実は長岡京市まで来たのは長岡天神が主目的ではなく、以前にテレビで山崎の合戦時の明智光秀の本陣跡を訪ねる番組を見て、機会があれば訪ねたいと思っていたからである。
長岡天神を出て大通りを真っすぐに南に歩き阪急京都線西山天王山駅に出た。ここでトイレを借りて勇躍再スタート。
駅近くの交差点の傍に調子八角の道標が保存されていた。
ここ調子八角は西国街道と丹波街道の分岐点にあたるという。
道標には元禄12年(1699)銘が残る。
駅前交差点から右折して204号線、通称サントリー通りを西に歩いて行くと、安楽寺が見えた。
浄土宗単立寺院という以外は不明。
さらに広い敷地のサントリー京都ビール工場を過ぎたところから右折する。
観た旅番組で光秀の本陣跡と言われていたところを探す。
右手のビール工場の奥に樹木が茂る小高い丘があり、説明版が立っているのみである。
ここは古墳時代前期の前方後円墳跡であり、光秀の本陣跡の「御坊場」と長く言われてきた。
今は墓地になっており、登ってみると墓の間に六地蔵とお堂が建っていた。
写真の三地蔵の左のお堂のさらに左にもう三地蔵がある。
恵解山通りを真っすぐに北に歩いて行くと、右手に恵解山古墳が見えてくる。
こちらの古墳はその形がそのまま残っており、埴輪などが並べられている。
ただ、近くに小学校・中学校があるため子供達の遊園地のようになっていた。
恵解山(いげのやま)古墳は古墳時代中期の前方後円墳(国史跡)で全長128mある。
最近の学説では、ここが光秀の本陣跡という説が強くなっているという。
登って周囲を見ると見通しが素晴らしく良く、またかなり広いため本陣にはピッタリのような気もする。
また発掘された鉄製武器埋納の復元図がある。
ここに木の箱に納められた刀、剣と槍、短刀と矢など700点の武器が埋蔵されていたという。