安養院前の小路を東に向かう通り。

一本道をわずかに入るだけで全く人通りがない旧道となる。

 

安養院の長い塀の先から右折して、金剛三昧院の長く緩やかな参道坂道を登って行く。

 

並木道の間の参道を登りきると、右手に鐘楼門が建っている。

文政年間(1818~31)築で、架かる梵鐘(国重文)は承元4年(1211)鋳造。

 

境内に入ると右手に玄関と客殿(国重文)、庫裏が繋がって建っている。

拝観料を払って入ると、見れるのはごく一部のみでがっかりする。

 

ただ、玄関を入ったところに、この寺が所蔵するすべての仏像のミニチュアが並べられており、撮影もOKとのこと。

 

写真は石楠花の咲く中庭

 

境内の正面に建っているのが本堂であった。

高野山の塔頭・宿坊は、どこも本坊や宿坊が主であり、本堂が小ぶりで目立たないことが多い。

別格本山で本尊は愛染明王。

創建は建暦元年(1211)に北条政子の発願によるという。

右横には護摩堂が繋がっている。

また本堂の左前に四所明神社が祀られている。

 

経蔵(国重文)は貞応2年築。

その前には六本杉が聳え立っている。

 

境内の左手奥に名高い多宝塔(国宝)が建っている。

貞応2年(1223)に北条政子が頼朝と実朝の供養のため建てたという。

思っていたよりも小ぶりな塔である。

 

多宝塔前の庭園からの眺めも良い。

 

鐘楼門の前では外人二人が桜の木の下で花見をされていた。

邪魔にならないように降りてゆくと樹林の中に池が広がり、横長の宿坊が建っていた。