<前文>
周知のように、現代日本語は漢字・ひらがな・カタカナ、3種の文字を交えて書く、世界的にも稀な表記体系を持っている。そのうち、漢字は学習負担を大きく来していることはよく知られていることである。このことは今に始まったことではない。蘭学が流入した近世から絶えることなく指摘されてきたことであり、近代になっては漸くそれを是正しようとする動き(「国語国字問題」)が現れた。
そのような先賢たちの努力によって、「現代仮名づかい(遣い)」「当用(常用)漢字」の制定など、一定の成果があげられた。それでは「国語国字問題」は解決済みの過去の問題であると言えるだろうか?私はいささか疑問に思わざるを得ない。
日本の小学生たちは6年をかけて1026字の漢字を学習するようになっている。これは2010年改訂された常用漢字2136字の半分に満たない数値である。もちろん、字によって使用頻度が違い、約1000字程度を学習すれば、一般生活における文章の約9割を理解できるとされており、大きな問題でないと思うかもしれない。しかし「現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」とする常用漢字表の定義に従えば、日本の小学生たちは6年かけて、日本語を書き表すのに必要な能力が半分程度しか身につかないことを意味する。
これは世界各国と比べてみても深刻な問題ではないか?もちろん単純比較はできないが、漢字をあまり使わなくなった隣国の韓国では小学低学年で一定の綴字教育がまとまる。韓国語表記は表記深度が深いほうに属することを考えれば、単純に「ハングルは数が少ないから当然」と軽んじてはならない。やはり日本語表記の学習負担が日本人にとっても極めて大きいことは否みがたい。これは日本と同じく漢字を常用文字として使う中華圏と比べてみてもさして変わらないようだ。
2011年に中国教育部は2000年の《語文教学大綱》 及び2001年試用版の《義務教育語文課程標準》を整理し,2011年版の《義務教育語文課程標準》を公布した。以下《語文課程標準》と略称するが,大まかな内容は《語文教学大綱》と同じで,違うのはさらに詳細に分類して条文化にしている点である。 《語文課程標準》では9年の義務教育を4段階に分け,第1段階は第1,2学年,第2段階は第3,4学年,第3段階は第5,6学年,第4段階は第7,8,9学年としている。各段階に統一した5項目の学習内容や到達目標を設けている。5項目の内容は次のようになっている。1.漢字の学習,2.読書,3.作文,4.口頭による表現力,5.総合学習というものである。漢字学習については次のように設定している。第1段階では1600字前後読むことができ,その内の800字前後は書くこともできる。第2段階では,累計2500字前後読むことができ,その内の1600字前後は書くこともできる。第3段階では,累計3000字前後読むことができ、その内の2500字前後は書くこともできる。第4段階では、累計3500字前後読むことができる。
文・伊藤・盧(2016)「日中韓三か国における漢字教育の現状と課題」
つまり、中国では漢字を初等教育6年で2500-3000字程度習得することとしており、日本と比べて約2.5~3倍程度多いのである。もちろん、日本語表記はひらがな・カタカナがあって漢字を少なくしても表記できるといった回避策(?)が用意されているのに対して、中国語表記は基本的には漢字で書かなければならないという違いはある。しかし、そうだとしても、これほど雲泥の差がついていることには、やはり問題意識を持たざるを得ない。
私は「日本語表記における漢字使用が不必要に難解なのではないか」と思い始めた。言うまでもないが、日本語表記における漢字は音読みと訓読みがあるが、その区別はほぼ学習者の熟知度に任されていると言っても過言ではない。そのため、日本語をどれだけ長期間学習しても、誤読はしばしば発生する。これによって、一般生活でのコミュニケーションにも支障を来たしていることは言うまでもない。
私は日本語を習い始めて20年以上になるが、今でもやはり誤読を度々起こす。例えば、「引換券」を「インカンケン」と読んだり、「再貸出」を「サイタイシュツ」と読んだりして通じなかった経験がそれである。「引き換え」と「貸し出し」を知っていてもだ。このような動詞から来る語であれば、送り仮名を付け加えるような対策ができるのに対して、「雷門」「持ち家」「中とろ」は現在の表記法では「ライモン」「もちや」「なかとろ」と誤読することが防げない(この3語も森東が実際に誤読したことのある語である)。
しかも、漢字は本来日本語とは全く関係ない文字で、しいて言語に結びつけるなら(古代)中国語である。これによって、「おも」という同語を「主に」「重い」と異形態で書いてしまったり、まったく別語である「つらい」と「からい」が「辛い」と同形態で書かれたりする矛盾が生じてしまっている。
その上に残念ながら、問題は訓読みだけにとどまらない。音読みには「呉音」「漢音」「唐音」などがあり、これもなかなかややこしい。「競馬」と「競艇」は同じく競うことなのに、「ケイバ」と「キョウテイ」と違う発音で読むことが求められる。表記には全く現れない。非母語話者ではあるが、日本語学の大学教員すらも「小児」を「ショウジ」と読むような誤りを起こしたこともあるから、その難解さは計り知れないものと言って過言ではない。
このような問題は日本語母語話者でも同じく適用される問題である。「十人十色」を「ジュウニンジュッショク」と読んだり、「約定」を「ヤクテイ」と読んだりする日本人を見たことがある。漢字読みの問題は日本語非母語話者だけの問題ではないことは明らかである。
このような読み間違いを起こしやすい語が例外的ならまだしも、広範囲に存在することを考えると放置してはならない問題である。私は「日本語は難しい」という迷信を悪化させている一因がここにあると思う。つまり「日本語表記は難解である」という比較的事実に近い命題を利用し、表記と言語を一緒くたにして、それを事実に見せかけているのではないかということである。
すでに述べた通り、この問題は何も事新しいことではない。しかし、多くの先賢たちの努力があったにもかかわらず、この問題は依然として現在進行形であり、むしろ「日本人の識字率は世界一」といった半分だけの事実を後ろ盾に退歩し始めている感が拭えない。ここに森東は問題意識を持って、自分の無知と無力を顧みず、恥を冒して、従来とは若干異なる日本語表記法を以て解決できるのではないかと思い、ブログにてその表記法を試験的に実践してみた。本文はその表記法をまとめたものである。
最後に、私は約300年前に日韓関係に多大なる功績を残した雨森芳洲に尊敬と肖りたい気持ちから、自分の筆名を「雨・森東(ウ・サムドン)」と名付けた。言うまでもないが、これは朝鮮の記録での芳洲の名称である「雨森東」から取ったものである。ちなみに、「雨森・東」ではないのは、筆者が韓国出身であり、韓国人の姓(苗字)のほとんどが単姓であることから起因する。
<本文>
第1章 総則
第1条 ①原則として漢語(和製漢語を含む)は漢字で、それ以外の外来語はカタカナで、和語はひらがなで書く。
「訓読み」は 原則として認めない。
②いわゆる「交ぜ書き」は認めない。
③いわゆる「湯桶読み」は当面の間、すべてひらがなで書くことを原則とする。
④漢語という意識が顕著に薄れていると認められる語はひらがなで書くことを原則とする。
/yamato/(Japan) |
◎やまと ○ヤマト ×大和 |
/kanji/(Chinese characters) |
◎漢字 〇かんじ 〇カンジ |
/kaizan/(Falsification) |
◎改竄 〇かいざん 〇カイザン ×改ざん |
/bi-ru/(Beer) |
◎ビール ○びーる ×麦酒(◎ばくしゅ) |
/tonjiru/(Pork soup) |
◎豚じる ○とんじる 〇トンジル ×豚汁 |
/mihon/(Sample) |
◎みほん ○み本 ○ミホン ×見本 |
/e/(Picture) |
◎え ○絵 ○エ ×画 |
第2条 固有名詞は原則としてかなで書く。ただし、漢字音で読まれる固有名詞は漢字で書くことも認める。
例(◎原則 ○許容 ×不可) |
|
Nagano |
◎ながの ○ながの ×長野 |
Fukuoka |
◎ふくおか ○フクオカ ×福おか ×福岡 |
Shiga |
◎しが ◎滋賀 ○シガ |
Tokugawa |
◎とくがわ ○トクガワ ×徳がわ ×徳川 |
Washington |
◎ワシントン ○わしんとん ×華盛頓 |
第3条 文章において各単語の間にスペースを入れて(分かち書き)書く。スペースは半角を原則とし、全角を許容する。
ただし、助詞は前の語に続けて書く。
例>私が学校に行く。→わたしが 学校に いく。
第4条 書字方向は左横書きを基本とし、それに準じて右縦書きを許容する。
第2章 かなづかい
第1条 かなづかいは原則的に表音的に書く。ただし、一種の内的再構が可能な範囲で表語的に書く。
例えば、「声(こえ)」は「こわいろ」「こわだか」などから、発音は「え」でも本来は「ゑ」であることが推察できる。
しかし、「男(おとこ)」は現代日本語が駆使できても、知識として知らなくては「をとこ」であることがわからない。
よって、それぞれ「こゑ」「おとこ」を取り、「こえ」「をとこ」を捨てる。
声 |
男 |
変(自動) |
変(他動) |
回(自動) |
回(他動) |
|
現代 |
こえ |
おとこ |
かわる |
かえる |
まわる |
まわす |
歴史的 |
こゑ |
をとこ |
かはる |
かへる |
まはる |
まはす |
森東式 |
こゑ |
おとこ |
かわる |
かゑる |
まわる |
まわす |
第2条 当面の間、かなは以下のひらがな、カタカナのそれぞれ48字をもって書き、濁音、半濁音、拗音は現行通りに書く。
ひらがな |
カタカナ |
あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゆ よ ら り る れ ろ わ ゐ ゑ を ん |
ア イ ウ エ オ カ キ ク ケ コ サ シ ス セ ソ タ チ ツ テ ト ナ ニ ヌ ネ ノ ハ ヒ フ ヘ ホ マ ミ ム メ モ ヤ ユ ヨ ラ リ ル レ ロ ワ ヰ ヱ ヲ ン |
第4条 ①長音は前の字に下線を引いて書く。
例> /oka-san/(mother) ◎おかさん ×おかあさん
/o-ji/(prince) ◎オジ ×オウジ
②語尾は①の適用を受けない。
例> /ii/(good) ◎いい ×い
第3条 いわゆる「は行転呼音」は一部においては、は行で書くことを原則とする。
①現代仮名遣いのあわ行五段活用動詞は、語尾をは行で書く。
例>言う → ◎いふ ×いう / 言わない→ ◎いはない ×いわない
②助詞 /wa/ /e/ /o/は、それぞれ「は」「へ」「を」と書く。
第4条 ①語中・語尾においても、hの発音がされる場合は、その前に「-」を入れて書く。
例>/asahi/(Rising sun) → ◎あさ-ひ ×あさひ
②語中・語尾においても、「-aう/ふ」と「-eう/ふ」の発音がそれぞれ
/-au/と/-eu/とに発音される場合は、その間に「-」を入れて書く。
例>/ayaui/(dangerous) → ◎あや-うい ×あやうい
③動詞は②の適用を受けない。
例>/kau/(buy) → ◎かふ ×か-ふ
第5条 ①p入声系列の字音は「-aふ」と書き、音便を起こす場合は「ふ」を小さく書いて表す。
例>収納 → 収納(◎シュナフ ×シュノ ×シュウノウ)
納豆 → 納豆(◎ナフト ×ナットウ)
合理 → 合理(◎ガフリ ×ゴウリ)
合体 → 合体(◎ガフタイ ×ガッタイ)
②ただし、p入声系列の字音であっても、「-ツ」の字音を持つ場合は、上項に従わない。
例>建立 → 建立(◎コンリュ ×コンリフ)
雑巾 → 雑巾(◎ゾキン ×ザフキン)
第6条 歴史的仮名遣いにおけるauとeuの表記は現代語で語源意識が辿れるものと認められる場合のものは歴史的仮名遣いに従い、そうでないものは「森東式表記法」に従う。
例 |
葵 |
倒れる |
今日 |
手水 |
扇 |
現代 |
あおい |
たおれる |
きょう |
ちょうず |
おうぎ |
歴史的 |
あふひ |
たふれる |
けふ |
てうづ |
あふぎ |
森東式 |
あおい |
たおれる |
けふ |
てうず |
おぎ |
「葵」は「会ふ日」が語源とする説もあるようだが、仮にそれが事実だとしても、現代日本語を駆使する上で「葵」と「会う日」を連想することはないだろう。よって、発音通りの「あおい」を取り、「あふひ」を捨てる。
「倒れる」も現代語を駆使する上では「た『ふ』れる」は連想しがたい。よって、「たおれる」を取り、「たふれる」を捨てる。
「今日」は発音が「キョ―」であるが、「今朝(けさ)」を知っていれば、「け」の発音が変じたものと容易に推察できる。よって、「けふ」を取り、「きょ(きょう)」を捨てる。
「手水」は発音が「チョーズ」であるが、「て」+「みず」から来ていることが容易にわかり、「み」が音便化したことがすぐわかる。よって、「てうず」を取り、「ちょず」を捨てる。
「扇」は「あおぐ(あふぐ)」という動詞から転成した名詞であるが、「あおぎ」からは/o-gi/という発音にはならない。現代語においては別の語として判断して「おぎ」を取り、「あふぎ」を捨てる。
第7条 促音は「っ/ッ」で書く。ただし、促音便は元の形態を小さく書いて表す。
例> うつ(動詞)+て → ◎うちて ×うって
うる(動詞)+て → ◎うりて ×うって
第8条 撥音は「ん/ン」で書く。ただし、撥音便は元の形態を小さく書いて表す。
例> よむ(動詞)+て → ◎よみで ×よんで
よぶ(動詞)+て → ◎よびで ×よんで
第9条 い音便、う音便は歴史的仮名遣いに従う。
例> かく(動詞)+て → ◎かいて ×かきて
いそぐ(動詞)+て → ◎いそいで ×いそぎで
ありがたい+く → ◎ありがたう ×ありがとう
<結文>
本表記法は、かなづかい、特に和語のかなづかいの表記深度を若干深める代わりに、漢字の表記深度を極限に浅くして、従来の日本語表記が持っていた問題を極力緩和する狙いから作られたものである。
これは森東の独創的な創作ではない。和語はすべて仮名で書くようにしたのは、梅棹忠雄氏が実践した「訓漢字ぬき表記」と韓国における漢字使用から倣ったものであり、「一種の内的再構が可能な範囲で表語的に書く」は、『ハングル綴字法統一案』の「発音通り書くが、語法に合うように書く」から倣ったものである。
「森東式表記法」であれば、「金」が「かね」か「キン」か迷ったり、「開く」が「ひらく」か「あく」か迷ったりすることはない。また「日本語は同音異義語が多い(だから表記に漢字が必要不可欠だ)」という主張にも、ある程度対応しており、緩和できると期待される。例えば、「かって(買って/勝って/駆って)」は従来の仮名遣いでは区別できないが、「森東式表記法」では「かひて/かちて/かりて」と発音を示しつつも、意味をも残している。
もちろん、限界も存在する。前文で提起した「呉音」「漢音」「唐音」の区別が依然として解決できていない。また個人的には「は行転呼音」を「は行」で書くようにしたのは不満が残るが、従来の習慣(助詞の場合)とwuのかなの入力(は行五段動詞の場合)が不便な点などを考慮して、一応「は行」で書くようにした。や行にとっても同じ問題(例>癒すー癒える)があり、この辺は当面の間、従来の仮名遣いに援用せざるをえないであろう。そのほかにも、森東は日本語学のプロになれなかったアマチュアであるため、自分では気づいていない誤謬も多々あると予想される。
ともあれ、私としては大変残念でならないが、現在の日本人、日本社会では通用されている漢字かな交じり表記に問題意識がすっかり忘れ去られているばかりか、これまでの発展を「GHQによる負の遺産」とする見方すらしばしば散見されていることを考えれば、この「森東式表記法」が近い将来に受け入れられることはないだろう。仮に「森東式表記法」が従来の漢字かな交じりの表記法より優れたものだとしても。
しかし、私は日本人および日本社会がいつか国語国字問題の重大性を再認識し、ふたたび解決への道程に歩み始めると信ずる。それがどのような形でなされるか今は知る由もないが、日本人および日本社会が再覚醒して、その解決策を模索する際、この「森東式表記法」が一つの参考ないしヒントになれれば本望である。