続いて右には駐車場と金剛峯寺の開かずの勅使門が見えくる。
外廻りから見た金剛峯寺の風景。
さらに三叉路の向かい側には常喜院の旅館のような宿坊が建っている。
高野山総本山である金剛峯寺入口に到着する。
石畳の参道の両側には水桶が並んでいる。
表門(国重文)は文久2年(1862)築。
僧侶は右の小さな出入口を使用していたとのこと。
また取り巻いているかご塀、築地塀は共に国重文。
正面の本坊書院(国重文)は大小の玄関を持ち、文久3年(1863)再建。
東西30間、南北35間という大建築で、茅葺屋根の上には防火用の天水桶。
写真は大玄関(国重文)のアップ。
左手奥の池の先に建っている経蔵(国重文)は延宝7年(1679)築で苔むした屋根がその歴史を物語っている。
また右手の大きな鐘楼(国重文)は元治元年(1864)築の三間二間の袴腰。
久しぶりに堂内を拝観することにした。
写真は玄関内。
ただ写真は庭園以外は原則不可である。
写真は廊下。
廊下の外に沿って庭園も設えてあった。
大広間(国重文)、梅の間、柳の間の襖絵を拝見しながら廊下をつたって別殿に。
正面には昭和59年築の新別院。
別殿前から石庭蟠龍庭に。
昭和59年作庭で2340㎡の石庭。
右には昭和9年築の奥殿の玄関、左に勅使門が見える。
さらに別殿を廻って渡り廊下を戻って上段の間、奥書院(国重文)に。
内庭の写真。
さらに中庭横を通って台所に入って行く。
広い台所(国重文)で目に付いたのは大釜が三基並んでいた。
一つの釜で七斗(98kg)、三基で2000人分が一度に炊けるという。
境内の東側の下門(国重文)から出てゆく。
下門の先から振り返ってもう一枚撮る。