ここから、境内をさらに西に向かって歩いて行くことに。

まず文庫が建っている。

幕末期に大禰宜を務めた車戸家にあったもので、長州や土佐の志士達と密儀をしたとされる。

 

その隣に大釜が二つ並ぶ。

湯神楽に使われた大釜には、寛永15年(1638)、元禄12年(1699)に奉納されたもの。

 

隣の神輿庫には4月22日の古例大祭の神輿と鳳輦(ほうれん)が収納されていた。

写真は御神輿。

 

写真は御鳳輦。

 

さらに袴腰鐘楼には天文24年(1555)銘の梵鐘(県文化)が架かり、寄進者には浅井長政の名前も見えるという。神仏習合時代の名残である。

 

続いて太閤蔵があり、秀吉が米一万石を寄進した時に建てられたという。

 

これらの真ん前に参集殿が門を開いていた。最初、ここが書院入り口かと思って入っていった。

 

さらに西に歩くと夷神社、神明両宮(写真)が並ぶ。

 

その左横に摂社日向神社が祀られている。

延喜式内社であり、祭神は天孫降臨神話の瓊瓊杵尊(ににきせのみこと)である。

 

ここは西参道入り口になっていた。

これで境内を一通り廻ったことになる。