さらに旧中山道を南に歩いて行くと、昔懐かしい商家が建っていた。

 

 

大きな犬上川に架かる無賃橋に出た。

橋がたびたび流失したので彦根藩が地元の富豪者に命じて立派な橋を架設して、旅人たちに無賃で通行させたのでそう呼ばれるようになったという。

今の橋は昭和7年に鉄筋コンクリート橋となった。

 

しかし今では犬上川は平常の時は水無川となっている。

 

その橋のたもとに無賃地蔵尊が祀られていた。

 

犬上川に沿って東に東福寺を捜して歩いてゆくが見つからなかった。代わりに豊勝稲荷大明神が祀られていた。

 

さらに横長の立派な民家が建っていた。

 

犬上川沿いを後にして来たに歩いて行くと高宮小学校に出た。

その校庭の北端に高宮城址碑が立っている。

この小学校の地に高宮城があったとされる。高宮城は天守がある城ではなく屋敷の城であった。

高宮氏は弘安2年(1279)に紀伊国から任命された櫟(いちい)氏が高宮氏を名乗ったのが始まり。

その後、応永24年(1417)には佐々木氏が城主となった。