こんにちは、天弓紘明です。
昨日は、メッシュの切り取りと貼り付け、テールランプの塗装をしました。
写真を撮り忘れましたが、ヘッドライトのシルバーもエナメルのクロームシルバーで筆塗りしたので、これから、サイドミラー、リアウインングやらを無事取り付け、ランプのカバーをつけたら、ようやく完成となります。
昨晩の夕食は、回転寿司屋に家族で行きましたが、例のバイトテロの対策で回転寿司屋なのにレーンに回っている寿司は無くてタブレット端末で注文するとレーンに流れてテーブルの前で注文した寿司が届けられる。というシステムになっていました。
利点は、完全注文制なので食品ロスは無くなりますし会計も楽なのでいいのですが、これはこれでいいところなのですが、これは回転寿司というカテゴリーになるのかどうかが分からなくなってしまいました。
古き良き時代を思い起こせば、レーンでぐるぐる回っている寿司の鮮度を見極めて食べるという楽しみが失った点と、莫大な設備投資のせいで本来、従業員に還元されるであろうお金が回せなくなる点は、バイトテロという軽い言葉で済む犯罪なのかどうかに疑問を持たざるをえません。
これは、いじめというのに通じます。
小学生のいじめでも言葉の暴力、殴る蹴るの物理的な暴力は、いじめという軽い言葉で済まされますが、現実問題としては、暴行障害事件と何の違いがあるのでしょうか?
思い出したくもない小学生時代、私はひどい、いじめを受けていて毎日学校へ行くのがつらかった嫌な思い出があります。
その為に私はあまり人間を信用できない性格になってしまい、それが今の私には重くのしかかっています。
もはや時効ですが、刑事はかなわなくとも民事の裁判で莫大な慰謝料を私をいじめた憎いやつらから払ってもらいたいと強く願っています。だから、時効を迎える前に民事裁判を起こしておけば良かった。そしてできるならば、暴行罪で刑事罰を与えるくらいの復讐をしたかった。と今の私はその時代のフラッシュバックが起こるたびに後悔の念にかられます。
私をいじめた奴が結婚をし子供をもうけて幸せな家庭を築いていたのであれば、私はその子供に、あなたのパパは子供時代にいじめをする悪い奴だったんだよ。と教えてあげたくなります。
皮肉なことにそんなことをしたら、あべこべに私が恨まれる立場にあるでしょうし、むしろ、私がなんらかの罰を受けるハメになりかねません。
そうならなくとも、たかがいじめなんだから忘れなさい。と言われるのでしょうが、それこそ、いじめ=傷害事件という図式を成り立たせなくする元凶です。
子供が、広く定義するならば未成年が、いじめる側に立ったのであればいじめられる側が、傷害罪でちゃんと社会的制裁を受けさせられるような社会になって欲しいのです。
せっかく家族で外食をする贅沢なのに何で昔のつらかった思い出を思い出さなければならないのでしょうか? いじめを受けた側の人間はその屈辱的な思い出をいつまでも忘れずに生きねばならない宿命を背負わされるのに、たかがいじめというワードで片付けられてしまうのが悔しくてなりません。
なので、私はバイトテロをやった若者には申し訳ないけれども、莫大な損害賠償責任を負ってもらって人生を棒にふってもらいたいと強く願います。
たかが未成年がやったイタズラなのに、では済まされない社会になってくれるのを私は強く望みます。
一生涯、忘れられないつらい記憶はいじめられた側には深い傷を心に残しますが、いじめた側はせいぜい、面白半分でやった。くらいの感覚があればいい方で大概、大人になったらいじめた記憶なんて消えてしまうのでしょう。
外食という贅沢の最中でつらい記憶が蘇ってしまうほど、いじめというのは深刻な心を破壊する傷をいじめられた側は一生涯持ち続けます。
多くのいじめっ子は自分がいじめをしていると思ってはいないのでしょうが、少しでもいじめをしているという自覚がある方は、すぐにでもやめてください。
それが私のささやかな願いです。そして、いじめる側にもしっかりと社会的制裁を負うような法が整うことを私は強く希望します。
湿っぽい話になってしまいましたが、
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
それではまた。
天弓紘明