勝龍寺を出て歩いていると、整然とした堀と石垣が突然と眼に入った。
整備された勝龍寺城公園は堀を廻らした立派な造りである。
勝龍寺城は暦応2年(1339)に足利尊氏の命により細川頼春が築城したされる。
さらに元亀2年(1571)に信長の命により細川藤高が改造した。
光秀の娘の玉(ガラシャ夫人)が細川忠興に嫁ぎ、二年間を過ごした城でもある。
また山崎の合戦で敗れた光秀が逃げ込んで、最後の夜を過ごしたとされる。
表門近くに模擬櫓も建てられている。
入り口の表門。
池を配した日本庭園が広がり、近所の多くの人が沢山寛いでおられた。
模擬櫓は管理棟となっている。
平成4年に公園として整備されたばかりである。
ひときわ目立つのは細川忠興とガラシャの像であり、美男美女であったという。
11月には「長岡京ガラシャ祭」が行われるという。
また本丸跡の「ガラシャおもかげの井戸」も再現されている。
城跡から出てきた石造物が沢山並べられていた。
写真は城内の風景。
右手の石段は北東隅櫓があったとされる跡。
城は東西120m、南北80mの長方形であった。
当時の石垣が一部残っており、写真の下層部分が築城時のままという。
石垣には自然石のほか、石仏、一石五輪塔、宝篋印塔、板碑なども使われている。
石垣右手の白い四角形の石は五輪塔とのこと。
北側の門から出て行く。
写真は北側の堀と石垣。