私の好きな町並みベスト3の三番目に海野宿を取り上げてみたい。

中央線上田駅から程近くの長野県東御市にある。

この時の旅は、現役最後に千葉に勤務していた時に作った異業種の会の旅であった。この会は長く続きそれぞれがOBになってからも年二回の例会(といっても飲む会)と年一回の旅行を続けてきた。しかし発会してから25年ともなると、物故者や体調不良により最近は例会の出席者も10名以下となり、昨年から旅行も取りやめている。

訪ねたのは2016年10月19日であるが、その三年前の2013年10月にも一人旅でゆっくり訪れている。

 

訪ねる前に上田市内の蕎麦屋「刀屋」に立ち寄った。この日も15人ばかり外に並んでおられたが、実に美味しかった。

 

北国街道海野宿は南に千曲川が流れており、江戸期には宿場町として栄え650mに亘り95軒の本陣、脇本陣を始めとする問屋、旅籠等が立ち並んでいたというが、今は55軒が残っている。

この宿場町の見所は街道の真ん中に用水が流れて独特な風情を造っていることであろう。

 

見事な「うだつ」が並んでおり、富裕の家のみが造れることから「うだつが上がる」の言葉が生まれ、防火壁の役目も果たしてした。

 

中心に位置する資料館も見応えがある。

養蚕農家の構造を残しており、海野家・真田家に関する資料、養蚕過程の各種民具などが展示されている。

 

裏庭に小屋根が置かれていた。

宿場町の役目を終えた明治に入ると、養蚕業が主力となる。

蚕を飼育するためには保温を必要とし、火を焚いて室内を温めて煙出し用の窓を大屋根の上に設け、これを小屋根と言った。資料館の裏庭にその小屋根が展示されていた。

 

海野は古代から馬飼の豪族滋野・海野氏の本領であり、その後真田氏が継承した。

その海野氏、真田氏の氏神として崇敬されてきたのが東端にある白鳥神社

境内には数本の大木が聳え立っていた。

写真は社殿と大木。

 

神社前を流れる千曲川

 

近くにある雷電生家を訪ねたことも思い出として残る。

 

さらに訪ねた布引観音の険しい山道を登った先の懸け造の観音堂も印象に残る。

 

 

この他に思い出に残る町並みとしては大内宿、杵築の町、萩、倉吉、古河、伊賀上野などなど枚挙すればいとまがない。

 

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