信濃国分寺に入った右手の石畳の先に観音堂が建っている。
観音堂のアツプ。
三間四方で左右の花頭窓が美しい。
さらに奥に池があり、三重塔(国重文)が建っている。
室町中期築とされ、高さは20,1mと小ぶりながら存在感がある。
その奥にある袴腰鐘楼は享和元年(1801)築でかなり大きい。
その間にある多宝石塔は鎌倉時代造とされ、高さは152cmある。
境内の写真。
一番奥に建っている本堂(県文化)は万延元年(1860)竣工。
桁行6間、梁間4間の入母屋造。
宗派は天台宗、山号はなし。本尊は薬師如来。
創建は天平13年(741)の詔により770年に宅地造成された。
その後、承平8年(938)に平将門の乱で焼失。
また別称、八日堂とも呼ばれ、1月7,8日は八日縁日で賑やかという。
写真は外陣。
外陣左手には大きな白象像が置かれていた。
本堂の左手の甲子大黒天堂は大正18年再建で、向拝欄間部に俵の彫刻があるという。
横に蔵がポツンと建っていた。
本堂の裏手に廻るとハス田が広がっている。
ハスの花は咲き始めの時期で結構花は開いていた。
帰りにお休み処の招睼庵前を通って信濃国分寺を後にする。