貞恭庵の隣で光摂殿の裏側に当たるところに、法然上人の御身柄を奉安した円光大師堂が建っている。
平成2年築の間口4間、奥行きは裏堂を含み8間の入母屋造。
その入り口に旧広書院の表門がある。
一間一戸の四脚門でやはり移築したもの。
大殿の裏側は立体歩道が付いており、大殿からも裏側に自由に来れるようになっている。
写真は大殿裏側にある四菩薩石像で、普賢菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩であり、
正喜2年(1258)造をここに移した。
徳川家墓所に出た。戦災で霊廟がすべて焼けてしまったので、こじんまりとここに
すべて集められている。
霊廟には以前に特別拝観で来て以来であるが、現在は有料でいつでも入れるとのこと。
旧霊廟のモノクロ写真を頂く。
入り口の門は鋳抜門と言われ、文昭院殿霊廟(6代将軍家宣)の宝塔前の焼け残った中門を移築したもの。
左右の扉は青銅製で葵紋が五個ずつ、両脇に登り龍、下り龍が彫られている。
写真はその前の古い石灯篭三基。
現在の霊廟には6人の将軍と皇女和宮を始め各公の正室、側室、子女の墓所がコの字形に並んでいる。
写真は廟所全体。正面に右が二代秀忠とお江、左が六代家宣の墓。
皇女和宮の墓。
六代将軍家宣公の元霊廟の写真。
モノクロであるが、いかに豪華絢爛であったか想像できるであろう。