博物館横から抜けて、仏殿裏から墓地への横道を登ってゆく。
墓地入口には石地蔵が立っていた。
登って行くと墓地が広がっているがかなり古い墓が多い。
その中には竜馬の支援者である長府藩士豊永長吉の墓(写真)、家老三吉周亮の墓などが眼に付く。
墓地を下って行き、今度は仏殿の右から石段を登ってゆくと毛利家墓所(県文化)の入口。
堅く閉まっている木戸の隙間から覗くと、藩祖毛利秀元の墓のほか、藩主6代の墓ほか9基が並んでいる。
仏殿の右隣には本堂に当たる法堂がひっそりと建っている。
輪蔵は寛政11年(1799)築。
また高杉晋作が挙兵した地であり、馬上姿の晋作銅像が立っている。
その横には鐘楼。
また書院には七卿潜居の間がある。
文久3念(1863)の政変により京都を追われた7卿のうち5卿が長州に落ち延びてここに住んでいたという。
下関に勤務していた時代に、この書院内での会食に招待され庭園を眺めながら飲んだことを懐かしく思い出す。
写真は書院入口。
この一角に庫裏、書院が建ち並んでいるが入れない。
最後に功山寺の境内図を。