高安寺の境内図が立っていたので掲載する。

 

続いて山門の先に中門に当たる石柱門が建っている。

 

正面に建つ本堂は享和3年(1803)再建。

曹洞宗の寺院、山号は龍門山。

 

写真は本堂内部。

 

写真は本堂前から山門を振り返って写す。

 

時の鐘の鐘楼は安政3年(1856)築。

右には利生閣、庫裏が建っている。

 

また左手の墓地の入り口には家康の家臣で、府中領の最初の代官高林吉利の墓がある。

随分と小さく目立たない墓であり、その人柄がそれとなく窺える。

 

墓地の間を抜けて、本堂の裏側に回ると秀衡稲荷社がある。

田原藤太秀郷の館にあった稲荷社とのこと。

 

さらに崖を下がったところに弁慶井戸がある。

義経が鎌倉入りを許されず、ここ見性寺にとどまり大般若経を写経した時の井戸と伝わる。

この辺りは雑木林が広がっており、境内の広さを実感する。

 

高安寺総門を出ると、真ん前の甲州街道の緩やかな坂は弁慶坂と呼ばれている。

東京都内で弁慶ゆかりの地があるのに驚く。

かなり歩いたため、この辺りで寺社巡りは止めて、武蔵野線分倍河原駅に出て帰途に就く。

 

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