本堂(国重文)は宝暦2年(1752)築の東西14間、南北十間の単層造りで総板壁。
創建は天平神護元年(765)に孝謙天皇の勅願によるとされる。
西の東大寺に対する西の大寺として境内は東西十一丁、南北七丁に及び、ここに薬師、弥勒の両金堂、
東西両塔など百十数の堂舎が甍を連ねていた。
その後再三の災害で衰退の一途を辿ったが、鎌倉時代中期に興正菩薩叡尊が復興して現在の伽藍を
復興させた。
アップでもう一枚。
内部には本尊釈迦如来立像(国重文)、文殊菩薩騎獅子像及び四侍者像五体(国重文)ほかを安置している。
写真は釈迦如来坐像。(買い求めた絵葉書より)
写真は文殊菩薩騎獅子像(絵葉書より)
本堂裏には塔頭一之室院。
ちょっと変わった土壁造りで民家のようである。
さらに左手には本坊が軒を連ねている。
さらに西側に愛染堂が建っており、もと京都の近衛政所御殿を宝暦12年(1762)に移築したもので、
南北十一間、東西八間の寝殿造の仏堂。
内部には本尊愛染明王坐像(国重文、秘仏)、興正菩薩叡尊坐像(国宝)などを安置。
写真は愛染明王坐像(買い求めた絵葉書より)
写真は興正菩薩叡尊坐像(絵葉書より)
愛染堂のすぐ右隣に大黒堂がある。
元は塔頭三光院の本堂だったとのこと。
さらに鐘楼、大師堂、光明殿などが建っている。
写真は鐘楼。
写真は大師堂。
また池があり畔に清滝権現社が祀られている。
南門からの直線上に東塔跡、本堂が建っている。
写真は南門。