広い境内をどのように廻ろうかと考えた末、一旦、三解脱門から出て、すぐ西側にある黒門に。
黒門と呼ばれるのは増上寺の旧方丈門である。
方丈の表門だった四脚門で慶安年間(1648~52)築。
入ると左手に慧雲閣が建っている。
平成元年に焼けた開山堂の再建として建てられた。
その裏手にカヤの木が保存されている。
樹齢600年で樹高25m、古くからの自然木とされる。
経蔵が並んでいる。
慶長10年(1605)築で享和2年(1802)に移築してきた。
土蔵造の白壁仕上げでかなり大きな建物で、内部に八角形の回転輪蔵を安置している。
正面に建っているのが先ほど訪ねた光摂殿である。
左手に大きな増上寺会館が建っている。平成11年築の寺務所である。
会館の西側の塀との間の通路を北に歩いてゆく。
随分と奥に長い建物が続く。
明徳幼稚園と、明照会館が建っている。
明照会館には浄土宗東京教区教務所の看板、前の銅像は若き法然の像であろうか。
その前から東に向かって、大殿の裏側に通路が続いており、歩いてゆくと左手の高台に
大納骨堂が立っている。
昭和8年築であり戦災で焼け残ったものを昭和55年に現在地に移転。
その前に貞恭庵があり、14代将軍家茂の正室皇女和宮ゆかりの茶室とのこと。
昭和55年に移築した四畳半の二間の茶室。
中には入れないので、背枡隙間から撮った写真。