江戸は徳川家康が1590年に小田原合戦で秀吉軍とともに北条氏討伐を成すことで秀吉の命により北条氏の旧領に移封され、駿府から居を移すことで本格的な建設が始まった。

徳川家康は織田信長、豊臣秀吉と並び日本の歴史上最も注目される人物である。

この3人の中で天下取りのレースで最終的に勝利したのは徳川家康であり、300年続く江戸幕府の基礎を築いた。

しかし、家康の最も大きな功績はもしかしたら江戸という都市を作ったことにあるのかもしれない。

江戸は家康以前は諸説あるらしいが、ほとんど何もない湿原であったかせいぜい、一介の城下町でしか過ぎない。

それを当時世界一の100万という人口を抱える巨大都市にまで育てた手腕は並大抵ではない。

江戸は自然発生的に成長した都市ではなく一人の人間の計画と行動によって作られた人工都市なのである。

家康が江戸に入った当時江戸城のすぐ目の前には日比谷入江が迫っていた。

私はそれを聞いてはいたが現在の東京の地形と比べるとあまりに広大な土地が埋め立てられたことになる。

土木に携わったことのある人間としてはそれがどのように成されたものであるか非常に興味があったのであるが、なかなかそれについて触れている書物は見つからなかった。

先日NHKの番組で江戸という都市建設がどのように成されたかについて紹介する内容があり江戸という都市の奇跡を再認識した。

家康は漁師なども他から誘致し、そのために様々な特権を与えた。

一般の町民も近隣から入ってこれるようにそれに必要なインフラを整備した。

江戸時代300年を通して見ると明暦の大火で大半を消失したことはその後の都市の構築においては結果的にプラスの作用を果たした。

そのときも江戸城天守閣は再建されず、町民の生活優先の復興をなしたことは家康の精神が幕府において連綿と受け継がれていたことの証明である。

江戸のインフラ整備で家康が真っ先に取り組んだ問題は飲料水の確保である。

井の頭の水が飲料水として適していることが分かりそこから水路を引いた。

井の頭とは「井戸の頭」という意味である。

家康によって作られた巨大人工都市江戸は多くの人口を飲み込んだ。

人口の半分といわれる武士が大名屋敷など大きな面積を占めていたので町人(工商)は
ごく狭い範囲に押し込められた。

多くの人達が狭くてごちゃごちゃした長屋住まい。

生活環境は劣悪であり、都市の生活は農村に比べて人々の寿命を縮めた。

しかし、現代の環境問題の先駆的なリサイクルのシステムも生み出し産業革命により急拡大したロンドンに比べて住環境ははるかに良かった。

多くの人がひしめき合うことにより莫大な消費社会も形成されることになり、商工業が洗練され、技術力向上のための環境が用意された。

江戸は高度な経済を発展させていた。

一旦そのようなシステムが出来上がると周辺からさらに多くの人口が流入した。

短期で宵越の金は持たないという江戸っ子の気質はそのような豊かで活発な経済社会の裏づけがあった。

たとえ一文無しであっても今日何かを売ってお金を得ることは可能であった。

江戸時代は鎌倉、室町の幕府と比べると中公集権的色彩は飛躍的に強くなった。

徳川が天領を支配する一大名であり、多くの大名の長であったという説があり、そのような側面は否定できないが幕府は藩と藩主を取り潰すことも出来たのであり、強大な権限を持っていた。

それゆえに260年間戦乱のない平和な時代を続けることができた。

参勤交代や様々な公的普請を藩の負担で行ったことは藩の財政を弱体化させることで権力の維持を図ったと説明されるが、それよりも公共事業のような意味合いが強いのではないかと思う。

江戸で各藩が財政支出をすることで江戸の市中に貨幣が豊富に流通し、江戸の豊かな経済社会の形成に一役買っている。

豊かな経済社会はまた新たな文化を生み出し、歌舞伎、寄席、本、一般大衆レベルで娯楽を楽しむことができるようになり、それが又経済ベースでさらに普及が進んだ。

千両役者は多くの客を呼ぶことで高収入を得る者もあらわれた。

大衆の文化を担ったのは大衆であり、それを可能にしたのは寺子屋などを通して高い教育が武家だけではなく町人レベルまでなされたことも背景にある。

町人の教育熱は相当高く、識字率は驚くほど高かったようである。

こしてみると現在の東京につながる近代都市として江戸はすでに成熟を見せていたのではないかと思われる。

そして江戸という都市の果たした役割で重要と思われるのは日本というひとつの国家の形成に果たした役割である。

中世の封建制社会においては各地域の特殊性があり、各地域の領主を中心とした地域性は江戸時代における藩として時間的つながりを持っている。

明治維新以降の日本の急速な発展は江戸時代に培った様々な特性があったからであるのは確実である。

教育レベル、技術レベルの高さ、勤勉で真面目な国民性などなど。

各藩が多様な社会を形成したままでは国家レベルでそのような特性が生まれるとは考え難い。

日本の特性は明らかに首都であり巨大都市である江戸において形成されたものであり、それが参勤交代により地方に持ち帰られ全国がひとつの文化圏へと収斂される過程で生み出されたと考えられる。

現代の日本という国家のルーツを江戸に見ることができる。

徳川家康は巨大都市江戸を人工的に作った都市計画立案者であり、それゆえに現代日本の生みの親となった。・・・というのは言い過ぎか?