乙訓寺から程近くの民家の中を北に向かって歩いていると鎮守の森が見えてきた。

赤根天神社の入り口の鳥居である。

 

結構な樹木が茂った参道が続く。

 

写真は拝殿。

後で訪ねる向日神社の御旅所であったとのこと。

 

写真は本殿。

正徳3年(1713)築の一間社流造。

 

今度は歩いて来た光明寺道に出て横切り、さらに北に向かって住宅街の中を進む。

訪ねた角宮(すみのみや)神社の境内、社殿共に小さいが式内社でもあり、思っていたよりも格式がありそうな神社であった。

写真は境内入り口の鳥居。

 

写真は吹きっ放しの拝殿。

 

写真は本殿。

乙訓社とも呼ばれ、続日本紀の大宝2年(702)にも出てくる古社である。

祭神は左に主神火雷神、玉依姫、建角身命、活目入彦五十狭茅尊の四神、右に春日社の三神。

 

写真は境内の末社。

左から八幡社、大神宮、稲荷社、これは不明。

 

角宮神社の横の細い路地を入っていった先に浄光寺があった。

写真は山門。

 

西山浄土宗の寺院、山号は玉龍山。

写真は鉄筋本堂。

 

この辺りは古い立派な民家が多い。