こんにちは。天弓紘明です。

 

温かい一日だったように思います。自転車に乗って隣の町までサイクリングがてら行ってきましたが、体力の低下は著しく改めて自分の年齢を確認できた一日だったです。若いころには自転車でリサイクルショップ巡りをするのが趣味だったのですが、何が原動力になって動けていたのでしょうか。

 

私は音楽が好きなので音楽に対して随分と凝ったオーディオシステムでマーラーの交響曲とかブラームスの交響曲全般を近所迷惑上等の大音量で聴いていました。特に好きな作曲家をあげるとシベリウスが一番にあげられます。

 

図書館で借りてみたシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調が私のクラシックの門扉を開ける鍵となりました。

 

そこから、私はクラシックの虜になってしまい、良い音を聴くのであればとステレオに随分と入れ込むようになった十代のころの話しです。

 

特に直径30㎝のウーハーの低音の迫力は細長い現在主流のトールボーイ型スピーカーの低音と比べたら断然の音でした。ちょっと古き良き時代を美化している可能性はあり得ますが、時代の流れでピュアステレオの世界は5.1chの世界にすっかりと食われてしまっているので低音はスーパーウーハー任せで再生されているのであんまり自然な低音とは言い難いです。

 

30年以上前はそういったデカくてカッコいいスピーカーが7万円台で各メーカーが死力を尽くして作っていたので、今の視点で見るとステレオマニアにはいい時代だったと思います。高音域を担当するツイーターは大きさを問いませんが、低音域を担当するウーハーはどうやったって大きい方がいいので、細長い筐体のスピーカーではどうしてもカバーできません。

 

いくら技術が進歩してもその問題をクリア―するのは不可能なのではないかと思う次第で、かつて使ていた3WAYスピーカーが懐かしくて仕方ありません。

 

今はヘッドホンで音楽を聴く機会しかないのですが、音楽っていうのは耳だけで聴くのではなく、体中に響く音波で聴いていたんだとつくづく思います。

 

私はそんな郷愁に浸りたくて、リサイクルショップで売られているスピーカーを含めたステレオ機器を眺めながら懐かしんでいたのでしょう。

 

まあ、それなりの音楽再生機能をもったステレオ機器で聴かなければ、クラシックの魅力の半分は死んでしまいます。これは私の個人的な感想になりますが、特にフルオーケストラを再生するのはラジカセのスピーカーじゃ無理があるようです。何せ何十の単位で楽器が音を出しているのだから、それを再生するにはそれなりの性能を持った環境でなければどうにもなりません。

 

だから、クラシックの分野はそんな事情であまり流行らないのだと私は考えています。

 

 

さて、マスキングテープを剥がしてみました。思いっきりミスをしています。

 

それというのも、なるべく施したマスキングから塗料がにじまない様にやや濃いめでシルバーを吹き付けたらメッシュが埋まってしまったりホコリが付着したりで、うすめ液を含ませた綿棒を使って塗料を落とし、再塗装した結果、うすめ液のせいなのか写真では分かりづらいですが、マスキングテープの跡がしっかりと残ってしまいました。

仕方ないので#2000のスポンジヤスリで削り落とし、今度はフロントグリルのシルバーをマスキンングしてから、ウイノーブラックを吹く羽目になりました。

 

たったこれだけのマスキングに2時間も費やしてしまったのは時間の浪費ですが、万全の状態で失敗しない様に慎重にデザインナイフで切ったりしていたので失敗のテープがたくさん出てしまったのは大きな反省点です。

 

それで、結局、マスキンングテープでの塗り分けをするときも、しっかりと塗料を薄めなければ良い結果は生まれないのを悟れました。

 

ウイノーブラックを再び吹き付けた際にホコリが付着したので今日の作業はここで終りにしましたが、


はたして上手く塗り分けができているのかは、明日、付着した2つのホコリを削り落としてウイノーブラックを吹き付けてからの剥がす手順になっています。果たしてどんな結果が待っているのでしょうか。

 

まあ、ガンプラみたいに艶消し塗料での塗装ならば大概成功していたのですが、こればかりは未知の領域です。

 

たかがブラックをエアブラシで吹くだけでここまでミスを繰り返すのも何ですが、ニードルの先っちょが曲がっていたのに気づかずにいた私の責任は重いです。

 

そんな反省をしつつ今日の作業時間も終わってしまいました。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

 

それではまた。

          天弓紘明