政界再編の歴史・11・自民党政権復帰の巻
今回は昨年9月12日のブログの再放送。
次回衆議院選挙は政権交代のチャンスである。が、私は小沢一郎という存在が心配である。
国民の皆さんや民主党員はよく以下の文章を読み、当時と同じ失敗をしないように見張ってほしい。
小沢の失敗のあらすじ
1993年に自民党を割り、自民党を政権の座から引き摺り下ろしたのは見事であったが、もう少し自民党を利権から長く遠ざけておけば自民党も良い政党に生まれ変わっただろうに、非自民連立政権内部で社会党とさきがけをいじめたり、自民党より右の発言を次々するものだから、社会党とさきがけが出て行って自民党と組んでしまった。
本文スタート
1994年後半、村山富一氏を総理とする自民党+社会党+新党さきがけによる連立政権が誕生した。
また、新生党・日本新党・民社党・公明党などは合体して新進党となった。
1 社会党が従来の主張をひっくり返したこと
2 自民党をもう少し干しあげて、財界や官僚とのパイプを消してしまえば良いのに、おめおめ自民党を政権に復帰させたこと
の2点で社会党に批判が集中した
1について
社会党というか村山は、日の丸・君が代・自衛隊・日米安保などを一気に全部認めた。これは従来の社会党の主張と正反対である。
この主張そのものはそんなに問題ではない。多くの国民は日の丸・君が代・自衛隊・日米安保などを認めている。
しかし、それならば、きちんと党大会を開くとか、あるいは、ここで急に見解を変更したことを謝りつつ、「これからの社会党はこういう見解に変えます。また、自民党と組みます。これについて国民の審判を受けるため、解散して総選挙を行います。」とやってほしかった。そうすればついでに小選挙区制も吹っ飛ぶというおまけつきだ。
(小選挙区制との関係については前回の文章参照↓)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=547703327&owner_id=2663509
2について
自民党と組んだことについては社会党と新党さきがけが批判された。
この点については、私は弁護したい。
新生党・日本新党・民社党・公明党などが合体して新進党となったわけであるが、新進党は当時既に自民党より右になっていた。私も含め、左翼市民運動家は、「新進党よりは自民党のほうがまだマシ」という考えになっていた。
これは、私が長く待ち望んでいた政権交代について計画していないことだった。
昔から「自民党の左が割れて野党と組んでくれたら良いな」と思い、少しでもそうなるように陰ながらちょこまか動いていたのだが、まさか、自民党の中でも特に右寄りの小沢一郎が野党と組むとは思わなかった。
第2に計画が狂ったのは、「いろいろな政党が組めば真ん中あたりで落ち着くだろう」という予測が全く当たらなかったことだ。日本新党も民社党も、そして平和と人権が売り物の公明党もたちまち小沢一郎べったりになり、合体してできた新進党は自民より右になっていた。
左から順に書くと、共産党・社会党・さきがけ・自民党・新進党となる。したがって、社会党とさきがけが自民党と組むのは不思議ではない。
おめおめ自民党を助けたという社会党・さきがけより、むしろちゃんと中道を維持せずに急に右に行った日本新党や公明党が問題だと思う。そして社会党とさきがけをいつも仲間外れにし、自民党側に追いやる原因を作ったのが小沢一郎だ。
政権交代にあたって小沢一郎の「豪腕」とやらに期待する人が多いが、こいつがしっかりしれば、既に1993年に政権交代していた状態を維持できたのである。
新進党結成について
さて、気の毒なのは、1995年の統一地方選挙で日本新党から立候補しようとしていた人たちである。私の片腕、経済とエネルギー問題が得意の友人もこの時立候補。
おそらく日本新党という名前で立候補していたら勝っていただろう。しかし、既に新進党になっていた。
1995年7月の参議院選挙は、新進党が勝ったが、1995年4月の地方選挙は、旧公明党はそれはそれで出るわけである。創価学会はそちらを応援する。
創価学会票をもらえない新進党なんて、無所属よりやりにくい。
名前は新生党に似ているし。
過去、私が応援した人間の中でも特に優秀だった候補を、ここで落としてしまった。
日本新党は、小選挙区制ができてしまってから、「小選挙区制では各選挙区で1位しか当選できない。あの巨大な自民党と戦うには、みんなで合体して新進党になるしかない」と説明した。
「じゃあ仕方ないな」みたいに反応した日本新党支持者も多かったが、自然現象が来たみたいな言い方してもらっては困る。
その小選挙区制を作ったのもあんたたちでしょうが。
最初から小選挙区制を作りつつある時点で、「小選挙区制にして、小沢一郎さんの新生党や民社党や公明党と合体して1つになります」と説明していれば、日本新党支持者の多くが反対したと思う。組織に頼らず、しがらみのないところに日本新党の良さがあるのに、その良いところが消えてしまうではないか。
ともあれ、新進党は参議院選挙で勝った。一方、社会党やさきがけは、自民党と組んでいることへの国民からの批判が大きいことを改めて実感。さきがけはエースカードとして出した中村敦夫候補さえも落ちてショックを受ける。
沈没する船からネズミが逃げ始めるように、社会党やさきがけは新たな船を求めて動き始めた。(つづく)
オタクのコーナー
ウルトラセブン40周年記念突っ込み
第47話 「あなたはだあれ?」 フック星人
たいして面白い話ではないが、事件は「K地区」で起きる。ウルトラセブンでは、よく「K地区」で事件が起きるのだが、それぞれの「K地区」は同じ場所なのか。それとも頭文字が同じだけなのだろうか。
第49・49話 「史上最大の侵略(前編・後編)」ゴース星人+パンドン
名作である。
ただし、記憶力の良い私が、ウルトラマンの最終回は幼い日に見た記憶があるのに、ウルトラセブンの最終回は高校になってはじめて見た気がするのだ。多分、幼い日のことを覚えていないのではなく、ウルトラセブンの後半が面白くなくて途中で見るのをやめたのだと思う。幼い段階でユートムの話を見てすごくつまらないと思った記憶がある。
一生懸命看護するアンヌ隊員が萌えー。
ロリコンで有名な私であるが、現在60歳のアンヌ隊員(ひしみゆりこ様)も対象の範囲である。
最終回のことはまだ書きたいことがある。
次回衆議院選挙は政権交代のチャンスである。が、私は小沢一郎という存在が心配である。
国民の皆さんや民主党員はよく以下の文章を読み、当時と同じ失敗をしないように見張ってほしい。
小沢の失敗のあらすじ
1993年に自民党を割り、自民党を政権の座から引き摺り下ろしたのは見事であったが、もう少し自民党を利権から長く遠ざけておけば自民党も良い政党に生まれ変わっただろうに、非自民連立政権内部で社会党とさきがけをいじめたり、自民党より右の発言を次々するものだから、社会党とさきがけが出て行って自民党と組んでしまった。
本文スタート
1994年後半、村山富一氏を総理とする自民党+社会党+新党さきがけによる連立政権が誕生した。
また、新生党・日本新党・民社党・公明党などは合体して新進党となった。
1 社会党が従来の主張をひっくり返したこと
2 自民党をもう少し干しあげて、財界や官僚とのパイプを消してしまえば良いのに、おめおめ自民党を政権に復帰させたこと
の2点で社会党に批判が集中した
1について
社会党というか村山は、日の丸・君が代・自衛隊・日米安保などを一気に全部認めた。これは従来の社会党の主張と正反対である。
この主張そのものはそんなに問題ではない。多くの国民は日の丸・君が代・自衛隊・日米安保などを認めている。
しかし、それならば、きちんと党大会を開くとか、あるいは、ここで急に見解を変更したことを謝りつつ、「これからの社会党はこういう見解に変えます。また、自民党と組みます。これについて国民の審判を受けるため、解散して総選挙を行います。」とやってほしかった。そうすればついでに小選挙区制も吹っ飛ぶというおまけつきだ。
(小選挙区制との関係については前回の文章参照↓)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=547703327&owner_id=2663509
2について
自民党と組んだことについては社会党と新党さきがけが批判された。
この点については、私は弁護したい。
新生党・日本新党・民社党・公明党などが合体して新進党となったわけであるが、新進党は当時既に自民党より右になっていた。私も含め、左翼市民運動家は、「新進党よりは自民党のほうがまだマシ」という考えになっていた。
これは、私が長く待ち望んでいた政権交代について計画していないことだった。
昔から「自民党の左が割れて野党と組んでくれたら良いな」と思い、少しでもそうなるように陰ながらちょこまか動いていたのだが、まさか、自民党の中でも特に右寄りの小沢一郎が野党と組むとは思わなかった。
第2に計画が狂ったのは、「いろいろな政党が組めば真ん中あたりで落ち着くだろう」という予測が全く当たらなかったことだ。日本新党も民社党も、そして平和と人権が売り物の公明党もたちまち小沢一郎べったりになり、合体してできた新進党は自民より右になっていた。
左から順に書くと、共産党・社会党・さきがけ・自民党・新進党となる。したがって、社会党とさきがけが自民党と組むのは不思議ではない。
おめおめ自民党を助けたという社会党・さきがけより、むしろちゃんと中道を維持せずに急に右に行った日本新党や公明党が問題だと思う。そして社会党とさきがけをいつも仲間外れにし、自民党側に追いやる原因を作ったのが小沢一郎だ。
政権交代にあたって小沢一郎の「豪腕」とやらに期待する人が多いが、こいつがしっかりしれば、既に1993年に政権交代していた状態を維持できたのである。
新進党結成について
さて、気の毒なのは、1995年の統一地方選挙で日本新党から立候補しようとしていた人たちである。私の片腕、経済とエネルギー問題が得意の友人もこの時立候補。
おそらく日本新党という名前で立候補していたら勝っていただろう。しかし、既に新進党になっていた。
1995年7月の参議院選挙は、新進党が勝ったが、1995年4月の地方選挙は、旧公明党はそれはそれで出るわけである。創価学会はそちらを応援する。
創価学会票をもらえない新進党なんて、無所属よりやりにくい。
名前は新生党に似ているし。
過去、私が応援した人間の中でも特に優秀だった候補を、ここで落としてしまった。
日本新党は、小選挙区制ができてしまってから、「小選挙区制では各選挙区で1位しか当選できない。あの巨大な自民党と戦うには、みんなで合体して新進党になるしかない」と説明した。
「じゃあ仕方ないな」みたいに反応した日本新党支持者も多かったが、自然現象が来たみたいな言い方してもらっては困る。
その小選挙区制を作ったのもあんたたちでしょうが。
最初から小選挙区制を作りつつある時点で、「小選挙区制にして、小沢一郎さんの新生党や民社党や公明党と合体して1つになります」と説明していれば、日本新党支持者の多くが反対したと思う。組織に頼らず、しがらみのないところに日本新党の良さがあるのに、その良いところが消えてしまうではないか。
ともあれ、新進党は参議院選挙で勝った。一方、社会党やさきがけは、自民党と組んでいることへの国民からの批判が大きいことを改めて実感。さきがけはエースカードとして出した中村敦夫候補さえも落ちてショックを受ける。
沈没する船からネズミが逃げ始めるように、社会党やさきがけは新たな船を求めて動き始めた。(つづく)
オタクのコーナー
ウルトラセブン40周年記念突っ込み
第47話 「あなたはだあれ?」 フック星人
たいして面白い話ではないが、事件は「K地区」で起きる。ウルトラセブンでは、よく「K地区」で事件が起きるのだが、それぞれの「K地区」は同じ場所なのか。それとも頭文字が同じだけなのだろうか。
第49・49話 「史上最大の侵略(前編・後編)」ゴース星人+パンドン
名作である。
ただし、記憶力の良い私が、ウルトラマンの最終回は幼い日に見た記憶があるのに、ウルトラセブンの最終回は高校になってはじめて見た気がするのだ。多分、幼い日のことを覚えていないのではなく、ウルトラセブンの後半が面白くなくて途中で見るのをやめたのだと思う。幼い段階でユートムの話を見てすごくつまらないと思った記憶がある。
一生懸命看護するアンヌ隊員が萌えー。
ロリコンで有名な私であるが、現在60歳のアンヌ隊員(ひしみゆりこ様)も対象の範囲である。
最終回のことはまだ書きたいことがある。