永久欠番に対する考察と覚悟
クラブ本体と俺達で永久欠番に対する認識が大きく違う。クラブ本体はマリノスの3番は存在しないと思っていて、俺達はマリノスの3番は永遠に松田直樹だと思っている。
本体は、3番を松田直樹個人に捧げたものだからと言い、ユニフォームに入れる事すら拒む。
じゃあ、なぜ認識にズレが生じたのか。それはクラブに負い目があるから。負い目がある形で永久欠番にしてしまったから、自分達の3番を欠番にしておきながらも、どこかでうちの選手じゃないとか、ああいう形で外に出して「しまった」と思っている。クラブにとって、松田直樹はマリノスの選手としてではなく、あくまで一個人なんだ。だから今年のマリノスのユニフォームにも記念のユニフォームにも番号を入れる事を認めない。
それに対して俺は違う視点でマリノスの永久欠番「3番」を捉えている。山雅をどこか快く思ってない人もいる事からもわかるように、俺はマリノス以外の松田直樹を認めない。クラブと揉めた、クラブ本体は最後までわからず屋だった。俺は山雅の松田直樹を認めない。たとえ山雅にいたとしても、マリノスの3番は松田直樹だ。永久欠番という事は、今年も来年も、10年後も百年後もマリノスの3番は松田直樹だという事。だから毎年のユニフォームに3番を入れられない事を変に思うのだ。
3番を使って商売するとか、しないとか、そういう倫理とか云々の話が何故、妙に聞こえるのか。それは永久欠番「3」に対する認識が根本的に違うからではないかと思うのだ。
俺は、松田直樹の代わりなんていないと思う。松田直樹はあくまで松田直樹で、だから3番の永久欠番は支持する。もちろん、3番への認識は後者、これから何年たっても松田直樹だ。でも、代わりはいないけど、松田直樹っぽさを俺達は求めたい。それはピッチに対してもそうだし、俺自身もそう。ただ、そうやっていつまでもメンタリティを受け継いでいく事が3番を永久欠番にする本当の意味だと思う。
だからこそ、8月4日という日に勝つ事に意味があると思う。俺達横浜は彼のように常に勝負にこだわり、全力で敵を叩き潰すべきではないだろうか。そう、2年前の仙台の時のように。
本体は、3番を松田直樹個人に捧げたものだからと言い、ユニフォームに入れる事すら拒む。
じゃあ、なぜ認識にズレが生じたのか。それはクラブに負い目があるから。負い目がある形で永久欠番にしてしまったから、自分達の3番を欠番にしておきながらも、どこかでうちの選手じゃないとか、ああいう形で外に出して「しまった」と思っている。クラブにとって、松田直樹はマリノスの選手としてではなく、あくまで一個人なんだ。だから今年のマリノスのユニフォームにも記念のユニフォームにも番号を入れる事を認めない。
それに対して俺は違う視点でマリノスの永久欠番「3番」を捉えている。山雅をどこか快く思ってない人もいる事からもわかるように、俺はマリノス以外の松田直樹を認めない。クラブと揉めた、クラブ本体は最後までわからず屋だった。俺は山雅の松田直樹を認めない。たとえ山雅にいたとしても、マリノスの3番は松田直樹だ。永久欠番という事は、今年も来年も、10年後も百年後もマリノスの3番は松田直樹だという事。だから毎年のユニフォームに3番を入れられない事を変に思うのだ。
3番を使って商売するとか、しないとか、そういう倫理とか云々の話が何故、妙に聞こえるのか。それは永久欠番「3」に対する認識が根本的に違うからではないかと思うのだ。
俺は、松田直樹の代わりなんていないと思う。松田直樹はあくまで松田直樹で、だから3番の永久欠番は支持する。もちろん、3番への認識は後者、これから何年たっても松田直樹だ。でも、代わりはいないけど、松田直樹っぽさを俺達は求めたい。それはピッチに対してもそうだし、俺自身もそう。ただ、そうやっていつまでもメンタリティを受け継いでいく事が3番を永久欠番にする本当の意味だと思う。
だからこそ、8月4日という日に勝つ事に意味があると思う。俺達横浜は彼のように常に勝負にこだわり、全力で敵を叩き潰すべきではないだろうか。そう、2年前の仙台の時のように。