けている。(落ちた)
私と学習院大学というのも似合わないと思う。
しかし、父親の陰謀もむなしく、今の私は政治にどっぷりとつかっている。
さて、このままでは番組に穴が空く。
わが団体の名マネージャー、安生(仮名)が動き回って交渉。
学生課に行くと「学校の施設を使うのだから施設管理課に行ってくれ」
施設管理課に行くと「教務課に行ってくれ」
教務課に行くと「学生課に行ってくれ」
あれ、1周して元に戻ってしまった。このままでは大学内を永遠に回り続けることになる。
これは血を吐きながらも続ける悲しいマラソンですよ。↓
http://
仏教では悟りを開かない限り人間は6道を永遠にグルグル回り続けるのだという。
私と安生も何とかしないと大学のいろいろな課をグルグル回るだけだ。何とか悟りを開かないとこの苦しみから抜け出せない。
よく考えてみれば、学生課だろうと施設管理課だろうと、一番上には学長がいる。
ここにアタックした方が早い。
ということで学長に掛け合い、「大学の名誉を傷つけるような形にはしない、けが人は出さない」というようなことを述べて数日遅れて取材できることとなった。
ディレクターは「皆さんにここまでやってもらえるとは思わなかった」と言った。
なお、このディレクター、許可がおりて取材する前日母親が亡くなったが、番組に穴を開けるわけにはいかず、そのまま仕事。プロの生き様を見せてもらった。
話を前回の日時まで戻す。
私はボクシング部のピストン大山と引き分け、そのままライバル北城裕二選手と3本勝負。ところがNHKのカメラがもう構内に入っていると聞くのに、中々ここに来ないので不思議に思っていた。
大学の名誉を傷つけないという縛りがあったため、本来は我々だけが取材される予定だったのだが、「独協の昼休みの情景」というコンセプトになり、 外国人講師とドイツ語でスラスラ話している学生、一生懸命勉強している学生など、真面目な独協大学(これは間違いない)の様子を映した上で、中庭のプロレ スも映す。よく学び、よく遊ぶ独協が見事に描かれていた。
3本勝負の3本目になってようやくカメラがこちらに来た。
今から思うと、1・2本目に出した技を構わず出せば良かったが、プロレスはあまりそういうことをしないのである。
ほとんどの技は出した後。ここで「技の多彩さより、迫力で見せつけよう」と思い、凶器の鍋を持ち出して荒れた試合にした。
鍋は、カーンと大きな音をたてる割には痛くないので、当時よく凶器として使っていた。大学の中庭にあらかじめ鍋が置いてあるのは不自然ではあるが気にしない。
ちなみに後には道路標識をよく凶器に用いた。やはりこれも、鉄柱攻撃の要領で額などを打ちつけると大きな音がするからだ。大学キャンパスのあちこちに立っている道路標識を重石ごとズルズル引きずってきて、昼休みになるとなぜか中庭に道路標識がある、というわけだ。
最後は、北城選手のパイルドライバーという技を切り返してリバーススープレックスで私の勝利。大歓声。
メインイベントは当時一番の名カード、上州キリ対源龍天一郎の3本勝負。
さあ、それからは知り合いに「俺がまたテレビに出るから見ろ」と電話をかけまくった。
テレビ放映当日。
期待しながら見たら、出たのは上州対源龍の1本目のはじめと2本目の終わりだけ。
私の解説している声が入っているが、私と北城の姿は一切出ていない。
北城選手の現在の妻が心配そうな表情をしているシーン(多分北城選手がやられていた)は映ったが本人が出ていない。
友人たちからは、「せっかくテレビ見たのに、出ていないじゃないか」と文句を言われた。
このあたりがテレビの怖いところである。
もちろん、1時間のためなら3時間くらいカメラを回し、大幅に縮めることまではわかる。
それにしても、AとBがあれば、片方が丸々なくなるとは思わないものだが、実際はAが全部なくなるということもあるのだ。
今回で言えば2試合中私と北城の試合は全部カット。
余談だが、2005年11月25日放映、「金スマ」で秋葉原のオタク特集に私がアイドルオタク代表として出たときは、本来これはクイズ形式の番組 だった。が、中居さんやゆうこりんらの答えがつまらなく、なんとクイズということ自体が全面的にカット。クイズの得点票のところにいたお姉さんも「私、今 度テレビに出るよ」と知り合いにふれ回っただろうに、とばっちりでこのお姉さんは一切画面に映らなかった。
その後の関係者の発言から、私の試合が映らなかった理由は2つ考えられる。
1 試合が荒れた
しかし、これだけなら華麗な技だっていろいろあったので編集で何とでもなった。北城選手のドロップキックの美しさなどは非常に絵になるはずだ。
2 塩浜がテレビに出すぎ
実は、この番組に、この年の5月だけで私は2回出て、しかも相当目だっていた。女性からファンレターが来たほどだ。(1人だけだけど)素人を出し ているはずの番組で、同じ奴ばかり出ているじゃないかという声があったそうだ。ここで6月にまた私を出すわけにはいかなかったらしい。
悔しかった。
まず、私自身について、どうせなら、5月の2回の放映など、どうなっても良いので、一番自分らしさが出ているプロレスで全国に放映されたかった。
次に北城選手にあまりにも申し訳なかった。
実は5月の2回も連中を引き連れてテレビに出た。
当時、柔道部も彼らをほしがって、何度も会いに来ていたが、ここで彼らを2回テレビに出した手腕が、柔道部との取り合いでこちらが勝つ決め手となった。
ただ、この2回の放映でも北城選手は写らず、次の機会があったら何とかしたいと思っていたのだ。
もし、目立ち過ぎる私を映さない方針だと知っていたら、違う組み合わせにして、北城選手は映るようにしたかった。私の巻き添えで、またも彼は映らなかったのだ。
さて、3本勝負のうち2対1で上州が勝ったのだが、2本目高角度回転えび固めというかっこいい技で源龍が上州に勝ったところまでを映していて、テ レビでは源龍の勝ち、上州の負けに見える。試合後のインタビューでは上州が威張り、源龍が負け惜しみを言っているのが不自然だったが、あまりこういう矛盾 は気にしないようだ。
いろいろな技の中で高角度回転えび固めが選ばれたのを見て、「こういうのがテレビ側の好みか」と思った。だったらこうすれば良かった、ああすれば良かった、と、テレビに出るたびに思う。
今まで、何度もテレビに出た。そして、放映されない部分も含め、テレビ局にはテープが保管されているはずである。過去全てのテレビ取材の中、未公 開シーンも含めて通してテープを見たいもののナンバーワンは、相澤仁美さんとのやり取りでも、小倉優子さんとのやり取りでもなく、この時の試合である。
テレビが入り、観客も多く、一番出し惜しみなくいろいろな技を出した。
なんとかこのテープが手に入らないものだろうか。
さて、このとき以上の名勝負は無理である。
が、たえず新しい刺激を与えないと飽きられる。
柔道部など他団体との抗争、他大学との抗争、悪役の登場など、次々いろいろな仕掛けをして飽きられないように工夫した。
次回はその工夫の中からいくつか取り上げたい。
(つづく)