こんにちは、天弓紘明です。

 

レガシィの後部ハッチのミスはとことんデカい失敗になってしまいました。

 

リアガラスのクリアパーツに見苦しい傷がたくさん出てしまい、磨いてみたら当たり前ですが、電熱線のモールドが消えてしまいました。当然の結果ですが仕方がありません。しかも磨ききれていないとなると、どうにも救われません。

 

不注意で剥がれ落ちたウレタンクリアーの段差を埋めるべく、ガイアノーツのクリアーで少しづつ埋めていますが、一応、今日塗った段階で中2日待っての研ぎ出しを敢行する予定ですが、仮組をしていれば、この失態はあるいは防げていた可能性が高いようです。

 

ガンプラでは仮組は必須な工作ですが、自動車模型でもどうやら同じなんだとようやく気付きました。

 

そういう配慮の無さが失敗が連続する一因になっているのかもしれません。

 

とりあえず、4月9日(火)まで待って、敗戦処理といういい方は良くないですが、一応の決着をつけたいと思います。

 

とにかく作り続けて恥ずかしくないような完成品が公開できるようになりたいのですが、これは素質の問題であって私はいつも詰めが甘いところが多分にあるのと初めてやる作業では必ず失敗するというジンクスがあるため、と思いたいのですが、なんだかミスってばっかりで何にも進歩がありません。

 

プラモデルを作り続けるのであれば、もっと慎重さを会得しなければ始まらないのが現実なので大袈裟ですが、私の余命はどれくらいあるのかは分からないので早急に身に付けなければいかないのですが、そういった考え方が良くないのでしょう。

 

慎重に作る、と言いつつ、その慎重さを早急にに身につけたい、と願うのはどこか筋が通っていません。

 

慎重になりたいのであれば早急にではなく、じっくりと身につけていくものだからだと思います。ちょっと焦っていますね。

 

もう、今年で49歳。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたのと同い年になるのですが、私と織田信長では人生の密度がまるで違います。

 

一方は天下人、私は一般のモブ。比べる相手が悪すぎます。私も何か秀でるものがあるのであれば、それを追求していきたかったですが、どうにもならないのが現実であって、叶わない夢なんてないんだ~、なんてのん気な歌を歌っているアイドルもいましたね。

 

例えば将来はプロ野球選手になりたい。という夢を持つ少年が一心不乱に野球道を走り始めたとしても、まずは小学生の野球チームに入部したところから、チーム内でエースで4番を務められないといけません。少なくてもメチャクチャ守備が上手いとかでもいいのですが、とにかくレギュラー格の重鎮になれるくらいでなければ、どうにもならないでしょう。まあ、小学生の段階であるならば、娯楽としてプレーを楽しむのだけでもいいのかもしれませんが、中学生の段階でも同じなのかもしれません。しかし、高校野球となると、もはや遊びでやってるんじゃなくなってきます。

 

なにも甲子園に出場できなくても秋山幸二選手のようにプロ野球選手として活躍できる選手はいますが、大概の才能あふれるプレーヤーは、野球を楽しむというよりは1年生でも実力で勝っていれば、3年生を差し置いてレギュラーで使ってもらえる実力の世界になってきます。清原和博選手や桑田真澄選手とかのエリート組は実力で名門校のレギュラーを勝ち取り、春夏甲子園で5回出場を果たすと同時にエース級の投手になったり4番を任せられるようになるなど、教育の一環でやっている高校野球でさえ、勝つために野球をやるようになるので、もはや実力の世界に足を踏み入れているのです。

 

私も小学生の頃は、プロ野球選手になりたい。と思っていましたが、入部したチームの人数が少なく、一応年功序列が守られていたので小学6年生の頃にセカンドを任せられましたが、じゃあ同じ小学生の強豪チームの補欠よりも実力で勝っているかと言えば、間違いなく私の能力では勝ち目はないでしょう。

 

残酷な事実ですが、何事も才能と努力と環境いう天から頂いたスキルがなければ、何をやってもプロ野球選手にはなれないのです。

 

そういう意味では、私は何も天からもらった才能がありませんし、努力する根性もありません。

 

少年野球選手だったころは、夏場でも許可があるまでは水分を補給してはいけない。という前時代的な現在では非常識となった悪魔的根性論の下に練習をしていたので、暑さと喉の渇きで私は野球をプレーするのが嫌いになる程度の夢の持ち主だったので

中学生の頃には野球部に入部するなんて考えもしませんでした。

 

そういえば練習試合で私が最後のバッターになった時に、何とかヒットを打てて次につなげましたが、塁上の私はプレッシャーから解放され、暑さと喉の渇きで集中力を失い、意識が飛んでしまいました。気づいたときには相手チームの牽制球でタッチをされてアウトになってしまった記憶があります。水分の補給ができていれば結果は違ったものになっていたかもしれないのですが、古のスポーツ界の悪法の犠牲者の一人なのでしょう。

 

 まあ、そのあとに部員全員が連帯責任で暑い中、帰路を走って帰るように指導されて私はスポーツをプレーするのが嫌いになりました。

 

中学生に進学してもチームスポーツは選びませんでした。あんまり、いい思い出がありませんが、それは機会があればと思います。

 

話しが長くなってしまいましたが、野球は大学野球、社会人野球、地方の独立リーグなどもあったりします。

 

日本で最高のリーグが日本プロ野球リーグになるのでそれらのリーグの中でも目立った成績を残さなければ、プロ野球選手に選ばれません。あとはスカウトの目にとまるか否かです。

 

現在の私のレベルで言うと、プラモデルの世界でも私はリトルリーグのレギュラーは取れないでしょう。

 

下手すると、おっさんの草野球チームでもレギュラーは取れないかもしれません。

 

いまさらプロのモデラーになりたい。なんて思っていませんが、これが私の現実なのです。

 

なので、あんまし落ち込むな。と自分にハッパをかけて自分を慰めているだけなのです。

 

近所の模型店の常連さんが作った作品を見ただけで私は挫折します。上手く作れる人は世の中にいっぱいいて、私ごときでは太刀打ちできない訳です。それが悔しくてたまらないのです。

 

実力の伴わない負けず嫌いは害でしかありません。ましてや49歳になるおっさんモデラーです。少しは誇りが持てる作品を作れるモデラーになりたいのですが、そろそろ自分を知れ。っていうところで、この長話は終わりにしましょう。

 

純粋に模型作りを楽しめればいいのにね。と思いましょうか。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

 

それではまた。

          天弓紘明