513日から竜王町の鏡の里、野洲市の祇王ゆかりの地、京都高尾、兵庫県太子町を訪ねて神戸の義母宅に行くという取り止めのない旅をしてきた。
まずは新幹線で米原駅下車、東海道線に乗り換えて野洲駅に。
駅前からバスで竜王町の鏡口バス亭で下車して、鏡の里から野洲市祇王寺を経て野洲駅まで歩くというスケジュールを立てる。
今回は寺社巡りではなく、平安時代の源平の史跡歩きを中心という旅である。
鏡の里は一か月前に鏡神社を訪ねた時、義経や額田王の史跡が点在していることを知り、今回改めて訪ねた次第である。
 
鏡の里バス亭近くは、平安・鎌倉時代は旧東山道、近世は旧中山道と呼ばれた街道であり、往時は宿場町として栄えたが、今は国道8号線となり車の往来が激しい。ただ鏡口交差点から一本入った旧道に僅かにその面影を残していた。右下矢印
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8号線沿いに真照寺が門を開いている。ダウン
万葉の女流歌人額田王は、鏡神社の神官である父鏡王の娘であり、ここの出身とされ鏡王は壬申の乱で戦死してこの真照寺に葬られているというので訪ねてみた。また鏡王女も娘である。
写真は山門。
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写真は本堂。ダウン
ただ境内をいくら探しても、それらしき旧跡を残すものや説明板などは一切無く、いささか拍子抜けする。
天台宗真盛宗の寺院、山号は月鏡山。
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写真は鐘楼と境内。ダウン
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8号線に沿って烏帽子屋五郎太夫家跡、義経宿泊の館白木屋跡、本陣跡などの立札がある。
義経(牛若丸)は鞍馬寺から奥州下向の途中、鏡の里の白木屋に泊まり元服の儀を行ったとされる。
その際、源氏の左折れ烏帽子を烏帽子屋五郎大夫に折って貰ったという。
跡地は通り過ぎてしまったが、左手の建物付近である。ダウン
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義経宿泊の白木屋は茅葺屋根の写真が残っているが、現在は石碑のみが立っている。ダウン
しばし若き義経の希望に満ちたスタートに想いをいたす。

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本陣跡にも何もないが、皇女和宮が御降嫁の折も休息されたという。左下矢印
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その隣の鏡神社には先月訪ねたばかりである。
ブログは近畿編の2019428日を参照。
写真は入口。左に義経元服の折の烏帽子掛け松が見える。ダウン
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