政界再編の歴史・10
政界再編の歴史・10
1993年、社会党・連合・社民連・さきがけ・日本新党・公明党・民社党・新生党の7党8会派は、自民党政権を倒すために団結。細川護煕・羽田孜の2代に渡り、非自民連立政権ができた。
生きているうちに自民党が野党になるなどという楽しい状況を見ることができるとは思わなかった。大嫌いなソ連が滅んだのと共にこの世の良い思い出となった。
ところが喜びも束の間、非自民連立政権は、何かにとりつかれて狂ったかのように、バカの一つ覚えで小選挙区制づくりばかりにこだわった。日本新党の細川は、てめえは新しい政党のイメージで大勝したくせに、新党を作ることがものすごく難しい仕組みにしやがったのだ。
私はこういう人間を本当に軽蔑する。
私は望みどおり塩浜政権が誕生しても、更に新しい勢力が自分に挑戦してくることが容易なシステムを作る。
細川は小選挙区制などを作った後自民党からの攻撃に耐えられずサッサと総理をやめ、次いで羽田政権。このあたりで小沢一郎が社会党と民社党とさきがけを仲間外れにして残りで「改新」というグループをつくってみんなでいっしょになろう、とやった。
カンカンになって、社会党とさきがけは連立政権を離れる。
自民党は野党になったとは言え、衆議院で200人以上いた。社会党もこのころは70人近くいた。これだけで過半数である。
内閣不信任決議案を提出。
私は期待した。
今解散すれば、中選挙区制のままで選挙だ。小選挙区制を吹っ飛ばすチャンスである。
小選挙区制は、それそのものだけでは使えない。
その後、選挙制度が変わったことに伴って、「板橋区が東京11区」とか、「豊島区と練馬区のここで東京10区」という「区割り法案」というものを作らなければ、小選挙区制による選挙はできない。
そして、「区割り法案」が成立した後、国民が理解するために6ヶ月たった後でなければ使えないことになっていた。
つまりは、区割り法案ができて6ヶ月たつより前に、何らかの方法で衆議院解散・総選挙があれば、元の中選挙区制のままで選挙ができるのだ。
社会科のテストによく出るネタ。
「衆議院で不信任決議が出されたら、内閣はどうしなければならないか。」
答え。
「10日以内に衆議院を解散するか、内閣総辞職する。」
クイズ 羽田内閣はどちらの道を選んだでしょうか。
私の力では何もできない。祈るしかなかった。
どうか解散になりますように。
今解散になれば小選挙区制は吹っ飛ぶ。
神様、小選挙区制さえつぶれるなら、私は一生女性を抱けなくなっても構いません。
解散と総辞職という二つの道があるにせよ、今まで、不信任決議があった時は全て衆議院解散だった。
「不信任だと。ふざけるな。だったら国民に聞いてやろうじゃないか」という心境になるのであろう。
個人的情報網から、次々情報が入ってきた。
羽田総理は解散と言っている。
小沢一郎が「今解散したら小選挙区制が吹っ飛ぶぞ。それでも良いのか」と必死に羽田総理を説得しているという。
頑張れ、羽田。
小沢の操り人形などと言われていて良いのか。小沢の言うことなんか聞くな。
そして、土井たか子議長のバカな判断にも腹が立つ。
皆さんは、土井たか子氏というと、「ダメなものはダメ」という発言の印象が強く、「妥協を知らない頑固者」と思っているのではないか。
私からすると、土井たか子氏は、弱腰で、何度も勝つチャンスで負けている。
私に言わせると土井氏が2、3回、村山富一氏が1回、小選挙区制をつぶすチャンスを逃している。(2人とも小選挙区制が嫌いである)
土井さんは、この時、「もう少し話し合いたいから待ってくれ」という小沢一郎の要請に従って、半日以上待っていたのだ。
さっさと早く衆議院本会議を始めてしまえば良かった。
始めれば、200人くらいの自民と70人弱の社会党と少々のさきがけで過半数で不信任決議成立。
小沢一郎氏の説得が終わらなければ、羽田孜氏は解散でいく。これで中選挙区制のまま選挙だ。
本会議は正午の予定、いや午後2時、どうも夕方・・・とどんどん延期、そして夜になって、とうとう小沢一郎が羽田孜を説得してしまった。
土井のバカヤロー、なんでそこまで待つのだ。
さて、先ほどのクイズの正解。
一応総辞職だが、それだけではまだ不正解。
正解は・・・「不信任決議‘案‘が提出された後、不信任決議をやる前に(そのための本会議を開く前に)総辞職」
つまり、この時、不信任決議「案」は出され、本会議が開かれさえすれば不信任決議成立は間違いなかったのだが、その前に総辞職したのである。
小沢としては、解散して小選挙区制が吹っ飛ぶのは避けたかった。
羽田は不信任決議が成立してしまえば、「だったら解散して国民に聞くぞ」とやらないと気が済まなかった。
小沢一郎、敵ながらあっぱれ、見事な妥協案を考えた。そしてこの妥協が成立するまで待った土井はバカだ。本当に悔しい。
小沢一郎はその後は力が尽きたか、判断ミスが多かったが、小選挙区制導入のための判断は全問正解(彼にとっての正解)を選んだ。
羽田内閣総辞職後は、自民党+社会党+さきがけの連立内閣。久しぶりに自民党が政権復帰。そこは気に入らないが、
「村山よ、どんなこじつけでも良いから、区割り法案ができて6ヶ月たつ前に解散しろ。それさえやれば全て許す」と思った。
が、とうとうそれはやらないまま、やがて区割り法案ができ、6ヶ月がたった。
(つづく)
これが細川がやった「政治改革」だ。
1 小選挙区比例代表並立制
小選挙区制→各選挙区で1位の人だけが当選する。そうなると大政党にいないと当選しにくい。
比例代表制→個人の努力よりもその政党の人気で当選が決まる。
2 政党助成金→政治家が個人で金を集めるのを制限しつつ、金を政党で集め、政党が党員に分配する。これで党のお偉いさんにペコペコしていないと金が来なくなる。
また、現職国会議員が5人以上いるか、直近の選挙で2%以上の得票をしていないと政党助成金はもらえないため、新党は作りにくいし、無所属は決定的に不利。
3 選挙のとき、候補者個人用のポスターの他に政党のばかでかいポスターを貼って良いこととなった。その上、政党のポスターにもその地域で立候補する候補の顔の写真を載せて良いので、ここでも無所属は決定的に不利となった。
まとめれば、党にペコペコする人が有利、党に逆らう人、無所属、新党などが不利な仕組みにしたのである。
オタクのコーナー
レイザーラモンHG、別名ハードゲイ、芸人としては全く面白くない。
ここ数年、「フォー」だの、「そんなの関係ねえ」だの、「ちっきっしょー」だの「間違いない」だの「残念」だの、「切れてないっすよ」だの、しっかり磨いたネタではなく、決まりきった言葉を繰り返すだけのくだらないものを、テレビという武器で無理やり守り立てている。
新日本・・・いや、お笑いファンの皆さん、目を覚ましてください。
本当に面白いと思っていますか。テレビに洗脳されているだけではないですか。
レイザーラモンHG、別名ハードゲイ、芸人としては面白くないが、プロレス団体「ハッスル」で選手として参加、こちらでは随分面白いぞ。いや、レイザーラモンRGまでもが面白い。
そして、HG選手のドロップキック、プロ並にうまい。ご注目。
1993年、社会党・連合・社民連・さきがけ・日本新党・公明党・民社党・新生党の7党8会派は、自民党政権を倒すために団結。細川護煕・羽田孜の2代に渡り、非自民連立政権ができた。
生きているうちに自民党が野党になるなどという楽しい状況を見ることができるとは思わなかった。大嫌いなソ連が滅んだのと共にこの世の良い思い出となった。
ところが喜びも束の間、非自民連立政権は、何かにとりつかれて狂ったかのように、バカの一つ覚えで小選挙区制づくりばかりにこだわった。日本新党の細川は、てめえは新しい政党のイメージで大勝したくせに、新党を作ることがものすごく難しい仕組みにしやがったのだ。
私はこういう人間を本当に軽蔑する。
私は望みどおり塩浜政権が誕生しても、更に新しい勢力が自分に挑戦してくることが容易なシステムを作る。
細川は小選挙区制などを作った後自民党からの攻撃に耐えられずサッサと総理をやめ、次いで羽田政権。このあたりで小沢一郎が社会党と民社党とさきがけを仲間外れにして残りで「改新」というグループをつくってみんなでいっしょになろう、とやった。
カンカンになって、社会党とさきがけは連立政権を離れる。
自民党は野党になったとは言え、衆議院で200人以上いた。社会党もこのころは70人近くいた。これだけで過半数である。
内閣不信任決議案を提出。
私は期待した。
今解散すれば、中選挙区制のままで選挙だ。小選挙区制を吹っ飛ばすチャンスである。
小選挙区制は、それそのものだけでは使えない。
その後、選挙制度が変わったことに伴って、「板橋区が東京11区」とか、「豊島区と練馬区のここで東京10区」という「区割り法案」というものを作らなければ、小選挙区制による選挙はできない。
そして、「区割り法案」が成立した後、国民が理解するために6ヶ月たった後でなければ使えないことになっていた。
つまりは、区割り法案ができて6ヶ月たつより前に、何らかの方法で衆議院解散・総選挙があれば、元の中選挙区制のままで選挙ができるのだ。
社会科のテストによく出るネタ。
「衆議院で不信任決議が出されたら、内閣はどうしなければならないか。」
答え。
「10日以内に衆議院を解散するか、内閣総辞職する。」
クイズ 羽田内閣はどちらの道を選んだでしょうか。
私の力では何もできない。祈るしかなかった。
どうか解散になりますように。
今解散になれば小選挙区制は吹っ飛ぶ。
神様、小選挙区制さえつぶれるなら、私は一生女性を抱けなくなっても構いません。
解散と総辞職という二つの道があるにせよ、今まで、不信任決議があった時は全て衆議院解散だった。
「不信任だと。ふざけるな。だったら国民に聞いてやろうじゃないか」という心境になるのであろう。
個人的情報網から、次々情報が入ってきた。
羽田総理は解散と言っている。
小沢一郎が「今解散したら小選挙区制が吹っ飛ぶぞ。それでも良いのか」と必死に羽田総理を説得しているという。
頑張れ、羽田。
小沢の操り人形などと言われていて良いのか。小沢の言うことなんか聞くな。
そして、土井たか子議長のバカな判断にも腹が立つ。
皆さんは、土井たか子氏というと、「ダメなものはダメ」という発言の印象が強く、「妥協を知らない頑固者」と思っているのではないか。
私からすると、土井たか子氏は、弱腰で、何度も勝つチャンスで負けている。
私に言わせると土井氏が2、3回、村山富一氏が1回、小選挙区制をつぶすチャンスを逃している。(2人とも小選挙区制が嫌いである)
土井さんは、この時、「もう少し話し合いたいから待ってくれ」という小沢一郎の要請に従って、半日以上待っていたのだ。
さっさと早く衆議院本会議を始めてしまえば良かった。
始めれば、200人くらいの自民と70人弱の社会党と少々のさきがけで過半数で不信任決議成立。
小沢一郎氏の説得が終わらなければ、羽田孜氏は解散でいく。これで中選挙区制のまま選挙だ。
本会議は正午の予定、いや午後2時、どうも夕方・・・とどんどん延期、そして夜になって、とうとう小沢一郎が羽田孜を説得してしまった。
土井のバカヤロー、なんでそこまで待つのだ。
さて、先ほどのクイズの正解。
一応総辞職だが、それだけではまだ不正解。
正解は・・・「不信任決議‘案‘が提出された後、不信任決議をやる前に(そのための本会議を開く前に)総辞職」
つまり、この時、不信任決議「案」は出され、本会議が開かれさえすれば不信任決議成立は間違いなかったのだが、その前に総辞職したのである。
小沢としては、解散して小選挙区制が吹っ飛ぶのは避けたかった。
羽田は不信任決議が成立してしまえば、「だったら解散して国民に聞くぞ」とやらないと気が済まなかった。
小沢一郎、敵ながらあっぱれ、見事な妥協案を考えた。そしてこの妥協が成立するまで待った土井はバカだ。本当に悔しい。
小沢一郎はその後は力が尽きたか、判断ミスが多かったが、小選挙区制導入のための判断は全問正解(彼にとっての正解)を選んだ。
羽田内閣総辞職後は、自民党+社会党+さきがけの連立内閣。久しぶりに自民党が政権復帰。そこは気に入らないが、
「村山よ、どんなこじつけでも良いから、区割り法案ができて6ヶ月たつ前に解散しろ。それさえやれば全て許す」と思った。
が、とうとうそれはやらないまま、やがて区割り法案ができ、6ヶ月がたった。
(つづく)
これが細川がやった「政治改革」だ。
1 小選挙区比例代表並立制
小選挙区制→各選挙区で1位の人だけが当選する。そうなると大政党にいないと当選しにくい。
比例代表制→個人の努力よりもその政党の人気で当選が決まる。
2 政党助成金→政治家が個人で金を集めるのを制限しつつ、金を政党で集め、政党が党員に分配する。これで党のお偉いさんにペコペコしていないと金が来なくなる。
また、現職国会議員が5人以上いるか、直近の選挙で2%以上の得票をしていないと政党助成金はもらえないため、新党は作りにくいし、無所属は決定的に不利。
3 選挙のとき、候補者個人用のポスターの他に政党のばかでかいポスターを貼って良いこととなった。その上、政党のポスターにもその地域で立候補する候補の顔の写真を載せて良いので、ここでも無所属は決定的に不利となった。
まとめれば、党にペコペコする人が有利、党に逆らう人、無所属、新党などが不利な仕組みにしたのである。
オタクのコーナー
レイザーラモンHG、別名ハードゲイ、芸人としては全く面白くない。
ここ数年、「フォー」だの、「そんなの関係ねえ」だの、「ちっきっしょー」だの「間違いない」だの「残念」だの、「切れてないっすよ」だの、しっかり磨いたネタではなく、決まりきった言葉を繰り返すだけのくだらないものを、テレビという武器で無理やり守り立てている。
新日本・・・いや、お笑いファンの皆さん、目を覚ましてください。
本当に面白いと思っていますか。テレビに洗脳されているだけではないですか。
レイザーラモンHG、別名ハードゲイ、芸人としては面白くないが、プロレス団体「ハッスル」で選手として参加、こちらでは随分面白いぞ。いや、レイザーラモンRGまでもが面白い。
そして、HG選手のドロップキック、プロ並にうまい。ご注目。