さらに南に歩いて行き、羽曳野市に入り大きな交差点の右にある野中寺
(やちゅうじ)に到着。
写真は入り口の山門。前に中門跡が残る。
高野山真言宗の寺院、山号は青龍山。
山門を入っての境内全体の眺め。
左手に塔跡の基壇石が残る。
右手には金堂跡の基壇石が残る。これら境内の旧伽藍跡は国史跡に指定
されている。
写真は金堂跡に立つ宝篋印塔三基。
正面の本堂は旧講堂跡に建っている。
寛永から寛文年間(1624~73)築と推定される。
本堂内に本尊薬師如来のほか弥勒菩薩半跏思惟像(国重文)を安置。
聖徳太子の建立48寺院の一つとされ、飛鳥時代に曽我馬子が開基。
別称は「中之太子」、「上之太子」は叡福寺、「下之太子」は大聖勝宝寺。
写真は本堂内部。
本堂の右には太子堂と弁天池がある。
中門があり入って拝観をお願いするも、月二回のみの公開で昨日だったとのこと。
客殿、庫裏、庭園など見られなくて残念。
方丈は郡山藩主柳沢家の別邸を移築したもの。
写真は方丈玄関。
写真は客殿。
中門を出ると本堂の左手には地蔵堂が建っている。
墓地に回ってお染・久松の墓(府文化)に。
二人の十七回忌に当たる享保7年(1722)に立てられた。
野崎観音でも見たが供養塔とのこと。
境内の左半分は樹木が生い茂っており、その中に野々上神社がある。
八幡大菩薩を祀っている。
この樹木の中にヒチンジヨ池西古墳石棺が置かれていた。
古墳時代前期のもので長さ2,4m、幅1,1m、高さ1mとかなり大きい。
二上山でとれる凝灰岩を加工したもの。