塩浜の紙上講演会・7
塩浜の紙上講演会・7
皆さん、本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。
塩浜党の党首、アトラス塩浜です。
選挙というのは、政治について、運転手を変えるシステムです。私はこれに加えて、一定の署名が集まった場合には直接ブレーキを踏むシステムを作るべきだということを主張しています。
これについて前回に引き続き、皆さんからよく寄せられる質問にお答えしましょう。
4.地動説が当初受け入れられず、ガリレオが迫害されたように、大勢で決めることが正しいという保証はないと思うのですが。
政治とはそもそも何でしょうか。
個人個人に任せておいてはうまくいかないことについてみんなで金を出し合って、行うのが政治です。限りあるお金をどこに優先的に使うかを考えるわけです。
数学の定理とか、科学的な真実を追究するのではありませんし、芸術を極めるのでもありません。科学や芸術においては、大勢で話し合っても天才の妨げになることがあるでしょう。しかし、政治はそういうことを決めるのではありません。
みんなのお金を福祉に多く使うか、環境対策に使うか、これは正しいとか間違っているという問題ではありません。
政治にははっきりした答えはないのです。
みんなで出したお金は、みんなで使い道を考えるのが当然です。
普段は面倒くさいから一部の代表に任せておいたとしても、いざとなれば「お金を出した以上、我々の意見も聞け」というのは当然のことなのです。
私は間接民主主義だけという制度よりも、直接民主主義も加えた私の案の方が結果も良くなると思っていますが、本当は結果うんぬんだけの問題ではありません。
お金を出した者の当然の権利なのです。
5.みんなで考える、みんなに責任があるというシステムは、ある意味では誰にも責任がないということになってしまう。間接民主主義は責任者をはっきりさせるという積極的意味がある(獨協大学時代、政治学原論で白鳥令教授の言葉)
この意見には一時期納得しかけたのですが、でも、ここで言う「責任」とは何でしょうか。政治のせいで人がたくさん死ぬことだってあります。責任とって議員が切腹でもしてくれるのでしょうか。
せいぜいで、「次の選挙で落ちる」という程度のものです。
あげくの果ては、選挙で勝って、「禊を済ませた」などと言ったりします。
こんなくだらない「責任」とやらを根拠に間接民主主義に甘んじるつもりはありません。
政治決定が間違っていた時に痛い目に直接遭うのは国民です。これこそが責任の取り方です。いざという時に痛い目に遭う国民に政治決定の最終判断権があるべきです。
6.最後に
「小泉さんなら改革してくれるかも知れない」「石原慎太郎ならやってくれる」「政権交代すればもしかして」
こういう考えは、自分が変わろうとせず、いつの日か、誰か素晴らしいヒーローが現れて変えてくれることに期待する、「お任せ民主主義」です。
期待しては裏切られ、期待しては裏切られ、もう誰かに変えてもらうことに期待するのはやめにしましょう。
私たち自身が変わる、私たち自身が変える。
議員なんてものは、普段面倒くさいから細かいことを代理として任せておいているだけです。大事なことこそ、我々が決めるべきなのです。
国民投票、住民投票こそが真の民主主義、間接民主主義は「お任せ民主主義」です。
早くお任せ民主主義から脱却しましょう。
オタクのコーナー
8月26日深夜の「神さまあず」という番組に、「爆乳・京娘」「セクシーな西川史子」立花かんなさんが出るようです。
「仮面ライダー・ネクスト」のDVDを期待せずに見た。
「仮面ライダー・first」のできからして期待はしていなかった。
まず、仮面ライダーや怪人という世界観と、幽霊・オカルトっぽい世界観が釣り合わない。幽霊話が邪魔臭くて仕方ない。
出てくる怪人、ハサミジャガーとノコギリトカゲ(だと思う)は、かつての仮面ライダーV3に出てきた怪人と能力も近くて良かった。
「仮面ライダーfirst」で、たかが女性との恋ごときでショッカーを裏切る仮面ライダー2号にもうんざりだったが、またもそれと似たパターンが繰り返されたことにもうんざり。
どうせなら、新しいのを作れば良いのに、わざわざ昔の仮面ライダー1号、2号、V3などを使って、大人の目を惹き付けておいて、それで昔の作品を汚すのはやめてほしい。
同様のことは、ウルトラセブンXや、「怪獣と少年」の続編にも言える。
先日「読者になる」という人がいて、承認とか何とかいうページがあったが、よく操作がわからないうちに消えてしまいました。
ミクシイは使い方に大分慣れてマイミクが現在569名いるのですが、アメブロは使い方がよくわからない。
多分マイミクにあたるシステムもあるのだと思います。
根気良い人は教えてください。